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チェーン店にもセレクトショップの要素を “シビックプライド”が持てる棚づくり:くまざわ書店 八王子店

記事:じんぶん堂企画室

「くまざわ書店 八王子店」人文書担当の磯前大地さん
「くまざわ書店 八王子店」人文書担当の磯前大地さん

人文系出版社の営業職から書店員へ

「人文書担当といっても、1階の新刊・話題書も、同じく5階にある資格書、経済書なども担当しています。当店の規模ですと、基本的には全体にコミットした上で担当を持つ、という印象です」

 そう話すのは、くまざわ書店 八王子店の磯前大地さん。入社8年目で、千葉県内の店舗を経て、2018年に八王子店に着任した。これまでにコミック、理工、コンピューター、医学看護、文芸、ビジネス、語学などと、さまざまな分野を担当してきた。さらに遡ると、磯前さんは書店員になる前は、藤原書店という人文系出版社の営業職をしていた。

「くまざわ書店 八王子店」を象徴する谷内六郎さんのタイル画は、駅前ロータリーの陸橋からよく見える。
「くまざわ書店 八王子店」を象徴する谷内六郎さんのタイル画は、駅前ロータリーの陸橋からよく見える。

「出版社から書店に転職したのには、2つの決め手がありました。在籍中に石牟礼道子さんの映像作品『花の億土へ』の担当をして、映画館や市民団体の方たちとタッグを組みました。出版社は仕事上、業界では川上に位置するのですが、読者により近い川下の位置に立ち、彼らと直接やりとりをして格闘している人たちがいることに非常に感銘を受けたことが一つ。もう一つは、書店営業としてくまざわ書店にも足を運んでいて、ここは一般書や話題書に、教養書などを混ぜ込んで“異種混合的”な売り場を作っているのが印象的だったということです」

 くまざわ書店は全国で展開するチェーン店で、話題の新刊や売れ筋など一般向けを意識した品揃えが基本だ。しかし、そのチェーン店の空間に、長く支持される定番書や価値のある教養書などを織り交ぜることで、どちらの本も両立的に売っていこうという会社の明確な方針があった。磯前さんがそのことを知ったのは入社後だったが、いち書店営業としてくまざわ書店の品揃えに感じていた魅力は間違っていなかったということになる。

駅前の一等地に建つ。1階は新刊や雑誌、話題書のフロアで、多くの人が店に吸い込まれていく。
駅前の一等地に建つ。1階は新刊や雑誌、話題書のフロアで、多くの人が店に吸い込まれていく。

宗教学者である父の影響

 磯前さんにとって、人文系の書籍は、幼少期から身近な存在であったという。というのも、父が宗教学者の磯前順一さんだったからだ。

「宗教学だけでなく、哲学などさまざまな蔵書が自宅にはたくさんあり、遠藤周作など日本の戦後文学をよく読んでいました。もちろん、ずっと人文書ばかりを読んできたわけではなく、マンガを読み、テレビゲームをしたりする時間もほかの人より多くありました。身近にあった人文学への反発もありましたが、フランスの社会学者ピエール・ブルデューがいうように、文化資本が再生産されていた可能性は否めません」

 大学時代に学んでいた教授の専門がイギリス近現代史で、実証主義を中心とした講義が多かったという。しかし、磯前さんはそこに違和感も覚え、違うモノの見方ができるのではないかと模索している時に、20世紀に大きな影響力を持ったフランス現代歴史学の潮流のひとつ「アナール学派」の歴史家フェルナン・ブローデルやアラン・コルバンに興味を持ち始める。

磯前さんの得意分野なだけあって、「哲学・思想」棚の充実ぶりは目を見張るものがある。
磯前さんの得意分野なだけあって、「哲学・思想」棚の充実ぶりは目を見張るものがある。

「アナール学派の全体の中で個を位置づけるようなモノの見方に憧れを抱くようになりました。また、デリダやフーコーなどに代表されるフランスのポスト構造主義にも興味がわき、哲学に傾倒していきました。特に、西洋哲学の軸となる考え方が、どちらかに優位性がある『二項対立』であることを見出した上で、実は片方の要素の中にもう片方の要素も潜んでおり、それによって一方に優位性が与えられるという考え方を解体する戦略を脱構築と呼んだデリダには大きな影響を受けました」

「チェーン店のあり方も変容できる」

 くまざわ書店というチェーン店で話題書やエンタメ書、教養書や専門書など、分野を超えてさまざまな本を扱ううちに、「エンタメ本/教養書」というように、つい二項対立的にとらえがちになっていることに、磯前さんは気づく。

「人は問いを立てる時に、例えば、男/女、現実/夢、多様性/単一性などのように、差異や二項対立を前提とし、そのどちらかに優位性を与えがちです。ともすればそこにネガティブな感情が生じてしまうこともありますが、一見違うように見えて実は共通点がある、あるいは相互補完的であるというようにとらえれば、実はもう少し前向きな見方ができるのではないでしょうか。チェーン店/セレクトショップという二項対立も同じで、チェーン店の中にもセレクトショップの要素があってもいいし、くまざわ書店では、それを実践していると言えるのではないかと」

5階の人文書コーナー。平台では柄谷行人さんのフェアを展開している。
5階の人文書コーナー。平台では柄谷行人さんのフェアを展開している。

 近年、全国的に書店数が大幅に減少し、amazonに代表されるようなネット書店の台頭が著しい。リアル書店/ネット書店という二項対立についても同じことが言えるのではないだろうか。

「くまざわ書店は前提としてチェーン店ではありますが、セレクトショップの要素も内に秘めています。ここをうまく編集することで、従来のチェーン店のあり方も変容できるのではないでしょうか。また、歴史学者の網野善彦さんが、百姓とは単に農民のことではなく、さまざまな技術や能力を持った数多の職能民であると説いているのですが、書店員も職能を持った仕事の一つ。書店仕事のルーチンや時制に流されたネガティブな動きをするだけでなく、根本的な職能の部分にもっと光を当てていくべきだとも思っています」

八王子という地域を知り、“シビックプライド”を持つ

 そんな磯前さんが5階で展開する人文書コーナーでは、現在約13,000冊を扱っている。新刊もただ並べるだけではなくて、その新刊の文脈に連なる定番書や既刊書を絡めて並べることで、それらの本にもスポットを当てたいと考えている。もう一つ、大きな特徴を挙げると、八王子という土地にまつわる書籍が多いということだ。

八王子や多摩地区に関連した書籍はかなり充実している。
八王子や多摩地区に関連した書籍はかなり充実している。

 現在、フェアとして展開しているのは、哲学者の柄谷行人さん。柄谷さんは八王子市にある長池の畔で「長池講義」という自由講義を主催しているという縁がある。また、昨年から展開しているのが、八王子にある創価大学文学部とのコラボで実現した「シュリーマン生誕200年記念 学生選書コーナー」だ。シュリーマンは、ギリシャ神話に登場する伝説の都市トロイアの遺跡を発見した考古学者で、世界一周旅行で横浜に寄港した1865年6月に、織物産業や街並みを見るため、八王子を訪れたことが明らかになっている。

「シュリーマン生誕200年記念 学生選書コーナー」
「シュリーマン生誕200年記念 学生選書コーナー」

「これは創価大学文学部さんから提案を受けて実現しました。もともと、八王子に住んでいる方々は街の歴史をとても大切にしていて、日頃から郷土史関連の本はよく売れていました。ちょうどコロナによって社会全体が落ち込んでいる時期で、人々の不安による“寄る辺のなさ”を感じていた時期でもありました。そうした時に、同じ地域の人間である大学生が選書した本が並んであり、実はシュリーマンが八王子を訪れていたという事実が“シビックプライド(街に対する市民の誇り)”をもたらすことで、少しでも不安が和らぐことにつながるのではないかと考えました」

 学生による選書は、シュリーマンが発掘に関わった古代ギリシャ関連の本や、彼が習得したといわれる18カ国もの言語にまつわる本はもちろんのこと、八王子を訪れた時期と重なる幕末の本や料理本、漫画本など多岐にわたり、磯前さんが思いもよらないような選書になったという。

創価大学文学部の学生たちによる手描きのPOP
創価大学文学部の学生たちによる手描きのPOP

「創価大学の学生さんは、地元のつるや製菓の都まんじゅうに焼き印を押した『シュリーマン』というおまんじゅうもコラボして作ったのですが、つるや製菓さんの店舗にもこの選書コーナーのポスターを張ってもらったところ、大勢の人たちが5階の売り場まで足を運んでくれました。フェアについては、いつもは店舗の1階でポスターを貼って告知しているのですが、書店の外でもアプローチして、店に来てもらう工夫をもっとしていきたいと感じました」

「不安と主体」を考える

 磯前さんに人生で影響を受けた本を尋ねると、やはり『デリダ 脱構築と正義』(講談社学術文庫)と『散種』(法政大学出版局)を挙げた。

「『散種』に『プラトンのパルマケイアー』という論文があるのですが、この中でデリダはパルマコンという言葉に注目します。薬だけでなく、毒という意味も持つパルマコン。薬は体に良いものですが、飲み過ぎると毒にもなります。このようにAとBのどちらかを単純に選択するのではなく、Aのなかに実はBが潜んでいる、BのなかにもAが潜んでいるというように、従来の分割を問い直す考え方に大きな影響を受けています」

 5年前に八王子店に異動になるまでは、八王子とは縁もゆかりもなかった磯前さんが、八王子という土地に興味を持つきっかけになった本が、『増補新版 牛頭天王と蘇民将来伝説: 消された異神たち』(作品社)だ。

「牛頭天王は、江戸時代まで庶民や被差別的な立場にあったひとたちから日常的な信仰対象となっていたインドにルーツを持つ神のこと。防疫、疫病退散の一面を持ち、牛頭天王の8人の子どもである八王子神は、八王子の地名の由来としても考えられています。その信仰の歴史は八王子に限った話ではないのですが、人々が自発的に信仰していた牛頭天王は、民衆主体の歴史の一つとして掘り起こす価値があり、この本をきっかけに八王子の歴史をより知りたいと考えるようになりました」

 磯前さんがぜひ手にとってほしいと挙げたのは、『民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代』(中公新書)、『ええじゃないか 民衆運動の系譜』(講談社学術文庫)、『「鬱屈」の時代をよむ』(集英社新書)、『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』(光文社古典新訳文庫)だ。

「資本主義による分断が顕著となり、コロナが蔓延するような不安の時代に、それに対するある種の“薬”としてしっかりとした自分を持つ――、主体化を図れるような、自信を持てるような地域の歴史を提示したいと思い、地域の歴史に焦点を当てた本に力を入れています。ここで挙げたのは、人と不安の関係について論じた本で、いつの時代であっても、こうした不安を軽視することなくとらえていくべきだと感じています」

 人文書フロアは同店5階にあり、人文書に興味のない人たちを5階まで誘導するのは容易ではないように思える。しかし、そこにはチェーン店ならではの強みがあった。

「実は就職資格の本や経済書、教育関連の本も同じ5階にあります。だから、人文書とは別ジャンルの本を探しに来た人が5階まで来てくれるんですね。大学の授業で必要な本を買いに来た人が、ジェンダー関連の棚を見たり、教育書を買いに来た学校の先生が歴史の本を買うなど、相乗効果が散見されます。私自身もまた、フェアの選書で間口を広げたり、地域に関連した本を置いたりすることで自分に関係があると思ってもらう工夫をすることで、人文書に興味のない人にまでアプローチできたらと実感しています」

 現在構想中のフェアは、地元の出版社である清水工房・揺籃社(ようらんしゃ)とのコラボ企画だ。歴史家・色川大吉さんの盟友で、自分史の源流といわれている「ふだん記」運動の創始者橋本義夫さんが創業に関わっている会社で、この橋本義夫さんに焦点を当てたいと考えている。

「庶民が生きた記録を残す運動を行っていた橋本さんは、民衆の主体について考えていた人で、地元・八王子に関わりがあります。2年ほど前からやりたいと考えている企画のため、年内か来年には実現できればと思います」

 不安がつきまとい、“寄る辺のなさ”を感じやすいいま、チェーン店の書店を舞台に、“脱構築”と“シビックプライド”をキーワードにした磯前さんの模索はこれからも続く。

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