伝説のプロパガンダ・グラフ誌『FRONT』のデザイン――『復刻保存版 FRONT』解説より
記事:平凡社
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*本記事は2024年に平凡社から刊行された〈復刻保存版 FRONT〉(全3巻)シリーズの各巻に収録された新版解説「フロントのデザイン」の一部を抜粋して再編集したものです。
『FRONT』の写真は、極大か否かはともかく、基本的にクローズアップが中心となっている。これは、全容は摑まれたくないが、全体の威容は伝えたいところから自ずとクローズアップに頼ったものとおもわれる。
ソビエト映画『戦艦ポチョムキン』(エイゼンシュタイン監督、1925)の、効果的なクローズアップの使い方を見てもわかるとおり、寄りと引き、近景と遠景があることで、展開がリズミカルになる。迫力が増し、誌面が立体的になる。『FRONT』でもこのモンタージュ法をかなり意識していたとおもわれる。
「海軍号」のなかの、「遠くを見つめるポーズ」以外のクローズアップの代表例として、手前にある巨大な砲身の先に小さく見える連合艦隊とその主艦陸奥の見開き写真が挙げられる。
これと同じようなシチュエーションがリシツキー・デザインによる『建設のソ連邦』にもある。「海軍号」より5年前の号で、この場合、砲身の先にあるのは軍艦の艦首である。リシツキーのデザインを参考にして、あとからデザインするほうが有利であることは間違いないが、それでも「海軍号」のほうが、大砲(戦艦)によって海を制覇するというコンセプトが明快で、プロパガンダとして十分機能している。
ほかにも同様の写真はいくつかある。軍艦のスクリューでおきた波頭の向こうにわずかに見える艦橋。葛飾北斎〈冨嶽三十六景神奈川沖浪裏〉(1831~33頃)の構図をおもいだす。
一方で、ただ、連合艦隊を写すのではなく、必ず手前で撮影している艦の一部を画面に入れる。これによって遠近感が強調され、立体的に見えるようになる。手前の手すりの向こうに見える戦艦もそうだ。加えて、遠くを見つめる艦長もコラージュ(モンタージュ)されている。
また、手前に手旗信号している水兵がコラージュされ、その先に戦艦陸奥が見える、戦艦の巨大な砲身のキリヌキが水兵の行進にかぶさる、など。
こうした手前に大きな存在(近景)を配置して、背後の場景(遠景)を示す表現のルーツは浮世絵にある。先に触れた手前の大波の彼方に富士山が見える葛飾北斎〈冨嶽三十六景神奈川沖浪裏〉、手前を木の幹が覆う歌川広重〈名所江戸百景亀戸梅屋舗〉(1857)などが代表だ。
こうした表現が、19世紀後半のヨーロッパに伝えられ、印象派の画家たちに衝撃を与え、日本ブームがおきたことはよく知られている。これが、回り回ってエイゼンシュタインやリシツキーに影響を与えたことも十分考えられる。『FRONT』のデザインを一手に担っていた原弘に刺激を与えたのはリシツキーなどのデザインだったが、もとは浮世絵のテクニックから派生していたことをおもえば逆輸入ということになる。
「海軍号」の大きな特徴として、軍艦・巨艦・巨砲主義が目立つこと。航空機の写真もあるにはあるが、扱いは全体から見れば小さい。空母も登場していない。先の日露戦争で軍艦の活躍で勝利を得たことにより、戦艦の巨大な大砲で海を制覇できる、とする軍部の発想が伝わる編集となっていた。
そこで、真珠湾奇襲に成功した海軍の威容をまず示すことが重要と軍部は考え、『FRONT』創刊号に予定していた「陸軍号」を創刊2号に先送りし、「海軍号」を創刊号にした。軍国日本の海軍の勢いをアジア諸国に示す、あるいは威圧するために。
ただし、これは今にしておもうと、真珠湾奇襲攻撃で有頂天になっていただけで、その勝因の分析が軍部によってなされていなかったことがわかる。真珠湾攻撃で活躍したのは航空機とそれを艦載した空母だった。航空機時代の到来を予兆するかのような先見の明のある戦術だったのだ。
しかし、のちのミッドウェイ海戦に敗北したことで軍部はやっと気づいた。遅きに失したが、もはや戦艦の時代ではない、航空機で制空権を握るのが勝利への道だったということを。
代表的なモンタージュは、完成まぢかの軍用機が並ぶ工場、と手前に翼で作業している整備士のアップの見開き。どちらもモンタージュで、工場内にえんえんと並ぶ飛行機群のイメージは圧巻。見開きに広がる大量の戦車群、見開きいっぱいに広がる整列している陸軍兵士群像、地上は戦車群、上空は航空機の編隊など、数の力で見せつける場面などはモンタージュを駆使したようだ。ちなみに、整列する兵士は、規律ある軍隊を象徴するシーンである。
ともかくこれらの写真ページに付されたキャッチは、「抑圧されたアジアを救うため」「掠奪されたアジアを再建するため」「帝国陸軍は聖戦を行っている」。すでに触れた、「プロパガンダの目的」の「自らの戦いは正義である」ことを主張し、「疲弊したアジアに新しい血を注ぎこむために」「ともに守り、ともに建設せん!」と結ぶ。「聖戦」は、真実を隠蔽するのに好都合なスローガンである。
「陸軍号」では、開戦前から編集作業が進んでいたところから、アヘン戦争から日露戦争までをヴィジュアルや地図でたどりつつ、日露戦争に勝利した日本の「帝国性」を強調するとともに、圧倒的な軍事力を示して、日本に歯向かうのは無理だ、とおもわせる目的があったとおもわれる。
そのため、天皇に率いられた神がかった軍隊、兵器工場で巨大な砲身の下に整然と並べられた砲弾の列、兵器を扱う兵士(ガスマスクをつけた兵士もいる)のアップなどのコラージュ、戦車などの轍のあとなどで強調した。そこには、モンタージュで兵器の数を増やすことなどが行なわれている。
左右に主翼を伸ばしてシンメトリーに見える、尾翼側から撮影した軍用機が見開きいっぱいに広がった迫力ある写真ページもある。この写真の下に敬礼している飛行兵がキリヌキで、別色で刷られている。個人的には、せっかくのシンボリックな軍用機写真が台無しになっているように感じた。
この号のコンセプトは明確だ。満州の何もない、不毛の大地を表紙に使い、この地を帝国日本の力で近代国家に仕立て上げる、である。タイトルも「満州、叙事詩」。したがって、「陸軍号」までの軍事色を一掃し、例の笑顔で遠くを見つめる顔が頻出する。戦局は悪化しはじめているが、まだまだいけるはず、と考えていたころの号なので、強気だ。
まず、アングロ・サクソンに侵略されたアジア、とくに中国の悲劇の歴史を語る。そこに救いの神があらわれたかのように、満州国旗を掲げる日本陸軍の、広げるとA1判サイズになる巨大折り込みポスターが続く。
プロパガンダのセオリーそのもののような、うさんくさい見開きページもある。そこでは、日本、満州、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの各民族らしき人びとの(わざとらしく感じてしまう)笑顔のアップで見開きが埋められている。キャッチにいわく、満州国は、「レイシャル・ハーモニー(人種的調和)」を実現し、そこには「人民の安全」と「幸せな土地」がある、としている。それまでの日本軍の振る舞いを見れば、これらのきれいごとが虚ろに響く。
それを証明するかのように笑顔で働く農民、羊飼い、民族的お祭り、近代的な建築物、都市がつくられてゆく様子を連続写真で補強する。
そして、満州国建国宣言の写真とともに、再度強調する。日本と満州は精神と美徳においてひとつである、満州国と日本は、中国を統一して新しい世界の秩序を実現する、と。
後半は、工業化やインフラのイメージづくりに奔走する。ダムの建設、列車網、鉄鉱業、製鉄業など。それらの工業化はやはり軍需産業にも通じてくる。
最後は、お馴染みの戦車・飛行機・大砲を並べ、鉄条網越しに警備する兵士の写真で締めくくる、「アジアはひとつにならなければならない」と。ただし、ひとつとなったアジアの盟主は日本であることが言外に語られる。
客観的に見て、1943年は、戦局が芳しくなく、落下傘部隊(空挺部隊)が活躍する場は相当限られ、降下作戦計画がだされても実施されなかったことが多かった。
陸軍の空挺部隊が脚光を浴びたのは、インドネシアのスマトラ島パレンバンの降下作戦で大成功し、空挺部隊は「空の神兵」と呼ばれたが、これが最初で最後のピークだった。
ちなみに、Wikipedia の「挺進連隊」の項には、この「落下傘部隊号」の見開き写真が使われている。キャプションは、「パレンバン空挺作戦における挺進兵」。
多川精一『戦争のグラフィズム』によると、この「落下傘部隊号」は、宮崎県にあった落下傘部隊訓練基地の密着コンタクトから原弘さんが全体の構成を考えた、とあったことから、この写真はパレンバンのものではなさそうだ。しかも、小川寅次さんというレタッチマンが前景の2人の降下兵をモンタージュして迫力をだしたという。あまりにも真に迫っていたということで、フェイク画像の成功例ともいえる。
落下傘降下の遠景シーンから近景のアップまで4シーンで構成されているページがある。これなどまさに動画的レイアウトといえる。いわばスローモーション写真である。次に続くページでも今度は降下したあとの戦いぶりが動画のように展開している。
戦いのあとには静謐なシーンが続く。輝かしい使命のもと、アジアの幸せと繁栄という理想のためには死んでもいい、と結ぶ。つい最近ぼくたちは似たような発言を聞いた。ロシア・ウクライナ戦争で戦死したロシア兵の遺族を前にしてプーチン大統領は、「だれでもいつか死ぬ。大事なのはいかに生きたかだ」、つまり大義のために死んだのだからいいじゃないか、という残酷なことばを投げかけていたことがおもいだされる。
ともかく、『FRONT』では、ページを半分にして上部のキャッチはそのままに下部がめくれるような工夫もしている。ただし、これは参考にしたソ連のプロパガンダ誌『建設のソ連邦』に一日の長があった。1935年12月号には落下傘部隊特集があり、あるページでは上下に折り畳まれた部分を開くと巨大なパラシュートが登場する。この「落下傘部隊号」の表紙のパラシュートよりも約1.5倍くらい大きい巨大パラシュートである。残念ながら迫力は敵わない。
ところで、表4に記された奥付は、「陸軍号」「満洲国建設号」まではスタッフ名まで記載するほど詳細だったが(「海軍号」は「Printed in Japan」のみ)、この「落下傘部隊号」から東方社の所在地のみとなり、もっとあとの号になると東方社のみになるなどどんどん簡素になってゆく。これは各国語版が、15カ国、4カ国、3カ国、2カ国へと減っていったことと、配布がおもうようにできなくなっていったことがリンクしているように感じる。
奥付は、責任の所在を明記するところだが、需要減によって、奥付にたいする関心も減っていったとおもわれる。
軍事機密もあるので、アップやぶれたりつぶれている写真は好都合である(ブラシでつぶすことも多い)。陸海軍の航空機を扱ったこの「空軍号」では、そういった写真が多く、ハイコントラストで、運動感、疾走感が強く感じられる。とくに航空機の影らしきものが写っていて全体に背景が流れている写真はその最たるもので、感動的ですらある。
写真構成のストーリーは、出撃する編隊にはじまり、コックピット、爆撃、空中戦、航空機による敵艦の撃破・撃沈を経て、帰還、その途中での敵航空機との遭遇、照準器が捕らえた敵機などと続く。
次に撃墜された敵機のコマ割りによるスローモーション。それにインド系女性の穏やかそうな顔と、次の見開きでは歓迎しているインドネシア系の人びとの笑顔をはさむ。意図は明白だが、プロパガンダ・デザインでは臆面もなくステレオタイプな表現が要求される。
次は、日本軍がアジア各地で歓迎されている様子を示すために、侵攻していったアジア各地で、陸軍航空隊と現地の人びととの交流が綴られ、空母と海軍航空隊、訓練、敵艦に攻撃を加える航空機、材料の品質、スピード、装備、持久力、すべてにおいて優れているかの印象を与えるためのさまざまな検査機器、飛行機工場の全体像と製作過程のアップ、トレーニング風景が続く。キャッチで「トレーニングに限界はない」と記す。飛行機工場は、またモンタージュで盛っているかもしれない。
なかでも、機首と回転するプロペラ、滑走路のセンターラインと遠くに見える離陸寸前の航空機、銃座、照準器などのアップがストーリーを補強している。
そして最後は、飛行帽をかぶったふたりの航空兵の例の遠くを見つめている写真で締めくくる。キリヌキでふたりを合成している。ただし、日本軍はもはやアジア各地の人びとに歓迎されてもいないし、熟練航空兵が減りはじめた時期で、もはや叶わない願望をあらわしたかのような印象がある。
この号から中国語+英語、中国語+日本語、というように2カ国語併記となる。どうやら生産力はまだまだいける、ということを内外(とくに中国とアメリカ)に示すために、製鉄を特集したようだが、この2 カ国語併記ということで台所事情が透けて見える。用紙の統制が開戦後しばらくしてはじまり、1944年はかなり深刻になっていたとおもわれる。
表紙には、いかにも空元気のような、溶けた鉄の激しい火花を持ってきている。中国に、1600度まで熱せられて液状になった鉄をひしゃくで掬すくい、冷たい壁にぶちまけ、飛び散る火花を咲き誇る花に見立てた「打樹花」という伝統行事があるらしいが、あまりにも危険なパフォーマンスなので後継者が少なく、いまや風前の灯という。「鉄(生産力)号」の表紙のパフォーマンスもいまからおもえば「打樹花」のように風前の灯の象徴のように見える。
そして、鉄鉱生産現場と労働者の写真が続き、「決意と自信を持って」というキャッチが挟まる。つい本音を記してしまった感がある。繰り返しになるが、時は、敗戦という暗雲が垂れ籠めはじめた1944年。モチベーションをあげるための「決意と自信」であり、これらは「新しいアジアをつくるための武器庫」となる、と結ぶ。
この展開を補強するために再度製鉄の現場を繰り返す。最後に並べられる、歯車のアップ、整然と並ぶ発電機、製造中の軍用車の列、直線上に並べられた工場内の戦車などのアップ。『建設のソ連邦』におけるロトチェンコの歯車のアップ、ナチス・ドイツのプロパガンダ・マガジン『ジグナール』の大量の迫撃砲が並ぶ表紙など、兵器などを大量に均等に並べる手法は、プロパガンダ・デザインにおいて工業生産力を誇示するための最適の構図である。
この「鉄(生産力)号」を締めくくる表3のことばは、「豊かで幸せなアジアを建設するためには、アジアの多くの民族が団結して向かわなければならない」と結ぶ。しかし、後半の工業生産力の表現は兵器にシフトしていたため、幸せなアジア建設は、武器によることを暗示し、平和をめざすイメージに少しも直結していないなど、いささか説得力に欠ける構成だとおもう。
中国といえば龍ということなのだろうか、「華北建設号」の表紙は、「FRONT」のロゴよりも大きく「華北建設」のロゴを入れ、紫禁城の壁面の龍のレリーフをあしらうなど、中国におもねった感のあるデザインである(おもねるのは戦争をはじめる前だとおもうが……)。とはいえ、色使いが地味。いっそのこと、2色の本文で使っているオレンジなどを表紙に持ってきたら、デザインとしてもっとアピールしたものになっていたかもしれない(アピールをめざすのも時機を逸しているが……)。
日本軍はもはや自力で戦争に勝利するのは不可能になってきたので、中国と侵略戦争をしているにもかかわらず、ともに立ち上がって米英に勝利しよう、とする檄文が表紙裏に記されている。
続いて、中国から外国勢力を駆逐していくために日本が必要なこと、華北の使命は、大東亜戦争の兵站基地となること、華北建設を妨げるのは、日本に敵対する重慶軍、共産軍だと非難する。侵略者と戦うのは当たり前だから、日本軍のいい分としては、侵略者と被侵略者が一致団結して米英と戦おうといっているようなもの。矛盾に満ちているが、それを、街中を行進する日本軍、日本軍によって華北の中国人で構成された華北軍の様子などでリアリティを持たそうとする。
しかしその本音は、華北に眠る膨大な資源をどうしても手に入れたい、である。日本の生産力の低下が図らずもばれてしまった感のあった「鉄号」のあとには、なりふり構わず資源がほしいと主張する「華北建設号」ということになる。
そこで気になる華北の埋蔵資源の、採掘現場、精製工場、綿花栽培など並べ、センターページの折りたたみ巨大ポスターでは、巨大な仁王、中華民国の旗を掲げる民国軍、工場、軍隊の行進などをコラージュし、ここでも執拗に「大東亜戦争」完遂を訴えている。ただし、このポスターのコラージュの素材もデザインもいまひとつ。
後半は、肥沃な華北、働き、遊ぶ人びと、教練の学生など、日本軍の影を一切消し、例の笑顔とともに紹介する。時すでに遅しだが、民衆との融和に力点を移している。「華北の民の総意はアジア全体の民の総意と相合する」の結びも虚ろに聞こえる。
本文の中国語(繁体字)、日本語は、欧米と同じ左から右へのヨコ組み。
中国が簡体字になったのは中華人民共和国建国後の1956年。同時にタテ組みを廃してヨコ組みのみとした。西洋との遅れを取り戻すには難しい漢字が問題だ、とした毛沢東の鶴のひと声で簡体字になり、西洋風の左から右へのヨコ組みとしたのだった。
日本も中国もそれまでタテ組み中心で、ヨコ組みの場合、1行1字のタテ組みの考えの延長線上から右から左へのヨコ組み(右ヨコ組み)としていた。したがって、一般民衆になじみのあるのはタテ組み。西洋風の左から右へのヨコ組み(左ヨコ組み)は欧米の模倣であり、モダンすぎるという保守派の反発もあった。だから日本の戦前のヨコ組みは、ほとんどが右から左、わずかに左から右もあり、混在していた。
日本軍が東南アジアに侵攻したとき、現地の民衆が慣れている書字方向(左から右)にせよ、というお達しがでたこともあったが、それも保守派の反発でほどなく右ヨコ組みに戻された。
それほど書字方向にこだわっていたのに、この「華北建設号」では左ヨコ組みを採用している。「海軍号」のモンゴル版ではタテ組みだったが、モンゴル語の書字方向が左から右なので、左開きで問題はない。
『FRONT』は創刊以来の左開きが定番である。だからこの「華北建設号」でも左ヨコ組みにせざるをえない。反発の強いはずの左ヨコ組みを採用せざるをえなかった事情の背景には、日本軍のパワーダウンが感じられる。
ちなみに、中国語では句読点が、文字のセンターに置かれているが、これは中国語の伝統的な表記で、現在の台湾に受け継がれている。
日本軍は、離反する民心をつなぎとめるために、日本軍政をやめて後見役となり、ホセ・ラウレルを大統領にし、共和国政権をつくった。その共和国政権誕生おめでとう号がこの「フィリピン号」。そのため、誌面には平和のムードが漂っている。
そのせいかどうか、この「フィリピン号」は、デザイナーが変わったのかも、とおもえるほど、それまでのデザインからよりモダンになった印象がある。多川精一さんの証言によれば、デザイナーは今までと同じ原弘さんだったようだが……。
まず、表紙。なんといっても白ヌキのヨコストライプがそれまでにないモダンさを醸しだしている。それと色、誌名のオレンジに、背景のネイビーブルーと白ストライプ。それまでの『FRONT』の表紙と並べて見ると一目瞭然、戦争色の強い表現から、一転、平和が訪れたのか、と錯覚するほどさわやかな印象になっている。
正直にいえば、フィリピン国旗を掲げながら行進しているカラーのフィリピン軍のキリヌキは、写真もあまりよくないし、キリヌキの版ズレも目立つ。ただし、国旗の白い三角と太陽を象ったマークと星印、青と赤の色によってモダン色が強まったこともたしかだ。
本文の巻頭ページでも余白の使い方があきらかに違う。表紙の国旗の模様を受けて、「自分たちの太陽・星を持ってるから幸せ」と語るページの大胆な余白、写真を二つ折りにして立てたようなイメージにするための、そこそこの面積を占める斜めの黒い影など、かなりロシア・アヴァンギャルド的構成を感じさせる。
続く、風船とフィリピン国旗を持った少女のキリヌキ、全体を斜めに走る直線とそれに沿って傾けられた写真など。これもロシア・アヴァンギャルド的。
ほかのページでも、この斜めに写真やキャッチを傾けたり、写真の角を丸くするなど、全体にソフトな印象になるようにデザインを工夫している。
ちなみに、センターページのカラーの見開きは、巨大な国旗を背景に、収穫物の籠を抱えて、笑顔いっぱいの農婦が描かれている。そこにフィリピン大統領ラウレルのことば、「われわれにとっての救いは大地だ。そこで植え、汗を流して働かなければならない」が添えられている。構成といい、色使いといい、まさに『FRONT』が模範とした『建設のソ連邦』におけるスターリンの社会主義リアリズム風であり、ナチス・ドイツ時代の農業政策ポスターがおもいだされる。
後半の、「読める?」として、フィリピンの少女たちの写真とともに、「ヨクマナビ、ヨクアソビ、ヨクハタラケ」などカタカナで記されたページもある。こんなユーモアはこれまでの『FRONT』にはまったくなかった。
ちなみに、ラウレル政権ではフィリピンの民心を得ることができず、日本人との協力関係も危うくなり、「フィリピン号」がでた1944年、年末からフィリピンにアメリカが進軍し、翌年ラウレル政権も崩壊した。
「不滅のヒンドゥー」と題して、反イギリスの軍事組織インド国民軍に呼応して立ちあがろう、とインド国民に呼びかけるかたちをとった号。
インド国民軍は、イギリス兵として徴用され、日本軍の捕虜となったインド人を中心に、日本軍の後援によって結成された軍事組織。もちろん、インド独立のためというよりも敵であるイギリスに打撃を加える日本軍の掃討作戦部隊の一部、という位置付け。
したがって表紙には、インド風細密画や縁飾り、地紋を使い、色も大地の色などインド色を前面にだしているが、地味である。個人的には、インドには原色も溢れているはずだから、せめて縁飾りをより鮮やかな赤系を使い、細密画にもポイント・カラーで原色を混ぜればメリハリの効いた表紙になっただろう。
本文デザインも取り立てて目を惹くページはない。同じようなことをやっているとマンネリ化は避けられないが、まさにこの「インド号」こそ雑誌の末期を感じさせる。これまでの『FRONT』でよく使われていた、遠くを見つめる顔もいまさらで、これまで誌面にメリハリを与えてきたアップ写真もほとんどなく、心に響くページはない。
言語がヒンドゥー語ではなく英語で、ときどき中国語が混じるという選択は、だれに向けたプロパガンダなのだろう。脅威を与えるためにイギリス軍向けかもしれないが、中途半端感は避けられない。
敗色濃い時期に、まだまだ敗けないぞ、という決意表明をカモフラージュして、「タノシイセンソウ」というサブタイトルが似合いそうな、戦時体制を楽しんでいる様子を、中国人民に見せつけようとした号といえる。
1ページ目の「飛行機雲が美しい」とする写真は、来襲した米軍機と日本軍の迎撃機による飛行機雲なので、決して穏やかに見ていられるシーンではないはず。空元気が悲しみを誘う。
とはいえ、空元気のなかでも戦争の厳しい影はやはり消せない。たとえば、消火訓練、救護活動など、空襲にさらされているからこそ生じたシーンである。
誌面いっぱいに切り抜かれた笑顔を浮かべる子どもは防空頭巾をかぶっている。アジアの子どもたちと連帯している旨のキャッチもつくが、防空頭巾が非日常をあらわしている。続くページでは、笑顔に溢れた子どもたちが楽しそうに勉学、リクリエーションに励み、アジアの子どもに向けて、大東亜共栄圏を協力してつくろうと訴えかけ、平和になったら遊びにきて、と手紙風に表現している。
しかもその次のページでは、戦車の前で少年たちが戦車兵の説明を聞いている。早く立派な戦車兵になるように、と結ぶ。学徒ばかりでなく少年まで動員せざるをえない状況を図らずも明らかにしてしまっている。ドイツのヒトラー・ユーゲントの少年兵の悲惨な末路がおもい浮かぶ。
もちろん女性だからといって例外ではない。戦時体制に参加させられ、軍用機づくりをさせられている。ということは、空爆の目標となる軍需工場で働かされていることになる。まさに女性を人間の盾にしているともいえる。
理由は不明だが、『FRONT』全体にわたって、この号のみ目次とノンブルがつけてある。それまでのイメージのみの構成から、全体のストーリーがしっかりできていたからだとおもわれる。
翻って考えれば、日本軍国主義へのパロディ号ということも考えられる。「楽しさ」をあからさまに前面にだしているところにその皮肉が効いている。すべての写真、キャッチ、キャプションが述べるところと現実との乖離が激しく、パロディとして十分機能しているように感じる。
華北建設号
フィリピン号
インド号
戦時東京号
解説
淡路町からの眺め──東方社(対ロシア)へ愛をこめて/山口昌男
すごい道楽雑誌/天野祐吉
『FRONT』、その制作現場/多川精一
なんだか面白いんですよ、会社の中が──/三神勲
一編集部員として/中野菊夫
野々宮ビル地下、暗室しごと/浅野隆
横浜事件と東方社と/海老原光義
『FRONT』のデザイン 華北建設号・フィリピン号・インド号・戦時東京号/松田行正
*松田行正執筆「『FRONT』のデザイン」は、[復刻保存版]刊行に際しての書き下ろしです。