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大西巨人が体現したマルクス主義と芸術至上主義

記事:幻戯書房

山口直孝『大西巨人論 マルクス主義と芸術至上主義』書影
山口直孝『大西巨人論 マルクス主義と芸術至上主義』書影

推理小説の中の異物――『神聖喜劇』との出会い

 推理小説が好きで、読書のほとんどを占めていた時期があった。中学校に入って電車通学をするようになってからは、途中下車をして古本屋に立ち寄るのが習慣となった。所持金は限られており、買い求めるのは文庫や新書が中心である。光文社のカッパ・ノベルスは、廉価で良質な作品が多く、ありがたい存在であった。松本清張、高木彬光、笹沢佐保、森村誠一といった書き手の創作を楽しんでいたが、一つだけどうにも歯が立たない小説があった。それが大西巨人『神聖喜劇』である。中学二年生か三年生かの時のこと、知識も語彙も乏しい少年が、例えば「十一月の夜の媾曳(あいびき)」の部分を理解できるはずもないが、それでも東堂太郎の言動は印象に残った。

 高校に進んだ年、単行本版の刊行が始まり、執筆が続いていたことに驚かされた。図書室に購入希望を出し、入れてもらった本を借りて再挑戦したものの、最終巻がなかなか出ない。全五巻が揃ったのは、高校三年生の春になってから。まがりなりにも通読はしたものの、間が空いてしまったこともあり、時系列の把握はおよそでたらめなものであったろう。

 大学一年の時に文春文庫の刊行が始まり、毎月購入して再読した。規則を逆手に取って上官たちとたたかう東堂の姿は痛快であり、厳格な思考がもたらすおかしみにも魅せられた。『巨人雑筆』や『大西巨人文藝論叢 上巻 俗情との結託』のエッセイ集にも触れ、直言の批評の力に感じ入ったことが作家への関心をいよいよ深めた。卒業論文のテーマに『神聖喜劇』を選び、東堂太郎(『神聖喜劇』の主人公)の精神前史や言葉をめぐる意識を論じたが、はなはだ未熟なものであった。

『天路の奈落』以降は、同時代読者として接してきたが、考察をまとめることはできないでいた。唯物論的思考を推し進めていく小説の物語と文体とに引かれながら、魅力を言語化できず、愛好するだけの状態が長く続くことになる。最初に論文を発表したが2003年、『神聖喜劇』に出会ってから20年以上が過ぎていた。そこからさらに20年以上が経つわけであり、歩みの遅さにわれながら驚いてしまう。

「われわれ」を生み出すための「われ」――大西巨人にとっての知識人

 本書は、これまで書いてきた大西巨人に関する考察、文章を集成したものである。文学芸術運動、革命運動の並走者である武井昭夫(てるお)、湯地朝雄に関する文章も収載した。発表媒体や文章の性格の異なりから、長さがまちまちであり、記述の重なりも多い。社会主義の世界的後退局面という巨視的な見方は変わらないが、折々の状況認識はもう少していねいに示すべきであったように顧みられる。とは言え、一度発表した文章に手を入れることは難しい。若干の修正を行い、いくつかの用語を揃えるなどした以外は、初出の通りとした。初稿の間違いで気づいたことは、「追記」で触れている。「大西巨人研究の動向」は、2014年以降について増補したかったが、加筆の余裕がなく果たせなかった。

 読み返してみて、関心の偏りや論述の展開の不十分さを痛感させられた。まずい解説に終始しているのではないか、という懸念も払拭できない。それでも、大西巨人文芸に貫流する連帯形成に向けた運動性を早い段階から問題にしていたことを確認できたという収穫もあった。

 既成の権威や秩序を維持するために公平さが損なわれる事例は世にあふれている。そのような状況に直面しても、同調圧力を撥ね返して異議を唱えるのは難しい。また、不服従の姿勢を維持するのも簡単ではない。不利益を受けることを覚悟しながら態度表明を行い、実践を続けるには相当の熱量を必要とする。困難さを知りつつ、自己の責務として問題に積極的に介入することを、大西巨人は知識人の当為と見なしている。最初は単独の抗議であったものが有志の共感を呼んで、集団が形成される。そこでは自由闊達な意見交換が行われ、特定の人間が予め力を持つわけではない。先導役を務めながら、自己を特権的な立場に置かず、集団が組織されていく過程で無名の役割を引き受けることもいとわない存在――、そのように巨人は知識人をとらえていたように思われる。比喩的に言えば、知識人とは「われわれ」を生み出すためにいち早く屹立した「われ」であることを求められる存在ということになろう。

 むろん言うまでもなく、知識人にまず求められるのは、現実に対する鋭い批判である。原則的な立場を崩さず社会の矛盾を指摘することが期待される。同時に頽廃に陥らないように自らが所属する集団にも厳しい目は向けられなければならない。複眼的な批評意識を備えることは、社会変革のために欠かせないが、実例を見出すのは容易ではない。大西巨人、武井昭夫、湯地朝雄の三人には、運動体の内外に向けた言論によるたたかいを続けた点で共通するものがある。「並走者」は、単に同時代を生きた、という意味ではない。本書で試みたのは、三人それぞれの思考の型と表現における現われとを見きわめることである。言説の細部に分け入る作業は、厄介でありつつ、いくつもの発見を伴う楽しいものであった。

書物の力――本書刊行の動機

 巨人について、なお調べ論じたいことは数多く、より広い文脈の中で彼らの仕事を考えたい思いがある。本格的な研究は、むしろこれからというところであろう。それでも、書いたものがある程度の量に、整理しておく必要を感じたのが、本書刊行の直接的な動機である。情報の保存、伝達手段として、書物は一つの完成形態であり、一書にまとめることで生じる利便性には大きなものがある。インターネット上のデジタルデータが紙媒体の出版物を片隅に追いやるかのような現在においても、事情は変わらない。書物が優れた記録媒体であり、他者との関係を築く上でも力を発揮するものであることは、巨人がくり返し描いたことであった。貧しい内容の本書であるが、関心ある読者の心に多少とも触れるところのある書物になっていればうれしい。

大西巨人1980-81年頃 撮影:浜井 武 
大西巨人1980-81年頃 撮影:浜井 武 

衝撃を受けた一言――作家と関わる難しさ

 巨人の著作に親しんではいたが、作者に会いたいと思っていたわけではない。作品を「仮構の独立小宇宙」と呼ぶ作家と話をすることは、何かおかしなことのように感じられていたからである。1992年6月6日、大正大学で開かれた昭和文学会の春季大会で特集「大西巨人のことばと身体」が組まれた。思いがけない企画に喜んで参加し、座談を務めた巨人に質問をしたのが最初のやり取りである。その後大高知児氏のご厚意で自宅訪問に同行する機会を得た。以来、2014年の逝去まで、折々に話を聞くことができ、インタビューや聞き書きをまとめることにも何回か関わった。没後は、蔵書、自筆もの、書簡、写真など膨大な旧蔵資料の寄託を受け、整理調査を進めているところである。かつての思いと現在の状況とを比べると、別の世界に踏み迷い込んでしまったような、不思議な気持ちに駆られることがある。しかし、まずは余計な感傷を排して、研究基盤の構築に集中すべきであろう。

 巨人についての思い出を語る場所ではないが、一つだけ触れておきたいことがある。時日ははっきりしないが、2011年あるいは12年のことと記憶する。自宅で話をうかがっていて、話題がたまたま『閉幕の思想 あるいは娃重島(あえしま)情死行』に及んだ。「理由のない自殺」を実行する志貴太郎、瑞枝夫婦の形象に、初読時の私は圧倒された。読み終えた私は、大西夫妻が小説と同じように情死するのではないか、という想念にしばらく悩まされた。のちに、武井昭夫、湯地朝雄の二人も同じように感じていたと知り、見当違いの感想ではなかったのか、と妙に安心したことがある。そのことを軽い気持ちで伝えた。巨人は、しばらく瞑目して無言でいたが、やがて「それは、芸術大衆化の考えに反するものである。」とだけ語った。発言を理解できているかどうか今でも怪しいが、聞いた直後の衝撃は大きかった。それは、自分が何もわかっていないのではないかという怖れに直面した瞬間でもあった。作品の記述と作家の実生活とを無造作に結びつけたのは端的に誤りであり、聞き手としての緊張感を失っていたと言える。以後、安易な寄りかかりのないよう自戒しているが、論じる対象と適切な距離を取るという当然の心構えが、本書で維持できているかどうかは、読者の判断に委ねるしかない。

「食卓末席組」を形成すること――研究と仕事との関わり

 大学以来、周囲には、いつも『神聖喜劇』の熱心な読者がいた。そのような環境に身を置くことができたのは恵まれていたと言うほかない。怠惰な私は、話す相手がいなければ、関心をどこかで失っていたにちがいない。細々とではあるが考えることを続け、今日共同研究を展開できていることはありがたいことである。多くなりすぎるのでお名前を挙げるのは控えるが、大西巨人について意見を交換してきた方々に深く感謝を述べたい。今後さらに対話的関係を発展させることができればと思う。大西巨人旧蔵資料について、自由な調査を認めてくださっている大西美智子氏、大西赤人氏お二人のご理解にも厚くお礼を申し上げる。

 武井昭夫は、職場、生産拠点における取り組みが運動において重要であることを常に主張していた。教育研究職に従事する私にとっても、事情は同じである。学生や教職員の権利を守ることを不断に意識しておかなければならない。研究も静態的であってはならず、日常の活動と結びつくものであることが要請される。多事争論の場を創ることは面倒ではあるが、新自由主義の論理に大学がこれ以上浸食されるのを防ぐためには避けては通れない。「食卓末席組」は、今ここで形成されなければならないものであり、それは労苦だけでなく、喜びをもたらすはずである。

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