『キャラクターたちの運命論』著者の植朗子さんに聞く「マンガ研究の面白さ」――伝承文学研究者はマンガのどこに注目して読む?
記事:平凡社
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――本書では「伝承文学研究の視点から」マンガを読んでいらっしゃいます。なぜマンガを研究対象にしようと思われたのでしょうか。
植朗子:私が研究している「民間伝承」の「民間」というのは「一般の人たち」「大衆」を指す言葉でもあります。そして、伝承文学は、子ども向けのものだと思われている話も多く、文学的価値が低いとみなされていた時期が長かったんです。
マンガも同じです。マンガが文学的な作品のひとつとして読まれるようになったのは、ごく最近の話で、私も子どもの頃は、大人から「マンガを読んだらダメ」と言われたこともありました。
こんなに感動を与えてくれる物語なのに、なぜマンガというだけで軽んじる人がいるんだろう。そんな憤りがずっとありました。
伝承文学を研究する中で「光の当たっていない素晴らしい作品にスポットを当てたい」という気持ちがあり、同じ思いをマンガに対しても抱いていた、というのがマンガを取り上げるようになった最初のきっかけだと思います。
――最初に研究対象にされたマンガ作品は何でしたか。
植:『ジョジョの奇妙な冒険』の第4部です。
『ジョジョ』シリーズは、第1部から第3部までは「強いヒーローが強い敵と戦う話」なんです。主人公たちは「ジョースター家」という一族の血を引く特別な人々です。
第4部は少し毛色が違って、主人公の東方仗助はジョースター家の血を引いてはいますが、作品全体としては「普通の人」がメインの作品です。より身近なものが描かれている、というところに物語としての魅力を感じました。
第4部は、これまで強い主人公たちのバトルを描いてきた『ジョジョ』シリーズの中では転換点とも言える作品なので、そうした面も研究対象として面白いと思いました。
――本書の1章では、そんな『ジョジョの奇妙な冒険』第4部のスピンオフである『岸辺露伴は動かない』が取り上げられています。拝読した時、表(図1)が使われているのが印象的でした。
植:「配列論」についての表ですね。『岸辺露伴は動かない』1巻には5つの話が収録されていますが、今回の新書では、その各話の並びを「配列論」という方法で分析しています。たくさんの短い話が集まってひとつの物語としてまとめられる時に、どういう順序で並べられていて、どう繋がっているのかを分析するんです。
配列論は、おもに日本の説話研究で用いられる手法です。古い時代に編纂された本は、文字が染みで消えてしまったり、紙が破れたりして、欠損していることがあります。そんな時、配列を追っていくことで、失われたところにどんな内容が書いてあったのかを予想できることがあるんです。
――私は、『岸辺露伴は動かない』1巻を初めて読んだ時には、第5話だけが浮いているように感じられたんです。それが、こうして表で整理してみると他の物語とも繋がっているというのは面白いと思いました。
植:第5話の『岸辺露伴、グッチへ行く』は雑誌『SPUR』に掲載されたお話ですね。これはファッションブランドGUCCI(グッチ)と『SPUR』と、『ウルトラジャンプ』のコラボ企画からはじまった作品だそうです。そのため他の露伴シリーズとは趣向が変わるわけですが、そういった条件の中でも「露伴らしさ」を失わず、ちゃんと全体の物語の中に組み込まれているのは、すごいことです。そしてこの5話だけにしかない設定によって、露伴の性格や行動理念がはっきりわかる仕組みになっていました。
――配列といえば、本書の構成をご相談した時に、章の配列に特に気を配られている印象がありました。
植:この本は6章立てですが、1章・2~5章・6章、という3つのグループに分けられるように並べました。2~5章がゆるく繋がっているイメージです。
最初に来る1章では、本書のテーマである「伝承文学、運命、怪異」という3要素を大きく打ち出したいと思っていました。そうすると、『岸辺露伴は動かない』についての章を1章にするのがいいだろうな、と。
『さんかく窓の外側は夜』についての2章、『ゴールデンカムイ』についての3章は、「死者」というテーマで繋がっています。私のもともとの研究対象は「死者が出てくる話」なので。
ただ、死者と一口に言っても、「魂(触れないもの)」なのか「死体(触れるもの)」なのか、また死体の中にも、腐った死体もあれば、生きている人間と区別のつかないきれいな死体もあって、どの状態で出てくるのかによって、物語の意味は大きく変わってくるんです。私は「外見は人間とよく似ているのに、ヒトではないもの」に関心があって、それらと「生きている人間」「普通の人間」との違いを意識しながら研究をしています。
「生きた人間とよく似ているのに、ヒトではないもの」が出てくるという点では、4章の『HUNTER×HUNTER』キメラ=アント編も、5章の『鋼の錬金術師』も、前の章と繋がっています。
――まさに、この本自体にも「配列論」で読む面白さが隠されていますね。
植:「感情」というテーマも各章の配列にかかわっています。1章で扱う『富豪村』は岸辺露伴と神々とのバトルを描いた物語ですが、神様って「感情がわからない」存在ですよね。
「相手の感情がわからない」という1章の話を踏まえた上で、2~6章は、「生死の岐路に直面したとき、キャラクターたちはどのような感情を抱くのか」ということに注目しました。人間と人間以外のモノを比較するのに、「感情」は重要な要素です。
こんなふうに本書では各章をひとつのテーマを軸にして単純に並べるのではなく、色々なテーマに沿って絡み合うように繋げ、最後の6章に向かっていくように配置しています。
――どのマンガを取り上げるかご相談した際、多彩なジャンルの作品を挙げていただきました。どのような方針で作品を選ばれていたのでしょうか。
植:「怪異が出てくるもの」を中心に選びました。私の研究は「怪異が出てくる話」なので、自分の専門を外れると説得力が弱まってしまうこともあり、専門外のものは好きな作品であっても選ばないようにしています。
――本書に登場するマンガの中で、『岸辺露伴は動かない』や『鬼滅の刃』は伝承文学に通ずる要素があるように感じます。ただ、他の作品は伝承文学と結びつくイメージがなく、ラインナップを拝見した時は意外に思いました。
植:私の専門が、伝承文学研究の中ではあまり王道ではないからかもしれませんが。たとえば、5章の『鋼の錬金術師』に出てくる「錬金術」も、私の研究対象なんです。
ヨーロッパの民間伝承といえば、グリム兄弟が採録したグリム童話が有名ですよね。私は伝説が専門ですが、童話や昔話をベースにした現代の作品でも、奇妙なこと、怖いこと、不思議な技などがテーマの作品をメインで扱っています。
ただ、作品選びでいちばん気を配ったのは、本全体で見た時に、各章にうまく関連性を持たせられるか、という点かもしれません。取り上げる作品のどの要素に 注目するかでも、その章のテーマは変わってきますから。
――ご専門の研究分野について、詳しく教えてください。
植:ドイツと日本の伝説について、怪異をテーマに研究しています。「伝説」というのは、いわゆる長編の物語や創作話とは異なり、「事実がもとになった話」という体裁で記されている短い話です。
日本の説話では、平安時代や鎌倉時代あたりの仏教説話に関心がありますが、私は『今昔物語集』と『宇治拾遺物語』を扱うことが多いです。
――ドイツと日本では、文化も違いますし、説話のタイプも違うのではないかと思うのですが、どのようにその二つを結びつけられているのでしょうか。
植:ヨーロッパの伝承文学研究では、グリム兄弟の業績がとても大きいんです。そこから始まって、色々な研究が花開いていくイメージです。日本もそうした研究手法を輸入してはいますが、説話研究では日本独自の方法も発展しています。
ドイツでは、第二次世界大戦後、ナショナリズムとの関連が指摘されて 、文学分野で神話や伝説の研究が停滞した時期がありました。もとの「伝説集」の中身をバラバラにして、それぞれの話が単に資料のひとつとして扱われるようになったり。たとえば「こびと」の話があったら、色々な箇所に配置されている「こびと」の話をあちこちから集めてきて、「こびと」という存在を説明するための資料としてまとめてしまう。事典の項目みたいな扱いですね。文学的な「伝説の配列」の味わいは無視されます。そうすると、『ドイツ伝説集』などが本来持っていた世界観が崩れてしまうわけです。
そんな中で、日本の説話研究の配列論を参考にするようになりました。日本の説話研究には一冊の本の流れを分析する手法があったので、これをドイツの伝説の研究に持ち込めば、新しい見方ができるのではないかと。
――それで、日本の説話研究の手法で、ドイツの伝説集を研究してみようと考えられたんですね。
植:ヨーロッパの伝承文学研究では、物語の配列をあまり重要視しないこともあると思います。一次文献に該当する色々な「伝説集」自体、配列を意識していない編集のものがたくさんあるので。「巨人について」「悪魔について」「魔法について」のように、怪異現象の中身やモティーフについて研究する場合は、確かに配列論は必要ありません。
でも、私はあくまで「文学として」伝説を研究しているので、小さな物語が連なることによって出てくる味わいを大事にしたいと思っています。誰かが編纂した作品集を、あとの時代の人が勝手に切り貼りして復元したとしても、それはもう違う作品集ですよね。元の作品集を生み出した編者や著者に敬意を払いたいなと思います。
――編集作業中はよく打ち合わせをさせていただきました。作品についてのお話も多く、話し合うことで読後体験を共有できるというのは、作品の考察が持つ魅力だと思います。
植:毎回、わあわあ言い合いながら打ち合わせをやりましたよね。「それは違うんだ!」とか言いながら(笑)。
マンガを読む時には、皆さん、自分にしかできない読み方をされていると思います。個人的な思い出とか、日々感じているつらいことや嬉しいことを、ストーリーやキャラクターの心情に結びつけて読みますよね。そうやって、自分自身の気持ちに引きつけて読むのがいちばんいい読み方ではないかと思います。
ただ、私は研究者なので、客観性を欠かないように気をつけています。ただそれでも、マンガのどの部分、どのエピソードに注目したか、というのは、やはり私自身が人生の中で大事にしているものが自然と表れてくるのではないかと思います。
――この本を読むにあたって、読者の方に注目していただきたいポイントはありますか。
植:『鬼滅の刃』について取り上げた6章でしょうか。作品のファンの方には、「柱」についての説明をぜひ飛ばさずに読んでいただきたいです。すでに皆さんご存知の内容もあって、長いのですが。
――6章では、鬼殺隊の「柱」についての解釈で、9人の「柱」それぞれの人物像についての説明を詳しく書いていただいていますね(本書210~215ページ)。
植:あの説明は、実は目で追うだけだと面白くないんです。口に出して読んでみると、「柱」が好きな人にだけわかるようにメッセージを入れたつもりです。
――いいことを聞きました。口に出して読めばいいんですね。
植:そうです。好きな「柱」の説明からまずは先に読んでいただけたら。
――最後に、読者の方にお伝えしたいことがあれば教えてください。
植:今回の本に登場するマンガのキャラクターたちへの思いというのは、読者の方それぞれにあると思います。明らかな誤読には気をつけねばなりませんが、どの解釈も、読み方も、これが間違っている、これが正しい、ということはないんです。この本を通して、マンガを読む楽しさをあらためて感じてもらえればと思います。
(文=平凡社編集部・安藤優花)
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