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仕事をサボったドライブで見つけたこと――『幸福をめぐる哲学者たちの大冒険! 15の試論』上

記事:春秋社

PexelsのJESHOOTS.comによる写真
PexelsのJESHOOTS.comによる写真

人生が嫌になっちゃったとき

 いろんなことに疲れるとどこかに行きたくならないだろうか。会社なんか休んでどこか遠くへ行ってしまいたくならないだろうか。というわけで、今日は仕事をサボって車で出かけました。知っている人もいつもの日常もあれこれ言う上司もいない新鮮な場所。そこはきっとうららかによく晴れて心から癒されるはずだった。

 ところがさっきから私の前にはノロノロ走る大きなトラックがいる。せっかくの山の景色も青空もトラックの大きな背中に隠れて全く見えないってどういうこと。私はトラックを見るためにこんな場所に来たんじゃない。私は青空を見るはずだったんだ。冬枯れの山里の景色の中を走るはずだったんだ。トラック、どっか行っちゃえ。と思っても田舎の道は一本道。トラックはどこまでも私の行く手をノロノロ遮り続けるのだった。

 ムッとしたままトラックの後ろにくっついて山道を走りながら考えた。

 なんでこのトラックは私のジャマをするんだろう?

 驚いたことに、それは私がトラックにくっついていたからだった。よく晴れた青空も山里もちゃんと「ある」んです。でも私はそんなの見てなかった。私はずーっとトラックにくっついてその背中ばっかり見ていたんだった。

 なんと。

 私は道端に停まってトラックを見送りました。

 冬晴れの暖かい日で山は空に向かってぼんやりふくらんでいる。鳥が飛んでいる。俗なようですが田舎のでこぼこ道を足の裏に感じながらひとり車で走るのは楽しくて、気がつくとあんなこともこんなこともすっかり忘れてしまっていました。

 考えてみると、あの嫌な上司も悪気があってイジワルをしてるんじゃないのかもしれない。きっと小心者で、些細なミスさえ怖がって強い反応をしてしまうのかもしれない。彼は彼の仕事をどうにかやり遂げようと必死だったのかもしれない。

 そう思うと、私の仕事ってどうだったんだろう。

 たしかに私はきちんと私の仕事をしていたんです。実際、私は仕事のデキる女なんです。でもそれは「自分の仕事」をやっていただけ。他の人のことなんて考えてなかった。いや、そもそも私は「組織」のことだって考えてなかった。この道と同じように性格も能力もでこぼこの人間たちが集まってみんなで作っている「組織」という生き物がイイ感じに呼吸して生きて育っていくようになんて、まさか私は思ったこともなかったんです。

 全くこのトラックと同じだった。

 もし空から、大きいトラックの後ろに小さい赤い車がピッタリくっついてイライラしながら走っていくのを見たら笑っちゃったに違いない。他には一台も車なんていないのに。そして世界は広いのに。

 そう思って私はまた賢くなりました。トラックと合わせると二つ賢くなったわけで、賢くなるのが我ながら実に速いのですが、その一つは、「自分の見ている現実は自分が勝手に立ち上げたものである」ということ。「トラックに邪魔されてる」んじゃない、「私がトラックにくっついていた」だけだった。「上司がイジワル」なんじゃない、「なんとか仕事を果たそうとして焦っている人の心を私が見ていなかった」だけだった。「絶対に疑い得ない現実」なんて自分で作った「妄想」なんですよね。つくづく。

 もう一つは、私が「自分の仕事」を誤解してたってこと。「自分に割り当てられたこと」をちゃんとやればいいなんてまるで機械の部品。私は死んだ部品なんかじゃないはずだったけど、やってることはまさに部品だった。もしも私が部品じゃなくて組織が機械じゃないと思っていたら、私はいつでも私の組織の全体を感じて、硬くなっていたらほぐそうと、病んでいたら癒そうと、不安な人がいたら原因を除こうと、ちゃんとケアしていただろう。立場がどうの、とか言ってる場合じゃなかった。私には、自分の組織を健康に生かす責任があったんです。だってそれは「私の生命」「私の幸福」と直結している「私の組織」なんだから。本当は、そうすることこそ「私の仕事」なんだった。

私の組織って

 そしたらもう一つわかったんです。「空から」見たら「私の組織」はどこまでも入れ子構造になっていて、私の組織はこの社会に属している/この社会はこの国に属している/この国はこの世界に属している。ということは、私は「私の組織」に責任があるなら同時にいつでも「この世界」に責任があったんだった。これは私の世界だったんです。なんと。だから私は、私の「世界」全体が生き生きと幸せに生きるようにしなければならなかった、のに。

 そんなこと私は思ってもみなかった。そして、それが欠けたところから私の「不幸」が始まっていたんだ、と気がついた山道のドライブ。

 だとすれば「私が幸福になること」ってもしかして簡単なこと?

 それをみんなで書いたのが『幸福をめぐる哲学者たちの大冒険 ! 』という本だったんです。

(下はこちら)

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