日本統治時代の台湾に生まれた写真家・鄧南光の生涯
記事:春秋社
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日本で一番高い山の名前をご存じだろうか。
「新高山登レ一二〇八」。1941年12月8日にハワイの真珠湾に奇襲攻撃をするよう指示したこの歴史的な暗号電報にある「新高山」の標高は3,952メートルで、当時は大日本帝国の最高峰であった。
日清講和条約(下関条約)によって日本へと割譲された台湾は1895年から約50年間、日本の統治下に編入され、日本の最高峰は富士山から台湾の新高山(現・玉山)となった。日本領となった台湾では日本語による日本式の公教育が全土に整備されるなど、近代化/日本化を進める政策が採られた。そうして設立された女学校の行事として、この「帝国最高峰」たる新高山への登山も行われていたのである。高等女学校に通う女学生が、新高山から下山の途中に将来のことを思ってこのような会話を交わしたかもしれない。
「卒業したら、私は内地の大学で勉強を続けて、将来は教育に携わりたいと思ってるの」(中略)
「私は娩ちゃんみたいな夢を持つ勇気はないな。もう良妻賢母になるって決めたの。すてきな家庭を守っていくことだって、国家への貢献になるでしょう」(中略)
「帝国最高峰の景色を目にしたのよ? すべてを運に委ねて、隅のほうで小さな幸せを守ってこれからの一生を過ごすので、本当にいいの?」『南光』84頁、原文にはない鉤括弧を加えた
上記の会話を描いたのは台湾における歴史小説の名手、朱和之。近世や近代の台湾の歴史を描くことを得意とするこの作家が、本作の主人公に選んだのは実在するひとりの写真家である。そして「良妻賢母になる」という女性は、のちにその写真家の妻となる人物。
本作は歴史上の人物を描いた小説であるが、物語の要となるその写真家は、写真技術について著述することはあっても、自らについてはほとんど書き残していない。残されたのは大量の写真だけ。彼の撮った写真と写真のあいだの空白を、作家の大胆な想像力で埋め合わせるようにして、写真家の生涯を描いた労作『南光』は、芸術家を主人公とした長編小説に送られる羅曼・羅蘭百萬小説賞を全会一致で受賞するなど、台湾で高く評価されている。
小説のタイトルである「南光」とは、その主人公・鄧騰煇の愛称である。客家の裕福な商家の三男として、山あいの町に生まれた南光は東京の名教中学と法政大学で学んだ。旧制中学在学中にはじめてカメラを手に入れ、大学ではカメラ部に所属した。そこで出会ったライカに魅せられ、彼は生涯に亘ってライカのレンジファインダーカメラを愛用することになる。東京のモダンガールや街並みを撮影しては写真雑誌『カメラ』や『月刊ライカ』に投稿し、たびたび入選している。
しかし彼の写真家としての人生は平穏なものではなかった。大学卒業後、台湾に戻った南光は台北に「南光写真機店」を開業する。ほどなくして戦争が始まり、フィルムが配給制になり自由に撮影することもできなくなると、総督府の「登録写真家」として写真撮影を続ける道を選ぶ。市街地を襲った台北大空襲で店も失った。
戦争が終結しても平穏な日々は戻らなかった。アジア・太平洋戦争終結後、台湾は中華民国の台湾省となるが、長らく抗日戦争を闘ってきた国民党政権は日本的なものの払拭に躍起になる。『南光』の作中でも、女性が接待をする店は「日本が残した悪弊」だとして禁止される様子が皮肉も交えてコミカルに描かれている。そのような風紀の取り締まりだけではなく、政府の要職や経済の中枢が外省人(戦後大陸から台湾に渡ってきた人々)に占められ、本島人(それ以前から台湾に定住していた人々)が排除されたことに加えて、汚職が蔓延し治安も悪化していたたことも重なり、政府と民衆との対立が高まっていった。
決定的な転換点となったのは1947年の「二二八事件」と言われる動乱である。ヤミ煙草の取り締まりを巡って民衆と当局が衝突し、抗議行動は台湾全土に広がった。政府は軍を投入して鎮圧を図るが、混乱に乗じて無関係な市民までもが殺害され、その犠牲者は18,000〜28,000人と推計される。1949年には戒厳令が敷かれて政治活動や言論の自由は大きく制限され、反政府勢力と見なされた者は投獄・処刑されるなど徹底的な弾圧が続いた。87年に戒厳令が解除されるまでの国家によるこの暴力を「白色テロ」という。
そうした状況下にあって、写真家もまた自由に撮影することは許されなかったし、南光が日本時代に撮影した写真は陽の目を見ることなく保管されていた。1971年に南光はこの世を去る。大量のフィルムが没後に発掘され、言論の自由が回復したことで近年では台湾写真史上の重要人物として再評価されることとなった。近年では緻密な歴史考証に基づく彩色写真集も発売されている。
(本書の担当編集者である)筆者のような写真の素人が見ても、南光が撮った女性たちの写真はうっとりするほど美しく、それぞれに、顔かたちといった単純な要素には還元できない魅力を、充分に写し取っているように見えるし、スナップも緻密でありながらどこか飄々としたまなざしを感じさせる。芸術的な観点からだけでなく、時代の過渡期にあった東京や台北の風景、そして南光の故郷である北埔や、客家の儀礼など、歴史や風俗の記録としても貴重である。
朱和之によって彩りを施された小説『南光』もまた、台湾の経験した歴史的なできごとや、芸術の創出の現場、南光と関わった写真家や家族・友人、(接待を伴う)飲食店の女性たち、客家の信仰などを巧みに織り込みながら、人生のドラマを描いている。巧みなストーリーテリングだけでも読む価値がある小説だが、同時にわたしたちの隣人として台湾を知る手がかりとしても、恰好の一冊である。
台湾は「親日」であるという言説が時折見られる。そうした言葉の影に埋もれがちな人々の経験してきた歴史を、本書は掘り起こしてくれるだろうし、そもそもひとつの国や地域を、自分の属する国家に対して「親」か「反」かで捉えること自体がほとんど意味のないものであることを、教えてくれるだろう。
(文・春秋社編集部)