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競争と性 「有害な」男らしさの果て 翻訳家・文芸評論家・鴻巣友季子〈朝日新聞文芸時評21年7月〉

青木野枝 雲垣5

  波乱含みで開幕した東京五輪2020をぼんやり見ながら思う――スポーツ観戦が人びとを興奮させるのは、一つに、それが競い合いであり、戦いであるからだ。

 古来、戦(いくさ)と性は連結してきた。戦闘は男性にとって、勇猛さや身体能力や度量、つまりマスキュリニティ(男らしさ)を顕示する場でもあった。ときに無謀さや痩せがまんが美徳となり、理性が退けられる。戦争文学の『風と共に去りぬ』で、「政治家たちに扇動されて始めた敗(ま)け戦などやめるべきだ」と真実を述べた南部将校が「臆病者」と罵(ののし)られるのはそのためだ。

 今月まず紹介したいのは遠野遥「教育」(文芸秋号)である。

 遠野はスポーツと競争とセックスに愚直にとりくむ男を批評的に描いてきた。前作『破局』(河出書房新社)では、学歴勝者の折り目正しいモテ系ラガーマンが主人公だった。女性を守り目上を尊重し、身体鍛錬と性愛に勤(いそ)しむ彼の姿が几帳面(きちょうめん)に記述されるうち、とてつもなく非情な人格が露(あら)わになり、自滅へ向かう。

 男らしさの歪(ゆが)みを描いた同作を私は“血の通わないまごころ小説”と呼んだが、「教育」ではこうしたデフォルメが昂進(こうしん)し、“トキシック・マスキュリニティ”即(すなわ)ち、有害な男らしさが炙(あぶ)りだされている。

 舞台は、疫禍下の共学寄宿学校。成績向上のために推奨されるのは、1日3回以上のオーガズム達成とスポーツであり、生徒らはポルノビデオで自慰をし、性交に励むよう教育されている。女性教員はおらず、男性教師と「巡回」役の男が監視するが、ここに一際(ひときわ)ディストピアみを添えるのが、生徒のランクを決める奇妙な念力テストだ。

 “トキシック・マスキュリニティ”は男性自身にも害を及ぼすもので、こんな特徴があるとされる。(1)自らの感情や悩みを押し殺す。(2)自分を強く見せる。(3)暴力による力の誇示。この3項目はすべて「教育」の男性たちに当てはまるのだ。全裸で施術を受けるときも男らしさで見栄(みえ)を張り、マッチョな体を作り、暴力的なセックスをする。

 抑圧下での男らしさは、ひずんだ自愛と攻撃に繫(つな)がりやすい。随所に挿入される作中作では、17~18歳の女子が辱めを受け、高校中退して非正規労働をするなど、女性はいっそう虐待、搾取される。まっすぐに邁進(まいしん)する“気高い”男たちと暗黒体制に抗(あらが)い攪乱(かくらん)するのが女性たちである点にも留意したい。ジャンル分け無用の危険な傑作である。

 マスキュリニティの主題といえば、米国ではフォークナーの名が挙がるが、第1次大戦のトラウマを描いた『サートリス』のオリジナル版『土にまみれた旗』(諏訪部浩一訳、河出書房新社)が初訳された。前者が若い帰還兵の物語に仕上がったのに対し、後者は南北戦争に出征した彼の曽祖父の回想から始まる。この男は騎士道のために無茶(むちゃ)な突撃をして射殺されるが、これは当時、名誉の死だった。

 その後、旧南部の男らしさは迷走し、曽孫が新時代の南部へ帰還する時には、こじれて有害性が際立っている。彼は狂ったようにスポーツカーを飛ばし、女子への迷惑行為に及ぶ。注目は『サートリス』では削除された芸術家肌の弁護士の男を描くパートだ。これにより直線的な悲劇と男らしさの概念が相対化された。

 絶望を相対化しながら生き延びようとする高校生男子を描いているのが、島口大樹『鳥がぼくらは祈り、』(講談社)だ。裏社会と繫がる荒っぽい男たちが闊歩(かっぽ)する北埼玉で、彼ら4人は縮こまるように生きている。父親のDVや自殺や不在。4人はその秘密をごく迂遠(うえん)に打ち明けあい、互いの人生を引き受けた。「父親なんて」と口を揃(そろ)え、“父殺し”を行おうとするが、その先で、マスキュリニティの暴走が起きる。

 「紐帯(ちゅうたい)」で結ばれた4人は不定形のエネルギーのようになって、呼吸し喋(しゃべ)り視線を動かす。一人称文体でありながら多元視点を展開させ、言語/意識の不分明さと鬱屈(うっくつ)感を表現したことに感銘を受けた。

 マスキュリニズムに対してフェミニズムはどうだろう。芥川賞受賞作の李琴峰『彼岸花が咲く島』(文芸春秋)が、戦争をなくすために女性が統治するユートピアを創出しつつ、性の別のない融和の結末を示した点は重要だ。ある黒人女性作家も言ったではないか。「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」と。良きフェミニズムとは他愛(たあい)であるべきだ。=朝日新聞2021年7月28日掲載