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五木寛之「大河の一滴」 時代に流されつつ貫く矜恃

 ベストセラーはどうして誕生するのか。もしベストセラーの条件のひとつに「俗情との結託」(大西巨人)があるとすれば、確かに時代と添い寝するくらいの「迎合する力」がなければ、ベストセラーなど覚束(おぼつか)ない。

 だが、時代は、そして読者の心は移ろいやすい。一世を風靡(ふうび)したベストセラーも、時代が変わると、バナナの叩(たた)き売りよりも酷(ひど)い扱いを受けることはお馴染(なじ)みの光景である。それでは、ベストセラーでありながら、ロングセラーであり続ける本はあるのか。その極々稀(まれ)な一冊が本書の『大河の一滴』である。

 なぜ、そんな「快挙」を本書はやり遂げられたのか。それは、『一滴』が時代に流されながらも、しかし万古不易のように「私はここに立つ」という「吹っ切れた」硬派の矜恃(きょうじ)が貫かれているからである。人間など、高々知れている。その人間が作った会社や国家など、ちっぽけなものだ。「大河の一滴」に過ぎない。でも、だからこそ、人間は儚(はかな)く、哀(かな)しく、愛(いと)おしい。

 たとえこの世が嘘(うそ)だらけの汚濁に塗(まみ)れていても、小さな歓(よろこ)びがあり、掛け替えのない出会いがあり、奇跡のような愛に出会うことがある。それが極楽のようなキラキラと輝く光であることを悟るには、この世が「地獄は一定(いちじょう)」、国家も含めて何者も当てにならない無常の世界であることを見切る必要があるのだ。

 読めば、なぜ『一滴』がベストセラーで、ロングセラーなのか、その秘密がよくわかるはずだ。阪神淡路大震災からアジア通貨危機、東日本大震災さらにリーマンショック、そして未曽有のコロナ危機。会社も、国家も、「永久に不滅」(長嶋茂雄)と嘯(うそぶ)いてはいられない。もはや何者も当てにならず、人間とその世界などろくでもないものだとすれば、何をたよりにしたらいいのか。「人間とは常に物語をつくり、それを信じることで『生老病死』を超えることができる」。まだ望みはある。不滅のベストセラーとして読み継がれていくに違いない。=朝日新聞2020年8月22日掲載

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 幻冬舎文庫・524円=46刷201万部。98年4月刊行、99年3月文庫化。今年3月上旬から再び売れ始め、文庫28万3千部、単行本5万7千部を増刷。累計320万部超。