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それぞれの幸せのなりかた――『幸福をめぐる哲学者たちの大冒険! 15の試論』下

記事:春秋社

PexelsでのGül Işıkによる写真
PexelsでのGül Işıkによる写真

(上はこちら)

幸福って何のこと?

 前回は不幸について書いたので、今回は幸福について書きます。

 『幸福をめぐる哲学者たちの大冒険!』の冒頭、日本の誇る大仏教学者の竹村牧男さんによれば、仏教でいう幸福って消極的幸福、「苦しみのないこと」をいうらしい。で、お金地位学歴美貌健康等々みんなが欲しがるもの(積極的幸福)を求めるのをやめて、っていうかそれらを全て諦めて初めて苦しみがない境地に至れる、ってことらしい。

 そう聞くと「欲望を諦めるなんて無理」「やっぱり積極的幸福だって欲しい」っていう人がきっといると思うんですけど、本当は、私たちが欲しいのはお金地位健康云々それ自体じゃない。それらは「幸福の条件」なんです。それらを得れば「幸福になれる」と思うから欲しいだけ。だから嫌がる子供のお尻を叩いて勉強させる。だから辛くても頑張って働く。「頑張らないと幸せになれない」ですもんね。

 ところがこの図式、残念なことに必ずしも「幸福」につながらない。なぜか。「頑張らないと幸せになれない」というこの思い込みは、実は「デフォルトの自分は幸せじゃない」を前提にしているからなんです。私たちっていつでも、「今の私は幸せじゃない」を「現実」として立ち上げている。「良い大学に入れたら」「病気が治ったら」「業績が上がったら」「もっと頑張ったら」も、「このトラックがいなくなったら」と全く同じ。幸福を先延ばしにすることです。そしてよく考えてみれば、もしこのトラックがいなくなっても別のトラックが出てくるのは必定。先延ばしは永遠に繰り返されるわけ。

 この事実に気がついたら、もったいなくはないでしょうか? これまで先延ばしにしてきた自分の人生の時間がもったいなくはないでしょうか? 私が幸福になれるのは「いつかそのうち」ではなくて「この今」だったのに。トラック任せ他人任せ運任せの他律状態から卒業して、お金も地位も名声も何もないこの今、お金も地位も名声も何もないままで幸福にならなければ、私が幸福になる可能性なんてなかったのに。

 私が生きられるのは「この今」しかない。

 そう気づいたら、ちょっと田舎道に停まって空を見上げたっていい。ポケットに千円を入れて八百屋で春の野菜を買ってきて美味しいね、ホロ苦いね、って子供と笑い合いながら食べてもいい。職場で本当はやりたかった仕事を思う通りにやってもいい。冷静になってみれば自分の幸福のためにできることは意外とあるもので、ひとしきり不幸を嘆いて落ち着いたら、空から自分を眺めて見方を変えて「みたりする」ことはできるんですよね。不幸に安住するのをやめて、他人や環境のせいにするのをやめて、自分で作った世界の景色をちょっと変えてみたりすることはできるんですよね。そうする「勇気」さえあれば。

幸福になる冒険

 仕事をサボって田舎に行ったのはつい先週のこと。もし「嫌な上司」がいなかったら、そして「邪魔なトラック」がいなかったら私は何にも気づかなかった。気づいて私の世界は変わりました。私はひとつ賢くなり、そしてひとつ幸福になったんです。そう思うと、上司もトラックも、まさに私が幸福になる贈り物だった。

 幸福を学ぶ、ってこういうことなのかもしれません。

 人生は思い通りにならないことの連続ですが、病気でも、お金がなくても、子供が言うことを聞かなくても、過ぎてみればこの辛い今日も人生のかけがえのない大事な一日。その今日を不幸のまま過ぎるか、それとも自分が幸せになるように生きてみようとするか、それはやっぱり自分次第なんです。お金がある人はお金があることを、お金がない人はお金がないことを、家族がいない人は一人暮らしを、家族がいる人は家族がいることを楽しんで生きればいい。お金のない人にはお金がある人にはできない、病気の人には健康な人にはできない「幸せのなり方」がきっとあるんです。

 そして実は、それこそが人生の冒険なのではないでしょうか。急にあなたの不幸が消える答えが見つかるわけじゃない。急にあなたの毎日が明るくなる方法が見つかるわけじゃない。宝島の宝物はそんなに簡単に見つかるわけがない。

 それでも。

 いろんなことを試しては失敗し、やっぱり自分なんか幸福にはなれないんだと涙し、それでも、次の朝にはまた顔を上げて自分が幸福になるための冒険を続けていくことは、できるんです。幸福になることができるかどうかはわからない。でも幸福になるための冒険を続けていくことは、できる。

 この本には、そんな冒険の話がたくさん書いてあるんです。哲学者って、幸福になろうとした人たちだった。それはもちろん自分が不幸だったから。だから彼らは一生懸命、幸福になろうとしたんです。そして自分の歩いた宝島の地図を、みんなに伝えようとしたんです。この本は、その記録。

 もしかすると幸福というのは、自分の人生と仲直りをすることなのかもしれません。

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