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人はなぜアートを買うのか? 「アートの価値」の本質を学ぶことができる『アートコレクター入門』

記事:平凡社

『アートコレクター入門』のなかで重要な役割をはたす作品、池永康晟《宵添い・沙月》2017年(部分/本書p.372より転載)
『アートコレクター入門』のなかで重要な役割をはたす作品、池永康晟《宵添い・沙月》2017年(部分/本書p.372より転載)

「アートの価値」の本質とは

2024年3月6日刊『アートコレクター入門——銀座老舗画廊の主人と学ぶ特別教室』(田中千秋著、平凡社)
2024年3月6日刊『アートコレクター入門——銀座老舗画廊の主人と学ぶ特別教室』(田中千秋著、平凡社)

「人はなぜアートを買うのだろう?」

 家業である「美術商」に、人生の中途から関わることになった私にとっては謎でした。父や祖父の仕事を通して、アートを買う人がある程度いて、お金が動いていることは、なんとなく知ってはいましたが、本当のところは、どういうことなのか、最初はとても不思議でした。

 本書では、自分自身が二十年余りアートの売買にたずさわってきて、見えてきたところをお伝えしました。

 本書は「アートコレクション」の入門書ですが、形式は「アート講座」を舞台にした物語形式になっています。「アートなんて自分の人生に関係ない」と思っていた主人公・栗田が、私塾のような「アート講座」をきっかけに、立派なアートコレクターに成長する物語を通して、アートが難しい、わからない、という人でも「面白い」と思ってもらえるようにするのが、主な狙いです。

 実はアート業界はこの十年ほど、現代アートブームでした。一部の銘柄のアート作品が、日本でも、世界でも、驚くような価格で取引されるようになりました。ただ、昨年の後半から少し沈静化して、潮目が変わってきたと感じています。

 こうした価格の変化を、私たち美術商は案外、冷静に捉えています。なぜなら、戦後、絵画ブームは何度かあり、熱狂して値段が高騰し、十年ほどで冷めて値段が下がってしまう、ということを繰り返しているからです。そのたびに「値段が高いといい絵に見える」とかその逆のことがよく言われます。現金なものです。

 残念なのは、そういう「ブーム」のときにワッと買って、そのトレンドが去ると興味がなくなってしまう人々がそのたびに必ずいることです。でも、人生にアートがもたらす本当の価値は、そうした価格の上下とは必ずしも関係ありません。アートを生み出す現場の人々は、情勢がどうであろうと、人生をアートにささげてきました。それは、有史以前も、江戸時代も、明治も、戦後も、今も変わらないと思います。

 「ブーム」自体は、歓迎したいと思います。世の中で注目されたおかげで、初めてアートに興味を持ってくださる方は少なくないからです。でも、その奥に、本当に様々な時代・立場で真摯に取り組む多くのプレイヤーがいることを知っていただきたいのです。現代美術は、今はストリートアート系・イラスト系のものが注目されていますが、常に他分野のスタイルを取り入れてきたアートの構造としてはよいのですが、日本では、流行りだけに人々の興味が偏りすぎているように思います。

 同じ構造が戦後日本美術でも、日本画ブームとして存在しました。日本画でなければ絵にあらず、とばかりに日本画は徹底的に高騰しました。今でも高価格が維持されている画家もいますが、多くの方の作品の価格が暴落してしまっています。

 ですので、今の「ブーム」についても、「残る人」と「忘れられる人」に分かれてしまう運命が待っているように思います。

 ですが、そんなことは「アートの本質」とは関係ありません。「アートの本質」を問うて目の前の自分の仕事をする、というのが本来のアーティストの仕事であり、画廊やキュレーターの仕事だと思います。それがやがて「本当の価値」を生む、と知っているからです。

 残念ながら、マスコミや一般の方は、情報の表層を追いかけがちです。でも、本書を読んだ方には、心もお金も損をしない、「本当のコレクター」になっていただきたい、と願っています。世の中の価値観の変遷を横目に見ながら、「自分の道」を作っていただきたいのです。

 日本には、他のすべての国が束になってもかなわないほど、濃い文化の蓄積があり、日本人にしかできない、深い見識と心の豊かさに裏打ちされたコレクションが可能だと思います。ですが、その価値をわかっている方はそう多くはなさそうです。

 これまでのコレクターや鑑賞指南の本は、特定のジャンルに光が当てられ、古今東西の美術に通底する「美」や「アート」の根本価値には触れず、単なる「資産形成」や「教養」にとどまるものが多かったように思います。

 しかしアートにおける本当の学びやコレクションが、「損をしない」とか、単に虚栄心を満たす、ということに眼目をおくものであってはさびしいと思います。アートは時に挑発的で、深い思考や、感覚の目覚めを促すものでもあります。そして、人のコレクションに触れる喜びとは、深く心が共鳴する、みずみずしい価値観の共有の瞬間ではないでしょうか。

 コレクションを国内外の人に見せて本当に役立つとしたら、それが高価であるとかトレンドであるとか、そうしたことが理由ではないはずです。もしそうであれば、鼻持ちならない成金趣味として嘲られるリスクさえあるでしょう。コレクションが人の魅力として響いて、「仕事の役に立つ」とすれば、コレクターその人の成長と葛藤、心の高みが、見た人に本当の感動を与え、尊敬を得たからに他ならないでしょう。

 もしコレクションをするのなら、ぜひアートの深さを知って、古今東西の美術を上手に集めていただけたらと思います。

 日本にも世界にも、各時代のアーティストが真摯に取り組んで遺した、その時代のその人しかつくれない作品がたくさんあります。美術館に収まり切らない、美術館では見ることのできない素晴らしい作品も、画廊や世の中には無数にあります。

 そうしたものに触れるきっかけは、結局「人」だということも本書ではお伝えしました。いくらインターネットや人工知能が発達しても、生身の本当の情報は「人」にしかありません。むしろ様々な情報機器が便利になればなるほど、「人」の価値は増すと思います。そしてアート作品に潜む本当の価値も「人」の魂がもたらすものです。お金としての「価値」はそうした魂のエネルギーに後付けでついてくるものでしょう。どうぞアートを通して「人」に触れる、惚れる体験も多くしていただきたいと思います。

 アートが、美術が、みなさんの人生に本当の実りをもたらすことを心から祈っております。

『アートコレクター入門——銀座老舗画廊の主人と学ぶ特別教室』目次

登場人物紹介
1限目  アートの最新事情 世界の大きな流れを摑もう
2限目  アートと“美” 
3限目  文字のアート 「書」について考える
4限目  アートの値段  どのように決まっているのか?
5限目  アートと税金  
6限目  アートとジャンル どんなものを集めればいい?
7限目  アートの買い方 どこで見て、どこで買うのか?
8限目  「アート」を買うということ なぜ人間はアートを買うのか?
エピローグ
あとがきに代えて

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