京都の大垣書店、東京初進出 新しい“街” 麻布台ヒルズで目指すもの
記事:じんぶん堂企画室
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「大垣書店って岐阜の本屋さんですか? ってよくお客さまに聞かれます(笑)。でもその問いかけがきっかけで、京都の書店であることを説明しつつ、お客様とコミュニケーションを取ることができています」
そう教えてくれたのは、大垣書店麻布台ヒルズ店で、主に人文書やビジネス書などを担当する川原敏治さんだ。店内はグレーを基調としたシックな雰囲気で、ぱっと見たところ、京都を感じさせる要素はほとんどない。
かねて、本好きや出版関係者の間では、「大垣書店が東京に進出する!」と話題になっていた。しかし、大垣書店が京都では有名な書店ということを知らない人からすれば、店名から岐阜県の大垣市と関係しているのかも? と思うのも無理はないかもしれない。
麻布台ヒルズという新しい街が誕生し、「街にはやはり本屋が必要だ」ということで大垣書店が出店することになった。麻布台ヒルズの開発を手がけた森ビルからのリクエストは「あらゆるジャンルで思いがけない出合いがある店づくり」。店にはアートギャラリーやバー、アートブック、センスが光る雑貨などがあるものの、本の品揃えとしては、なるべく幅広く、ベーシックなところを押さえている印象を受ける。
「何かに特化した本屋ではなく、近所の人がふらりと立ち寄ってマンガ雑誌やNHKテキストを買いに来るような、ある程度はひと通りの本が揃っている“普通の本屋”であることを意識しています。ひと通りといっても、店の面積には限りがあるので、何でも揃う、というところまではいかないのですが……」
とはいえ、まだオープンして2カ月半(2月6日に取材)。一部の商業施設は春にオープン予定で、オフィス棟やレジデンス(住居)への入居はこれから本格化していくように、麻布台ヒルズは、街としてはまだまだ歩みを始めたばかりだ。
同店を訪れる客も、街の発展とともに、変化を見せていくことになるのだが、現時点ではどのような感じなのだろうか?
「世代的には30〜40代が中心で、小さなお子様連れのお母さまやご家族が多い印象です。海外のお客さまも多いですね。売れ筋としては、やはり“街の本屋”的なところはあって、雑誌やマンガなどを買いに来てくださる方が結構いらっしゃいます。小さなお子様が多いからか、クリスマスシーズンがあったせいか、絵本や知育玩具が予想よりもよく売れているので、品揃えを強化しました」
客層の特徴としてはもう一つ、場所柄か、生活にゆとりのある層が多いというのも挙げられる。雑貨は比較的高価なものも扱っているが、特に値段を気にすることもなく、いいと思ってもらえたものは確実に売れていくという。
「1枚数万円のストールが1日に何枚も売れることがあります。ただ、150万円のオルゴールが売れた時はちょっと驚きましたが」
また、川原さんが担当している人文系やビジネス系についても、ある傾向が感じられるという。
「入門書よりは、専門性の高いものや翻訳ものなどがよく動いています。知的好奇心の高いお客様が多いのかも、という気がしています」
棚に目を向けると、人文系の棚は一つで、両面に各ジャンルが均等に割り振られている。腰の高さに平積み用のスペースがあるが、基本的には棚差し。人文学術系レーベルの「講談社選書メチエ」、古典新訳シリーズの「日経BPクラシックス」、新書の「中公クラシックス」などのシリーズものの既刊を多めに揃えている。
「いまはオープン直後で、どのような売れ方をするのか未知数なので、ジャンルも品揃えも均等を意識しています。現時点では少し硬めの本が多いかもしれません。メチエやクラシックスなどのシリーズものを扱っている書店はそう多くはないので、意識して揃えました。頻繁に動くものではありませんが、見る人によっては刺さってくれるのではないかなと。また、スペースに限りがあるため、少しでも多くの本を並べるために、面陳にはせず、棚差しにしています」
川原さんとしては、哲学にしろ、歴史にしろ、客がこうした分野に興味を持った時に、ちゃんと本がある状態を保っておきたいという意識がある。動きが悪いからといって置かないのではなく、すぐ手に取ることができるのはリアル書店ならではの強みだからだ。
「最近、『これ1冊でわかる!』といった入門書がたくさん出ていますが、そういう本を読んでも、本当のところはわからないことのほうが多いと思うんです。でも、そういうきっかけがあって、次なる本を求めたときに、それに応えられるような棚にしたいという気持ちはあります。だから、限られたスペースの中でも、古典も必要だし、最新の研究に基づいた本も置いておくべきだと考えています」
川原さんは書店員歴30年近くの大ベテランで、人文書やビジネス書に長く関わってきたが、実は去年から大垣書店に関わることに。小さい頃から本好きで、大学在学中は社会学者の山本哲士教授のゼミで社会学、哲学、精神世界、経済学など、かなり幅広いジャンルの本が課題図書として提示され、この時の経験が、のちの書店員生活にも生きてくることになる。
新卒で入社した八重洲ブックセンターで書店員としてのキャリアを積み重ねてきた。そして、大垣書店が東京に進出するタイミングでオープニングスタッフとして加わる話が舞い込んだ。
麻布台ヒルズ店オープンに向けた準備は1年半以上も前から進められてきたが、川原さんが麻布台ヒルズ店に着任したのは昨年10月のこと。その前に、1カ月かけて京都の大垣書店を何店舗か回って働き、大垣書店のスタイルを学んできたという。
「面陳よりも棚差しが多くて点数重視、なるべく多くの本を扱うという大垣書店のスタンスは、自分が今までやってきた棚作りと感覚的に似ているな、と思ったくらいで、カルチャーギャップは感じませんでした」
京都の本屋だからといって、京都関連の本をことさら集めて強調しないのも、バランスよく、さまざまな種類の本を揃えるというスタンスゆえのものなのだろう。
「もちろんガイドブックのコーナーに京都関連の本は揃えていますし、京都にゆかりのある作家や著者の本、京都の出版社の本などもしっかり入れるようにしていますが、それをまとめて前面にアピールする、ということがないだけです。お客さまにとっては京都の本屋であるというのはあまり関係ないでしょうし、あくまでも麻布台ヒルズという街にある、日常使いの本屋を目指しています」
かといって京都の本屋である強みを封印しているわけではない。たとえば店舗の奥にあるギャラリースペースは、川原さんが研修で訪問した堀川新文化ビルヂング店とのつながりを活用している。この店舗にはギャラリー&イベントスペースがあり、ここでのノウハウを活用したり、展示した作家や作品を麻布台ヒルズ店でも紹介したりすることがあるという。また、店内では雑貨を扱っているが、こちらも京都でつながりのある商品を並べたりもしている。
「でも、せっかく東京に店があるのだから、会社としては、東京と京都をつなぐ役割も期待しているのかもしれません。京都だと、東京にある出版社の書店営業さんが来店することはそう多くはありませんが、こちらだと、毎日何人も来られるのは当たり前。京都から異動してきたスタッフは、『こんなにいっぱい来られるんですね』と驚いているほどです。京都でイベントをやりたいと考えている版元さんを京都につないだり、その逆をしたり、ということは、今後あってもいいのかなと思っています」
ギャラリースペースの壁は可動式で、展示がない時は椅子を並べ、隣にあるカフェバー「SLow Page」のコーヒーやアルコール類を味わうことができる。もちろん購入後の本であれば、このスペースで読書を楽しむことも可能。また、ある時は、この場所がトークイベントのスペースにもなる。
「すでに『SLow Page』にはボトルキープをされている方など、常連さんが少しずつ増えてきました。版元の営業さんがうちを最後の営業先にして、ここでコーヒーを飲まれている姿も目にします。著者さんにも立ち寄ってもらい、読者ともつながれる場になるといいですね」
川原さんに、オープン間もない棚のラインアップから、売れ筋やおすすめを選んでもらった。1冊目は洋書で、『A HISTORY OF JAPAN IN MANGA』(チャールズ・イー・タトル出版)だ。
「外国のお客さまや、英語学習中の日本人が多いのか、この本はオープンからすでに10冊以上売れています。マンガでわかりやすいだけでなく、解説部分も充実していて、日本の歴史を網羅しているところがいいですね。麻布台ヒルズ店らしさが出ていると思ってこれを選びました。日本文化や歴史に興味を持っている方も多く、宮崎駿監督の映画で話題になった『君たちはどう生きるか』の英語版や、“生きがい”について書かれた本、こんまりさん(近藤麻理恵さん)の片付けメソッドの本なども売れています。」
次に挙げたのが、前述した古典新訳シリーズの「日経BPクラシックス」(日経BP社)と、人文学術系レーベルの「講談社選書メチエ」(講談社)だ。
「どちらもどれか特定の一冊ではなく、シリーズ推しです。こういう古典的なものへの興味、関心が高まっているのか、『日経BPクラシックス』のアダム・スミス著『道徳感情論』は、2カ月で4冊くらいは出ています。『講談社選書メチエ』で『中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋(せんぴたくばつ)の歴史』を挙げたのは、麻布台ヒルズ店の店長が、大学時代にこの時代の中国史を研究していたからです(笑)。メチエの中で、これを扱ってるのは、神保町の東方書店(中国に関する書店)くらいかもしれません」
『イスラエル 人類史上最もやっかいな問題』(NHK出版)を挙げたのは、売れ行きを見ていて、客層的に時事問題や国際情勢に関心が高い人が多いと感じ取れる一冊だったからだ。
「こうした本の売れ方を見ていると、時事的なものに敏感な方が多いのかな、と感じます。中東やイスラエル関連の新刊書籍はよく売れていますし、この本は新刊ではありませんが、よくまとまっていることもあり、ずっと売れています」
麻布台ヒルズの“街の本屋”としてスタートを切ったばかりの同店。なるべく多くの本をバランスよく、できるだけ多く揃えるというスタンスの棚作りだが、これから新たな商業施設が増え、オフィス棟で働く人や、レジデンス居住者が店を訪れるようになれば、それに合わせて、本の品揃えも生き物のように変化していくことになるだろう。
「評価の定まった街ではなく、麻布台ヒルズという全く新しい街で、ゼロから書店を作っていけるのは、やっぱり楽しいですよね。この先、どんな客層になり、どんな棚になるか定まっていないから、先のことはわかりません。でも、逆にどうなるかわからないのであれば、うちからどんどん仕掛けていってもいいんじゃないの? という思いもあります。それができるのはオープンして1〜2年後だと思うので、いろいろひっかきまわしていきたいですね」