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明治から令和へ 文豪が集った街の書店がリニューアルオープン:文京区・南天堂書房

記事:じんぶん堂企画室

「南天堂書房」代表取締役の奥村麻理さん
「南天堂書房」代表取締役の奥村麻理さん

出版社を辞め、店を支えるために戻ってきた

「私は会ったことがないのですが、祖父はもともと銀行員。脱サラで銀行を辞めて、南天堂書房を引き継いでやることになったのですが、その後すぐ、1944(昭和19)年に戦争に行ってしまって、サイパンで戦死。実質的には子どもを抱えた祖母がこの店を切り盛りしていたそうです。長男だった父も学生時代から店を手伝っていて、大学卒業後の1960(昭和35)年に店を継ぎました。当時は、祖母が社長でした。父(専務)が代表になったのは、1991(平成3)年です」

 そう話すのは、代表取締役の奥村麻理さん。そういう奥村さんも大学卒業後に約10年間出版社の広告部で働き、1996(平成8)年に店に戻ってきた。

ガラス張りで入りやすい雰囲気の外観
ガラス張りで入りやすい雰囲気の外観

「父に店に入ってほしいということは一切言われませんでした。でも、店が大変そうだし、何年か経ったら店に戻るんだろうなというのは、頭のどこかにあったと思います。妹も出版社で働いていましたが、約20年前に店に戻ってきて、一緒に働いています」

 奥村さんは文京区白山の生まれで、幼稚園時代は支店があった埼玉・草加で過ごした。小学校に入学するタイミングで再び白山に戻り、小学校高学年からは、店舗の上階で祖母と一緒に暮らし始める。

「私が小学生だった70年代後半は1、2階が店舗。店の規模は今とそう変わらないのですが、本がもっとたくさんあって、ぎゅうぎゅうに詰まっていたイメージ。休みの日には友達がうちに来て、コミックを立ち読みしたりして。のどかな雰囲気で、お客様もいっぱい来ていた記憶があります」

店の片隅に、この地がかつて、多くの文豪や無名文士たちが集った場所であることを記したパネルが飾られている。
店の片隅に、この地がかつて、多くの文豪や無名文士たちが集った場所であることを記したパネルが飾られている。

 奥村さんの祖父がこの店を継ぐもっと前まで歴史を遡ってみよう。明治期にはここに書店があり、大正時代に1階が西洋の雰囲気を模した書店、2階がカフェ、レストランの3階建ての店舗が建てられた。当時としてはモダンで斬新だったことから、多くの詩人や作家が通い、コーヒーをすすりながら人生や哲学を論じていたという。大杉栄、伊藤野枝、林芙美子、今東光、高見順、芥川龍之介、菊池寛、永井荷風、志賀直哉、川端康成などが、南天堂書房にゆかりがあるという記録も残っている。

衰退していく街の書店。建て替えを決意した直後、父が急逝

 昭和初期から混乱の戦時期を乗り越え、令和の今まで店を続けてきた奥村家。中でも麻理さんの父・弘志さんは、自分の店にとどまらない活動に注力した。近隣書店や出版社、取次などとも積極的に交流し、文京区の歴史や観光情報を網羅したガイドブックを作り、店で販売もしたという。

「父は店番なんかほとんどせず、積極的に外に出る人でした。この店は、街の本屋だけでは終わってはいけない。小さいけれどみんなで協力したら何かができるんじゃないかと、仲間を集めて、一緒に動くのが好きな人でした。だから、この店がリニューアルオープンした時も、本当に多くの方々が『よかったね』と声をかけてくださいました。父が築いた人脈を、私も大切にしたいと思っています」

全体が見渡せる、明るい店内。通路も広く、店内を回遊しやすい。
全体が見渡せる、明るい店内。通路も広く、店内を回遊しやすい。

 しかし、家族経営の小規模な街の書店の経営は決して楽なものではなかった。同店では、店舗販売だけでなく、近隣学校の教科書を扱うなど外商部門もあったが、店舗の売り上げは減少していった。2014年にはコミックや学習参考書を並べていた2階をリニューアルして、Gakkenと協業し、「学研南天堂教室」を開設した。その後、再開発の話も持ち上がり、反対の声もあったが、最終的には父・弘志さんが店舗の建て替えを決意。建物が完成するまで3年かかるため、2020年7月末にいったん閉店したあとは仮事務所で外商の仕事を続けることになった。3年後に再びこの地でリニューアルオープンすることを記したはがきを関係各所に送った直後の同年8月、弘志さんが急逝してしまう。

「80歳を過ぎていて病気もありましたが、父自身が3年後もまたやると言っていました。それが急に容体が悪くなってしまって……。びっくりしましたけど、私たちがやるしかないなと」

 店舗を休業している3年間、外商の傍ら、時間をつくっては都内や地方の独立系書店やさまざまな図書館、美術館などを巡り、新たな店舗の構想を練っていった。

「独立系と言われている書店には結構行きました。うちは街の書店で、買い物のついでに立ち寄り、特に目的の本がなくてもなんとなく一周するような店。雑誌や話題書、絵本や児童書などをまんべんなく揃えるスタンスなので、独立系書店のように選書のこだわりを押し出すような感じではありませんが、おすすめの本は1冊でも平置きや面陳にして見せる方法など、参考になることはたくさんありました」

店の中央部分に設置された、アイランド型レジカウンター。客はどの方面からもスタッフに声をかけやすく、スタッフもまた、店内の様子が一望できる。
店の中央部分に設置された、アイランド型レジカウンター。客はどの方面からもスタッフに声をかけやすく、スタッフもまた、店内の様子が一望できる。

 リニューアル後の店の象徴とも言える、アイランド型レジカウンターは、図書館や美術館を巡っていてひらめいたアイデアだった。しかし、「四方から見られるのでスタッフが緊張する」「中央にカウンターを置くと、本を置く棚のスペースが減る」などといった理由で周囲から反対の声も上がったという。

「言われてみればそうかなと思いました。カウンターが壁際の隅の方にあれば、中で雑誌に付録をセットするなどの作業ができますし、片隅に少々段ボールを積んでいても目立たないという便利なところもありました。でも、せっかくリニューアルするのだから店の印象を変えたかったんです。何より、この方が、お客様に対してウェルカムな感じが出せるんじゃないかと思って」

「ずっと待っていた」 地域住民の声に感動

 いざ、店の中心にアイランド型レジカウンターを作ってみたところ、スタッフが緊張したのははじめだけですぐに慣れた。店全体を見渡せるようになったことから、客の動きが見えやすくなり、フォローもしやすくなったという。また、客もスタッフに声をかけやすくなったのか、コミュニケーションが増えるといういい効果ももたらされた。

「父はずっと、店はとにかく明るく、入りやすくしろ、と言い続けてきました。アイランド型レジカウンターで棚は減りましたが、低い棚を配置することで入り口から奥まで見渡せるし、通路も広いのでベビーカーを押したご家族なども入りやすくなりました。父の教えは、リニューアル後のお店で踏襲できたかと。また、父がいなくなった今、私がこの店にいる時間が長くなるので、私自身がここにいて居心地がいいと思える空間にしたいという気持ちもあって、それも果たすことができました」

 満を持して3年ぶりに店を再開すると、顔見知りの常連客はもちろんのこと、さまざまな客が「ずっと待っていた」「本屋がなくなって困っていた」「再開してくれてよかった」などと声をかけてくれたという。2020年の新型コロナウイルス感染拡大のタイミングで閉店したため、コロナの影響で廃業してしまったと勘違いしていた人もいたようだ。

店のこの看板や、スタッフが着用しているエプロンは藍染めのもの。奥村家はもともと徳島の藍商人で、親族が今も徳島で商いをしている。リニューアルに当たって、徳島の天然本藍を使った看板やエプロンを作ってもらった。
店のこの看板や、スタッフが着用しているエプロンは藍染めのもの。奥村家はもともと徳島の藍商人で、親族が今も徳島で商いをしている。リニューアルに当たって、徳島の天然本藍を使った看板やエプロンを作ってもらった。

「私は本屋が実家なので、本屋がなくなって不便といった感覚がいまいちわからなくて……。でも、みなさんにそこまでよろこんでいただけて、ちょっと感動しました」

 リニューアル後は、自然光がたっぷりと入る明るい店内で、モスグリーンやベージュの棚といった洗練された雰囲気も相まってか、以前よりも幅広い年齢層の客が訪れるようになった。中でも増えたのは、小さい子どものいるファミリー層で、児童書や絵本などの冊数を増やして棚をより充実させたほどだ。児童書コーナーの奥は、Gakkenとカワイピアノの教室が入っているため、子どもの往来も多いという。

「書店と奥の教室の間に少し開けた共有スペースがあるので、ここで教室と一緒に読み聞かせや小さなイベントができたらいいな、と思っています」

児童書や絵本のコーナー。奥のフェア台では、クリスマスにちなんだ絵本を取り揃えている。休日にもなると、家族連れで本を選ぶ姿もよく見られる。
児童書や絵本のコーナー。奥のフェア台では、クリスマスにちなんだ絵本を取り揃えている。休日にもなると、家族連れで本を選ぶ姿もよく見られる。

 同店の棚に目を向けると、入り口の近くには雑誌や新刊、話題書などが並び、趣味や料理などを中心とした実用書、小説、コミック、絵本や児童書などがコンパクトにまとまっている。駅やスーパーなどに向かう途中で、ふらりと立ち寄り、ぐるりと一周するのを日課にしたくなるような手頃さがある。

父・弘志さんが昭和の時代に作った、「南天堂書房」の広告を集めたブックカバーや袋。このブックカバー目当てでたくさん本を買ってしまいたくなる。
父・弘志さんが昭和の時代に作った、「南天堂書房」の広告を集めたブックカバーや袋。このブックカバー目当てでたくさん本を買ってしまいたくなる。

「ここは書店ではあるけれど、その前に商店としてお客さんに気持ちよく買い物してほしい、何か目的の本があるわけではないけど、ふらっと気軽に入ってみたくなる棚であることを第一に考えています。私自身、そこまで深い読書家というわけではないのですが、書店員の私たちが『あまり興味がない』『難しそう』と敬遠していてはよくないので、出版社の人からおすすめ情報を直接聞いたり、作家さんの講演会や対談などにも顔を出したりしてさまざまなことを吸収し、そういった“熱”をお客さんにも届けられるようになりたいと思っています」

信頼できる情報源を集めた、安心できる空間で

 そんな奥村さんに、おすすめの本を何冊か挙げてもらった。1冊目は、「ミナ ペルホネン」のデザイナー・皆川明さんが創業25周年を迎えて初めて明かす、これまでの人生と、はたらくことの哲学について記した『生きる はたらく つくる』(つるとはな)だ。

「もともと皆川さんには興味があって、『ミナ ペルホネン』の代表として、たくさんの素敵なものに囲まれ、すごく華々しい印象がありました。でも、これを読むと、魚河岸でアルバイトをしながらブランドを立ち上げ、実直に働き、生きてきた人だということがわかりました。その向き合い方やシンプルな考え方に感動したんです。私も真面目に働こうと思いました(笑)」

『街道をゆく 37 本郷界隈』(朝日文庫)は、地元にまつわる本を集めた棚の定番書だ。司馬遼太郎が本郷界隈を巡り、夏目漱石、森鷗外、樋口一葉など、この街を愛した文豪が書き残した面影をたどった一冊だ。

「父の代から、白山や谷根千、本郷などの地元に関する本を揃えていました。これもそのうちの一冊です。地元の人に『やっぱり読んでみたい』とよく言われますし、当時と今は雰囲気が変わってしまったかもしれないけど、地域の書店としてこうした本を今後も大事にしていきたいと思っています」

 荻窪にある独立系書店「Title」の店主・辻山良雄さんが執筆した『増補版 本屋、はじめました』(ちくま文庫)は、リブロ池袋本店マネジャーを勤めた辻山さんが、自分の店を開業するまでのすべてを記録した本で、奥村さんも店づくりの参考にしたという。

「実はまだ、お店には行けていないのですが、街の書店として、辻山さんの考え方やお店のあり方についてとても勉強になりました」

『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』(朝日選書)は、京都で開催された、本書の著者で平安文学研究者の山本淳子さんと作家・角田光代さんの対談で知った一冊で、早速店で取り寄せたものだ。

「角田光代さんは前から大好きな作家さん。『京都ブックサミット』というイベントで対談をするというので行ってきました。角田さんが現代語訳『源氏物語』(河出文庫)を完成させるまで、他の仕事を断って5年間没頭して取り組んだ、ということを聞いて驚きました。そういうエピソードを聞くと、書店員としていっぱい売りたい! と思ったんです。その角田さんが、面白い本としておすすめされていたので、私も店に入れてみました」

 錚々たる作家や詩人が集い、哲学や生き方について論じた大正時代から、幅広い年齢層の地域住民にとっての普段遣いの店となっている令和の今、その役割は時代に合わせて変わってきたが、「南天堂書房」という看板は変わらず、今もこの地に存在し続けている。

「今はインターネットでなんでも調べられる時代ですが、情報が多すぎて、どれが信頼できるものかわからない側面もあります。一方、本や雑誌はある程度以上の信頼できる情報源であり、書店にはそれがいっぱいあります。安心して入ってきてもらえる空間として、これからもここで存在し続けられたらと思っています」

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