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樋口毅宏さん「東京パパ友ラブストーリー」インタビュー 苛烈な妻への復讐心

文:篠藤ゆり 写真:斉藤順子

男は精神的ホモセクシャルみたいなものを持っている

――最新作の『東京パパ友ラブストーリー』(講談社)は、同じ保育園に子どもを通わせているパパ同士が恋に落ちるという衝撃的な内容です。このテーマを思いついたきっかけは?

 2015年、弁護士をしている妻の三輪記子(ふさこ)の仕事の都合で京都に引っ越しました。今3歳3カ月になる息子は京都で生まれましたが、妻は産後うつのせいか、あまりにも苛烈すぎて。マンションの窓ガラスがピリピリきしむような音量で、ほぼ毎日怒られるんです。

 妻は産後1カ月で仕事に復帰したので、赤ん坊の面倒をみるのはほぼ僕の役目。そのうえ怒られるしで、パニックになってしまった。子どもを保育園に通わせるようになっても、しゃべる相手は妻と赤ん坊と保育士さんぐらい。精神的にまいってしまい、やけを起こして作家引退宣言までしてしまいました。こんな妻に仕返しするとしたら、もう浮気か不倫をするしかないと思いました(笑)。

 たまたま同じ保育園で、10年ほどフランスに住んでらした、インテリで素敵なパパと知り合いになって――。ここからは作家の妄想ですけど、たとえば仲良くしているパパ友さんと不倫なんかしたら、なんといい妻への復讐になるのではないか、と(笑)。そのうちどんどん妄想が膨らんでいったので、それをメモしていました。そのメモがこの作品のベースになっています。

――作品中では、二つの対照的な家庭が描かれています。52歳になる建築士・鐘山明人は、妻が都議会議員でものすごく忙しい。自分の仕事はほぼ休業状態で、ワンオペ育児をしています。一方、30歳の有馬豪はファンドマネージメント会社の社長で、妻は専業主婦。いわゆるセレブ家庭です。明人のワンオペ育児の描写は、ご自身の経験がかなり反映されているようですね。

 そうですね。京都に住んでいた頃は、妻は弁護士の仕事の他に、テレビの仕事もあるので、週に1泊ないし2泊3日で東京に行く。その間、赤ん坊と二人っきりになるわけです。いやぁ、赤ん坊と妻には相当鍛えていただきました。

 僕はそれまで、この世で一番大変なことは小説を書くことだと吹聴してまわっていたんです。とんでもない思い違いをしていました。育児のほうが大変でした。

 長篇を書く場合は、実際にパソコンに向かって書いている時間以外も、ずっとその作品のことを考えている。集中力を継続させなくては書けないのですが、赤ん坊がいたらそんなこと無理です。夜中だろうが明け方だろうが、わーっと泣きだしたら、おむつか、ミルクか、それとも両方か、と右往左往。東京で複数の女性と遊びつつ、持っている時間をすべて自分のために使えていた時期が、なんと懐かしかったことか(笑)。

――明人と豪は、ごく自然に性的な関係を結びます。二人はバイセクシャルだったのか、あるいは豪の場合は自分のセクシュアリティーに蓋をしている、いわゆるクローゼットだったのか。どういう設定で二人を描いているのか、気になりました。

 そこを疑問に思うのは、無理もないと思います。でも男性というのは、肉体的な関係にまでいくかいかないかは別として、精神的ホモセクシュアルみたいなものは本能的に持っていると思います。たとえば芸能界でも○○軍団とかいって、カリスマ性のある人を慕って同性が集まってきますよね。あれも、そうなんじゃないでしょうか。

 小学3年生の時に映画の「ロッキー3」を見ましたが、王座から陥落したシルヴェスター・スタローンが演じるロッキーが、自分を下した宿敵アポロと海辺を走るシーンがある。全力疾走して、ロッキーがアポロを抜いた瞬間、画面はスローモーションになります。そして波しぶきがキラキラときらめき、「やったね!」みたいな感じで、二人が胸と胸を突き合わせる。あれも一種のホモセクシュアルシーンですよね。

 男にはそういう感覚があるから、いわゆるゲイやバイセクシュアルの人ではなくても、ふっとしたはずみで肉体関係に行くこともあるのではないか。そもそもかつて日本では、妻や子どもがいても、同性と契りを結ぶのは武士のたしなみとされていました。だから、そんな特別なことではないと思います。

母性信仰は間違った精神論だと気づいた

――豪の妻は、典型的なセレブ妻。ハイスペックな男を狙って、戦略的に生きてきたわけです。そのあたりをけっこう辛辣に描いていますね。

 僕自身としては、実際にこういうセレブご夫婦に対して悪い感情は一切持っていません。スペック狙いの女性がいたっていいと思っていますし。ただ小説として書く場合は、どうしても自分のなかのデーモンな部分を刺激しなくてはいけない。だから、けっこう皮肉っぽい筆致になったかもしれません。

――明人の妻は政治家として、男社会の理不尽さと全力で闘っている。明人はそんな妻を、「立派な仕事をしている」とリスペクトし、応援もしています。それなのに大脳と下半身は、また違うようで……。

 まさにその通りです。僕自身、妻の記子は尊い仕事をしているとリスペクトしています。本当にハードストレスな仕事だし、話を聞いていると、弁護士の世界もかなり男尊女卑の面がある。そのなかで闘っているのだから、本当にえらいなぁと思っています。

 ところがその一方で、男の性処理問題というのがあるんですね。自分の下半身に対して、「え~っ、なんで君は今、元気なんだ?」みたいな(笑)。テレビを見ていても、わっ、この子カワイイと思ってちょっと興奮したり。家庭を大事に思っているのに、つい浮気してしまったりもする。

 そんな男のしょうもなさを、男たちは「毎日ハンバーグを食べていたら飽きるだろう」とか「どんなに家のご飯がおいしくても、たまには外食がしたくなるものだ」とか、くだらない言い訳で取り繕ってきたんですね。

――明人には、育児をすべて押しつけられているというストレスもありますしね。

 そんなの、単なる言い訳ですよ。ワンオペ育児で大変なお母さんが「気分転換にホストクラブ行ってくる」と言ったとして、「じゃあ行ってきなよ」と送り出す夫はいないでしょう?男ほど単純ではなかったとしても、女性にだって性欲はあるし、ストレスを発散したいと思う時があるはずです。ところが男は、「奥さんが育児や仕事にかまけて自分とセックスしてくれないから」とか言い訳をして風俗に行ったり浮気をし、男どうしの間で「仕方ないよな」とか擁護し合うのに、女性には認めない。それっておかしいですよね。

 女性に完璧な育児を強いるのも、おかしいと思います。やれ母乳じゃなきゃいけないとか、母乳をあげている間は赤ちゃんの目を見ろとか、離乳食は手作りで国産の材料でとか――そんなの間違った精神論です。

 どんな好きな相手でも、24時間ずっと一緒にいたら息が詰まるし、1日に1時間でも自分の時間がほしいと言ったら「そりゃあ無理はない」と認めてくれます。でもその対象が赤ん坊になったとたん、「赤ちゃんがいるのに自分の時間がほしいなんて、母親失格だ。母性が欠如している」などと責める。それは大間違いだと、声を大にして言いたいですね。

――作品中、画家のゴーギャンが重要なシンボルとして登場します。樋口さんご自身、ゴーギャンがお好きなのですか?

 好きです。2016年に東京都美術館で開催された「ゴッホとゴーギャン展」にも行きました。ご存知のようにゴーギャンは、突然家族を捨てて、タヒチに移住してしまう。男って本当にバカだから、あんなふうに家族も何もかも捨てて「俺は好きなように生きる」という生き方に憧れるんですよ。自分も、なにものにも縛られない自由な生き方ができたらいいのになぁって。

 日本の作家の作品だと、ご自身の不倫体験をもとに書かれた壇一雄さんの『火宅の人』とか島尾敏夫さんの『死の棘』とか。ああいうものに心惹かれてしまうんですね。

――憧れるけれど、なかなかそうは生きられないですよね。

 その通りです!はい、生きられませんッ!

影響を受けた元ネタリストを公表するリスペクト第一主義

――2009年のデビュー作『さらば雑司ケ谷』以来、バイオレンスや過激なセックス描写、疾走感などが樋口作品の特徴だとも言われています。今回の作品は、ほんわかしたところもあるし、ややソフト路線かなという印象を受けました。

 僕は主体性のない人間でして、その時々にいろいろな作家から影響を受けて作品を書いています。デビュー作は、馳周星さんの『漂流街』の影響を受けている。『日本のセックス』は、自分がエロ本会社で働いていた時の経験をもとに書いています。『民宿雪国』は、梁石日さんの『血と骨』が大好きなので、あんなものを書きたい、と。その後も、いろいろな作家の影響を受けています。

 『東京パパ友ストーリー』に関しては、漫画家の田房永子さんの『ママだって、人間』の影響が大きいですね。あの作品を読んで、本当に目からうろこが落ちた。

 それ以前から子育てや女性の社会進出に関心はあったけれど、女性はこんなに大変なんだ、育児中もこんなにまわりからの理解が得られないんだ、と愕然としました。あの本と出会わなかったら僕はイクメンをやっていなかったでしょうし、今回の作品も生まれなかったと思います。

 僕はリスペクト第一主義。だから今まで書いた本にも、巻末にその作品を書く上で影響を受けた元ネタリストを全部書いています。ときに露悪趣味と言われることもありますが、逆に他の作家はなぜ書かないんだろう、と思います。読んでいて「あれの影響だろう」とよく発見するので。映画の世界では、たとえばタランティーノ監督も、元ネタ開陳主義。僕もそうです。

――樋口さんは今までも作品中に、いろいろな歌を散りばめていますね。どこに歌が隠されているのだろうと、宝探しみたいな楽しみもあります。今回は巻末に、大江千里さんの名前がありました。

 小説を書いていて、つらいな、しんどいなと思っても、好きな歌詞をひっそりと織り込むと気分がよくなり、元気になります。分からない人は、分からなくてもいいんです。気づいた人は、ニヤッとほくそえむ。梶井基次郎が、書店の本棚に檸檬をそっと置くような感じが好きなんです。

 大江千里さんは中3、高1の頃、あのイノセントな世界が大好きでした。最近また大江千里さん回帰しており、そういう部分を作品に入れ込みたいと思ったんです。

 今までもさんざん、フリッパーズ・ギターや小沢健二、サニーデイ・サービスなどの歌を作品に散りばめていますし、ご本人たちにも本をお渡ししてきました。今のところ内容証明は来ていないので(笑)、千里さんもどうか温かい目で見てくださいね。

――ところで奥様はこの作品、お読みになりましたか?

 書いたものはすべて、担当編集者にメールで送信する際、妻にも送っています。原稿の時には忙しすぎて読む時間がなかったようですが、本になってから「面白かったよ。まぁまぁじゃない?」って(笑)。

 明人の妻は、明らかに自分がモデルだとすぐ気づいたと思いますが、まったく怒りませんでした。育児エッセイの『おっぱいがほしい!』でも、さんざん妻の強烈さを書いたけれど、怒らなかった。何を書いても、この人は許してくれるんだなって。僕が思っていた以上に、器が大きく度量が広い人だと思いました。

 彼女の真の度量の広さ、深さ、寛容度が試されるのは、これからだと思います――と話しながら、今、手の震えが止まらないんですけど。

 でも妻からは、「試されるのはタケちゃんのほうかもね」などと言われています。なにせ「○○さんとヤリたいッ!」とか、リアルに言ったりする人でして(笑)。いやぁ、この先、僕ら夫婦はどうなるのか。怖いような、楽しみなような――。