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不朽の名作『レ・ミゼラブル』は、なぜ近代市民社会の「神話」となりえたのか?[後編]

記事:平凡社

ミュージカル『レ・ミゼラブル』上演中のThe Palace Theatre
ミュージカル『レ・ミゼラブル』上演中のThe Palace Theatre

[前編はこちらから]

ミュージカル『レ・ミゼラブル』と、その映画化作品の大成功

 『レ・ミゼラブル』のアダプテーション、とりわけ、演劇・映画・テレビドラマへのアダプテーションも、これらのすべてを網羅的に把握することが不可能なくらい、枚挙にいとまがない(作品の一部分のアダプテーションまで含めれば、数え切れない)。[中略]

 結果的にはソヴィエト連邦崩壊、冷戦終結後の現代社会に『レ・ミゼラブル』の世界が通底すること、そして、そのような通底と齟齬をきたしかねない秀逸なエンターテインメント性を備えた作品として特筆すべきは、ミュージカル『レ・ミゼラブル』、さらには、そのミュージカルの映画化作品である。[中略]1985年の初演以来、ロンドンで30年以上ロングランを記録し、ミュージカルの本場アメリカ・ブロードウェーをはじめ世界43ヶ国で上演されて、6000万人以上の観客を動員している(『レ・ミゼラブル』映画プログラム、2頁)。日本でも1987年の東京・帝国劇場での初演以来、大阪、名古屋、福岡などでも上演され、2005年には上演回数2000回を達成した。日本での観客動員数は総計400万人を超えている。

 2012年には、このミュージカルがトム・フーパー監督、ヒュー・ジャックマン主演で映画化され、世界的な大ヒットとなった。日本では12月22日、23日、24日の先行公開、28日のロードショー公開から翌年の3月17日、日本公開13週目までの数字で、観客動員数455万6222人、興行収入55億6555万2250円を記録した(この映画の映画館販売用プログラムに原作解説を依頼され、執筆した関係で、配給会社から数字をいただいた)。これはこの3月17日の時点で当時の日本における2013年全公開映画のなかで興行収入ナンバー・ワンであった。全興行収入は『オペラ座の怪人』の40億8400万円を10億円以上凌駕して、58億9000万円に達し、日本で公開された外国ミュージカル映画の歴代1位とのことであった(2021年・帝劇ミュージカル『レ・ミゼラブル』公演、東宝公式ホームページ)。

 このように刊行当時から現代に至る原作、そして、その各種アダプテーションのポピュラリティは途方もなく、計り知れなく、並はずれて、他に類を見ないものである。

『『レ・ミゼラブル』包括論――世紀を越える神話創造』(稲垣直樹著・平凡社)
『『レ・ミゼラブル』包括論――世紀を越える神話創造』(稲垣直樹著・平凡社)

一般読者の熱狂とレアリスム作家による酷評のギャップ

 ところで、原作刊行当時に興味深い現象がある。1862年当時のユゴーはすでにフランスを代表する、ある種、国民的文学者のステータスをもって文壇のみならず出版界に君臨する存在であった。そのようなステータスがあったからこそ、ラクロワは高額の出版権料を最初から約束し、事実、『レ・ミゼラブル』は刊行と同時に一般読者の熱烈な支持を受けて、驚異的なベストセラーとなったのだった。その反面、当時小説の主流であったレアリスム(フランス文学を対象としているので、本書では英語realism ではなく、フランス語réalisme の片仮名表記「レアリスム」を用いる)の作家たちからは、詳しくは後述するが、『レ・ミゼラブル』は酷評された。ここでは、ギュスタヴ・フロベールの「この本には真実も偉大さも私は見出さない。文体はと言えば、故意に不正確で低俗になっていると私には思える」(エドマ・ロジェ・デ・ジュネット宛1862年7月と推定される書簡)と、ゴンクール兄弟の「私たちにとって大きな失望だ、ユゴーの『レ・ミゼラブル』は」(『ゴンクール兄弟の日記』1862年4月の記述)のみを挙げておこう。

 一般読者の熱狂はいったいどこから来るのか。当時主流のレアリスム小説家たちの酷評の理由は何なのか。

 それは一言でいえば、この小説(一応、小説と言っておこう)が、一回限りの出来事、一度限りの人生を現実に忠実に跡づけるレアリスム小説として書かれたものではまったくなく、典型的な人物が典型的な物語を生き、それが繰り返されうる、ある種「神話」として書かれたからであった。「神話」mythologie とは共同体の構成員が共有すべき価値を体現する、共同体存立の物語である。1789年のフランス革命を経て、フランスは新たな「近代市民社会」となった。そのまったく新しい社会は「神話」を求め、「近代市民社会」が求める「神話」をユゴーは供給したのだった。だからこそ、『レ・ミゼラブル』は刊行当初から新しいフランス社会の構成員たちの共有するところとなったわけである。また、そのような「近代市民社会」が現代でも続いているために、『レ・ミゼラブル』は「神話」として現代に至るまで、アダプテーションによって繰り返されながら、その構成員たちに共有され続けている。「近代市民社会」が、ヨーロッパ文明の地球上のヘゲモニーに乗って多くの非西欧社会に広がり、その価値観と社会制度を共有する多くの他の非西欧諸国においても「神話」として機能するに至っていると考えられるのである。

 いかに「近代市民社会」の「神話」として『レ・ミゼラブル』が創造され、翻訳や諸芸術分野のアダプテーションを通して、いかに世紀と地域を越え、ある種グローバル規模の「近代」の「神話」となりえたか。創造と再創造(アダプテーション)を時代と文化圏を越えて縦断的に解析することで、『レ・ミゼラブル』という稀有な作品を可能な限り包括的に捉えようというのが、本書の狙いである。[後略]

*WEB掲載にあたり、注を割愛/算用数字に変更しています。

『『レ・ミゼラブル』包括論――世紀を越える神話創造』目次

序論
第一部 「神話」成立に向けて 
 第一章 時代背景――近代市民社会とその基本的特質
 第二章 作者ユゴーの社会的ステータス
 第三章 レアリスムの時代の「神話」創造

第二部 「神話」としての『レ・ミゼラブル』
 第一章 背景としてのシンクレティズムと『聖書』
 第二章 「鏡」と「神のシナリオ」
 第三章 世界の再生へ

第三部 世紀を越える「神話」、その再創造
 第一章 日本におけるユゴーと『レ・ミゼラブル』
 第二章 二十世紀の『レ・ミゼラブル』、そして……

結論(まとめ、総括――歴史の展望とユゴーの史観からの照射)
あとがき

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