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流産の悲しみを、男の自分が語ってもいいのか? 『男の子をダメな大人にしないために、親のぼくができること――「男らしさ」から自由になる子育て』

記事:平凡社

Photo by Christopher Lemercier on Unsplash
Photo by Christopher Lemercier on Unsplash

ある日、トイレで叫ぶ妻の声が聞こえた

 本書の一番悲しいセクションへようこそ。このテーマについて経験不足だったらどんなによかっただろう。私の妻は合計8回の妊娠をして、3人の子どもを出産した。3回は無事出産。4回は妊娠初期と中期の流産。そして、1回はシレノメリア(人魚体奇形)のため医療措置としての流産だった。この時は夫婦関係が壊れかけたが、それはまた後で述べるとしよう。

 流産について話すのは、ほとんどの人にとって居心地が悪いだろう。でも必要なことなんだ。統計によれば妊娠の10〜20パーセントが流産に終わるという。これほど多いのに、流産について声を潜めて話しているのは、今でもほぼ女性だけ。とても残念なことだ。だって周囲の人間も、流産によって心が痛むのだから。

 私が27歳の時、[妻の]MJから父親になると告げられて、すごく興奮した。その日、MJにレストランに誘われた。そこで彼女は紙袋を投げてよこした。中に体温計のようなもの(でもそれは「妊娠」の文字が浮かび上がった体温計だった!)と、野球チーム、ボストン・レッドソックスの、世界一小さなユニフォームが入っていた。泣くまいとしたが、すぐに涙が堰を切って流れ出し、次の瞬間には感極まって泣きじゃくっていた。レストランの真ん中で私はひざまずいてMJのお腹にキスをした。そして泣きながら、「父親になるんだ!」とレストラン中に聞こえるように叫んだ(今思えば、他の客にとっては恐怖でしかなかっただろう)。[中略]

 その2週間後に起きたことは決して忘れられないだろう。トイレでMJがパニックを起こして叫ぶのが聞こえて、私はトイレに走った。トイレの中に落ちていたものが何であるかははっきり分からなかったけど、それが悪い知らせであることは、本能的に理解できた。最愛の人がひどく取り乱している時に、私は未知の恐怖と大きな無力感に包み込まれていた。今でも忘れられない。何一つ自分にできることはない。そしてこう考えていた。「ぼくはいったいどうすればいいんだ?」

『男の子をダメな大人にしないために、親のぼくができること――「男らしさ」から自由になる子育て』(アーロン・グーヴェイア著、上田勢子訳、平凡社)
『男の子をダメな大人にしないために、親のぼくができること――「男らしさ」から自由になる子育て』(アーロン・グーヴェイア著、上田勢子訳、平凡社)

 たいていの男は、危険や苦難に見舞われても、強く、寡黙で、ストイックであれと教えられてきた。幸運にも私の両親の場合、夫婦関係のコミュニケーターが父であったため、私は父をお手本にオープンで率直なコミュニケーション力を身につけることができた。父なら、私が自分の気持ちを正直にMJに伝えるべきだと思っただろう。でもその時の私はパニくって、奥深い潜在意識にスイッチが入り、原始人のDNAが頭を持ち上げた。そして「庇護者」モードに突入し、即座に妻をなだめるために問題を一つずつ解決しようとした。妻と病院に行き、何が起きたのかを知り、妻が大丈夫なことを確かめ、それから再び妊娠を試みるためにどう前進すればよいかを考えようとした。その週、私はおよそ1万回も妻に、「大丈夫?」と尋ねたにちがいない。素晴らしい家族や友人が、妻を思いやりと優しさで包んでくれたし、周囲の女性の多くが、これまで話したことのない自身の流産について話してくれた。それはある意味、精神浄化作用となり、メランコリーな美となって、何もできない私は、ただただ敬服するのみだった。正直言えば、妬ましい気持ちにもなった。

男の自分にメソメソする権利はない?

 男たちは、流産ということになると、まったく異常で、不安で、不確かな苦境に陥る。要するに、どんな役割を果たすべきなのか、どう行動すればいいのかが分からないのだ。私は妻のために自分がしっかりしなくてはと思っていた。つまり、自分にはメソメソする権利がないと思い込んでいたのだ。だって最終的には、彼女の体だし、体が受けた影響に対処しようとしているのも彼女のわけだし。彼女がこんなに苦しんでいるのに、自分のことをかわいそうだなんて思えるわけがない。それに私の悲しさは、どうあるべきなのか? 自分は本当に赤ん坊を失ったのか? その赤ん坊を悼むべきなのか? さらに言えば、もうそれは、赤ん坊と呼んでもよかったのか? 男の自分が、生存できなかった形さえない細胞の集まりのことを嘆いて泣いてもいいのか? 形どころか、まだ名前だってなかった。生きて息をしていた子どもを失った人たちを知っているが、とうてい彼らの悲しみと自分の悲しみを比べることはできない。それに、はっきり覚えているのは、当時、私に大丈夫かと聞いてくれた人はだれ一人いなかったということだ。尋ねてくれないということは、尋ねる意味さえないということなのだろう。だから私は自分の感情を内側に閉じ込めて、岩になった。それがMJの必要としていることだと思ったからだ。波の中の硬い岩、妻が寄りかかれる、感情をもたない、動かない物体になろうとした。

もちろんそれは、とても愚かな考えで、逆効果でしかなかった。

恐怖心を認め、助けを求めることは弱さじゃない

 実は、私は、期待が失われたことをひどく悲しんでいて、その憤りと失望が悪化して内側に閉じ込められてしまっていた。だれにも気づかれないと思っていたが、妻にはバレバレで、二人の関係にもかなりの緊張感が生じていた。ついに妻は私に真っ向から挑戦してきた。そして妻に無理やりカウンセリングを受けさせられて、この出来事が自分にとってどれほどのトラウマになっているかに初めて気がついた。このトラウマを現実だと認める罪悪感を乗り越えることができた私は、次にネットで父親業、妊娠、流産について語り合うグループを探した。そこで奇跡が起きた。

 ネットで仲間が見つかったのだ。ネットの匿名性のおかげかもしれないが、ネットのグループではこれまでになかったほど正直になれた。そして堰を切ったように、私は自分と同じ困難に直面したり、自分と同じような不安感や罪悪感に駆られたりしている、すべての男性たちと対話し始めた。この社会は歴史上に類がないほど繫がり合える社会だ。そんな世界に生きる世界中の男たちが――まだ「男らしさ」というちっぽけな箱から抜け出せず、「有害な男らしさ」や、弱虫だと思われる恐怖におびやかされている男たちが、そこにいたのだ。そう! 自分の恐怖心を認め対処しようとすること、必要な助けを求めることは、弱いことなんかじゃない。強さそのものなんだよ。

本書では「男の子が悲しい思いをして、助けを求めてもいい」、「性的同意について教え、レイプカルチャーを助長させない」など、36の具体的なヒントから男の子の子育てについて紹介する。
本書では「男の子が悲しい思いをして、助けを求めてもいい」、「性的同意について教え、レイプカルチャーを助長させない」など、36の具体的なヒントから男の子の子育てについて紹介する。

「無感情なロボット男」になるな

 流産はだれにとってもつらいもの。女性だけの問題ではない。実際に流産を体験した女性のほとんどは、感情を内側に閉じ込めた無感情なロボット男なんか欲しくないと言うにちがいない。彼女たちが必要としているのは、喪失感と失望を共に嘆き、思いやりの気持ちを見せることを恐れない、本当の意味でのパートナーだ。意地悪な人や、ウソくさいマッチョな愚か者が何と言おうと構わない。男性は、強靭な支えになれると同時に、豊かな感情的知性をもつこともできるのだ。それが分かっている男性があまりにも少ない。「有害な男らしさ」によって、よいパートナーになることや、ありのままの自分でいることが男たちから奪われている。父親として順調なスタートを切るには、お互いの感情に応えられるしっかりした基盤を作ることが必要だ。

『男の子をダメな大人にしないために、親のぼくができること――「男らしさ」から自由になる子育て』目次

イントロダクション――あなたも問題の一部であるとき
第1章 デタラメは生まれる前から始まっている
第2章 おめでとう! あなたは親になった――ジャングルへようこそ
第3章 学校の影響で男の子の心が硬直しないようにしよう
第4章 いまこそ議論に参加するとき
結論――失敗という選択肢はない

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