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不朽の名作『レ・ミゼラブル』は、なぜ近代市民社会の「神話」となりえたのか?[前編]

記事:平凡社

国葬によってユゴーの遺体が埋葬されたパリ5区のパンテオン(偉人廟)を、ノートル=ダム大聖堂の塔から望む(2002年9月撮影)
国葬によってユゴーの遺体が埋葬されたパリ5区のパンテオン(偉人廟)を、ノートル=ダム大聖堂の塔から望む(2002年9月撮影)

“『レ・ミゼラブル』の本の山が店じゅうを占領してしまっていたのです”

 フランス語にdémesuré という形容詞がある。mesure「尺度、標準」が動詞化したものの過去分詞に、否定・逸脱を表す接頭辞dé- が付いたもので、『ロベール仏語大辞典』(Dictionmaire Grand Robert )によれば、意味は「通常の尺度を超えた」である。その同義語ないし類義語には、énorme「並はずれた」、immense「広大な、途方もない」、incommensurable「計り知れない」、colossal「巨大な、途轍もない」、extraordinaire「空前の、常軌を逸した」などが挙げられている。ヴィクトル・ユゴーVictor Hugo(1802―85)の『レ・ミゼラブル』Les Misérables(1862)はまさにこのdémesuré が当てはまる、途方もない、計り知れない、並はずれた作品である。どのように途方もなく、計り知れなく、並はずれているか。まず、出版直後の反響から見てみよう。

 『レ・ミゼラブル』は全体で5部仕立てになっている。大部のため、各部が2巻に分かれて、全10巻で出版された。第1部「ファンチーヌ」は1862年3月30日にブリュッセルで出版、4日遅れて4月3日にパリで出版。第2部「コゼット」と第3部「マリユス」は同年5月15日にブリュッセルとパリで同時出版。第4部「プリュメ通りの牧歌とサン= ドニ通りの叙事詩」と第5部「ジャン・ヴァルジャン」は同年6月30日にブリュッセルとパリで同時出版となった。各部がブリュッセルとパリで出版されているが、これは出版社がブリュッセルの会社だったことが大きい(パリでの出版は、いうまでもなく、作者ユゴーがフランスの作家であるから)。

 第1部は出版から1週間経つか経たないかの4月10日にはその第1刷が売り切れになった。それから1ヶ月後の5月11日付の手紙で、パリ滞在中のユゴー夫人がパリの読者の熱狂ぶりをユゴーに次のように知らせている。

 こんな話を聞きました。いくつもの工場では、労働者たちが1フラン[現在の日本円で1000円見当]ずつお金を出し合い、12フラン[1万2000円見当]をカバンに入れて、『レ・ミゼラブル』を買いに行きます。みんなでくじ引きをして、籤に当たった者が、みんなが回し読みをしたあとに、『レ・ミゼラブル』を自分のものにするのだそうです。[……]遠くにおられたのではよくお分かりにならないでしょうが、『レ・ミゼラブル』は社会のありとあらゆる階層で比類ない感動を呼びおこしています。『レ・ミゼラブル』を手にしていない人は皆無といったありさまです。『レ・ミゼラブル』の登場人物たちは早くも典型的な人物とみなされて、何かにつけて話題にのぼるようになっています。登場人物たちを描いた絵は書店のガラスケースというガラスケースを飾り、街の至るところに貼られています。ヴィクトル・ユゴーの名前と今度のこの作品が砲弾となってパリじゅうを飛び交い、話題を振りまいているのです。

こうした追い風が前評判を煽るなか、5月15日に、第2部「コゼット」と第3部「マリユス」がブリュッセルとパリで同時出版された。パリで印刷業を営むユゴーの友人クレーがユゴーに書き送ったところでは、発売日、販売元の店先は次のような様相を呈した。

 朝の6時前から、販売元パニェールの店の前には、取次業者や書店の店員たちが群をなして詰めかけました。店先は押し合いへし合いの大騒ぎ。警察官まで出動しましたが、その甲斐もなく、順番争いの「文字どおりの戦い」が繰りひろげられました。[中略]
 図書販売の歴史をひもといてみても、こんなことはいままで一度もなかったことです。パリの住人もいままで一度もこんな光景にお目にかかったためしがありません。ここ、セーヌ通りの暢気のんきな商店主たちがあっけに取られて、口をぽかんと開け、いったい何ごとか皆目分からぬままに、わけを聞かせてくれと尋ねあうさまは見るからに愉快です……。昨日は昨日で、今日とは趣の異なった奇妙な光景が販売元パニェールで見られました。『レ・ミゼラブル』の本の山が店じゅうを占領してしまっていたのです。店じゅう所狭しと、『レ・ミゼラブル』の本が床から天井までびっしりとうず高く積まれ、たくさんの山になっていました。これらの本のピラミッドは、翌日の発売に欠くことのできない4万8000冊という厖大な冊数の『レ・ミゼラブル』でした。(1862年5月15日付ユゴー宛クレーの書簡)

累計発行部数500万部の一大ベストセラー

 このような前代未聞のベストセラーぶりは実は出版前から予測可能だった。それを見越した出版社とユゴーのあいだの『レ・ミゼラブル』出版契約自体が当時のスタンダードからして――さらには現代の出版状況からしても――途方もない、常軌を逸したものだった。

 『レ・ミゼラブル』を出版したのはベルギーのラクロワという出版社(詳細にはラクロワの共同経営者の名前を含むA. Lacroix, Verboeckhoven 社)であったが、そのラクロワとユゴーが1861年10月4日に交わした出版契約は、翻訳権を含めて12年間の出版権のいっさいを24万フラン(現在の日本円では2億4000万円見当)で売り渡すというものだった。ユゴーの備忘録とラクロワ宛書簡によれば、これに加えて60万フランを支払う口約束もあった。この口約束が表に出ないまま実行された可能性もユゴー研究者B・ロイヨはその著書『ヴィクトル・ユゴーが「レ・ミゼラブル」を出版する』(1970)で示唆していて、そうなれば合計で30万フラン(3億円見当)となる。

『『レ・ミゼラブル』包括論――世紀を越える神話創造』(稲垣直樹著・平凡社)
『『レ・ミゼラブル』包括論――世紀を越える神話創造』(稲垣直樹著・平凡社)

 その後、出版社が『レ・ミゼラブル』から得た収益を考えれば、これも法外に高い出版権料というわけではない。1862年の出版から1868年までの7年間だけで、ユゴーに払う出版権料から組版代、印刷代、紙代、人件費などまで必要経費いっさいを差し引いた純益として、51万7000フラン[5億円強]を出版社は手にした。このほか、販売店、取次店、運送業者等々の収益も考えると、出版後7年ほどだけで、『レ・ミゼラブル』の経済効果はおそらく10億円近くにはのぼっていただろう。

 この時代、出版部数はつかみにくいが、『レ・ミゼラブル』刊行の1862年からユゴー没年の1885年までのあいだに、エディションの数でいえば『レ・ミゼラブル』は16の異なるエディションを数えている。その後1886年から1914年は9種類のエディション、1915年から1939年は3種類のエディションと減る。だが、これが必ずしも出版部数の減少にそのままつながらないのは、このあと1960年から1984年までの25年間の『レ・ミゼラブル』の総出版部数が492万7185部と、500万部近いことにも見られる。ただ、このうち297万3208部は子ども向けの翻案などダイジェスト版ではあるが。それにしても『レ・ミゼラブル』が出版当初から並はずれたベストセラーであったのみならず、その後も19世紀、20世紀(そして、おそらく21世紀)を通しての一大ベストセラーかつロングセラーであることに間違いはないだろう。

*WEB掲載にあたり、注を割愛/算用数字に変更しています。

[後編へつづく]

『『レ・ミゼラブル』包括論――世紀を越える神話創造』目次

序論
第一部 「神話」成立に向けて 
 第一章 時代背景――近代市民社会とその基本的特質
 第二章 作者ユゴーの社会的ステータス
 第三章 レアリスムの時代の「神話」創造

第二部 「神話」としての『レ・ミゼラブル』
 第一章 背景としてのシンクレティズムと『聖書』
 第二章 「鏡」と「神のシナリオ」
 第三章 世界の再生へ

第三部 世紀を越える「神話」、その再創造
 第一章 日本におけるユゴーと『レ・ミゼラブル』
 第二章 二十世紀の『レ・ミゼラブル』、そして……

結論(まとめ、総括――歴史の展望とユゴーの史観からの照射)
あとがき

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