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小林武彦先生× 壇蜜さん対談「なぜ「老い」、なぜ「死ぬ」のか」【後編】――『壇蜜的人間学。』より

記事:平凡社

7月に平凡社より刊行された『壇蜜的人間学。』
7月に平凡社より刊行された『壇蜜的人間学。』

8人の専門家と対談した壇蜜さん(写真/著者提供)
8人の専門家と対談した壇蜜さん(写真/著者提供)

*対談前編はこちらのリンクより。

ヒトの老いは社会が決める

小林武彦(以下、小林):どんな人が老けやすいかという話でしたが、寿命を決める要素は75%が環境、25%が遺伝です。すごく単純にいえば、双子を何十組か調べたとき、両方とも長寿な場合が25%くらいということになります。これはある意味で「よい知らせ」であって、誰もが生活習慣を改めれば、長寿になる可能性があるということですね。

壇蜜:長生きするには、環境が大切なのですね。

小林:たとえば、芸術的才能はもっと遺伝的要因が高い。足の速さや運動神経といったものにくらべても、寿命という性質に関しては遺伝的要因が少ないと言われています。

壇蜜:そうか、あくまでも寿命に関してだけなんだ。性格とかもそうですか?

小林:性格のどこを見るかにもよりますが、精神的なものは、わりと遺伝的要因が高めでしょうね。

壇蜜:前に聞いた噂では、霊感は母方の遺伝なんですって。霊感が強い人は、お母さんを辿るとみんな強いらしいですって、すみません。脱線しました。

老いや死に対する感じ方やとらえ方も、女のほうがざっくばらんというか、たくましい感じはします。旦那に先立たれても、結構長生きしたり。「男やもめに蛆がわき、女やもめに花が咲く」というパターンです。

小林:肉体的にも精神的にも安定しているのは、女性だと思いますよ。それは、やっぱり子どもを産んだりするということで男性よりもタフかなというのはあるでしょう。

壇蜜:そこは多様化とか男女平等とか言っても、オスとメスで決まっているところかな、とちょっと思いますね。

小林:男女の肉体的な違いは生物学的には明らかです。染色体も女性のほうが安定ですよね。Xがふたつあって、男性はXがひとつ。このXは、生きる力にも直結する重要な染色体です。だから、たとえば男性だけがかかるような遺伝病というのが、結構あります。色覚異常(生物学者は色覚多様性と言っています。昔は色盲という言葉も使われました)なんかも、そうでしょう。

壇蜜:なるほど、それで色覚にトラブルのある人って男性に多いのですか。

小林:男子はクラスに数人はいるけど、女子は学年でも学校でも珍しいくらいですよね。以前は「劣性遺伝」という言葉を使いましたが、優劣というのは正しくないので、今は「潜性遺伝」と言います。女子の場合は潜性の遺伝子がふたつ揃う可能性は低いですが、男子の場合は一個もっているだけでなっちゃうので、症状が出やすい。色覚多様性以外にも、同じような例がいくつかあります。

壇蜜:なるほど、危ういですね。

小林:遺伝とは関係ないですが、交通事故とかで死ぬ確率も男性のほうが高いので、危ういです。

壇蜜:そうか、男の人も大変ですね。

小林:生物学的には、体の大きな生き物が長生きします。ネズミよりもゾウのほうがずっと長生きでしょう。同じネズミの仲間でも、ハツカネズミよりテグー、テグーよりビーバーみたいな感じで、体がでかくなると徐々に寿命がのびていく。

でもヒトの寿命は何で決まっているかというと、それはもう明らかに社会が決めているんですね。今この地球上を見渡しても、国によって寿命が大きく違います。日本は最長寿国で80歳を超えますが、短いところは50歳代とか。社会によって平均寿命が大きく違うということは、ヒトは社会のなかでしか生きられないという事実と直接つながっていますね。日本に生まれたというだけで、30年くらい得しちゃっているわけですから。

壇蜜:それが得と感じられるように、生きないと損ですよね。 「生きなきゃいけない」なんて思わず。

「老いる」は公共的になっていくこと

小林:そもそも明確な形で「老い」をもっている野生の生き物は、ヒトのほかに哺乳類ではゴンドウクジラとシャチくらいなんです。

壇蜜:そうなんですか?

小林:たとえば、ハダカデバネズミには年をとって元気のない、「老いた個体」がいません。死ぬ直前までピンピンしています。

壇蜜:そうそう。デバは、ピンピンコロリなんですよね。

小林:チンパンジーも基本的に同じです。もし、ヒトみたいに「老眼になってきた」とか自己申告してくれたら、「老いたチンパンジー」と呼べるのかもしれませんが、それはわからない。だから私たちは、生理があって子どもが産めるあいだは「老いてない」という生物学的な基準をつくっています。それによると、ヒトは50歳くらいで閉経した後も30年以上、子どもを産まない状態で生き続けるという珍しい動物です。この定義によれば、ヒトとゴンドウクジラ、シャチだけが老いの期間、つまり老後をもっている。これらの種では、老いが必要だったから、老いるように進化したのだと思います。その辺のところは近著『なぜヒトだけが老いるのか』でも書いています。

壇蜜:人間には、そしてゴンドウクジラやシャチには、なぜ「老い」があるのでしょうか?

小林:本当のところはわからないのですが、シニアのクジラやシャチにも何か役割があるのだと考えられます。たとえば有名なところでは「おばあさん仮説」と呼ばれる説があります。人間をはじめとした特定の種は、繁殖能力を失うかわりに孫や若い世代の面倒を見ることで、家族やコミュニティ全体を守る方向へと進化してきたと言われています。

壇蜜:老人の役割というと、村の知恵袋的なおばあちゃんとか、古い出来事も知っている長老とか、そんなイメージでしょうか。

小林:そうですね。技術や文明が発展してくると、それを継承しなければならない。そのために必要なのが、知識や経験をもった学校の先生のようなリーダーたちです。それが大抵、シニアの役割なんです。教育すれば、ますます分業も進むし、仕事も楽になる。シニアの存在が人類の長寿という進化の歯車をまわしてきたのだと思います。

ところで、『生物はなぜ死ぬのか』という本を書いたとき私が考えていたのは、生き物が死ぬということは公共的なものなんだということでした。

壇蜜:死は個人的なものと感じられるけれど、死ぬ人は自分のために死んでいくわけではないということでしたね。

小林:そうです。死の意味を理解するには、たとえば地球上では生物が38億年前から、生まれては死にながら、ずっとつながってきたことを考えればいい。無数の死の上に、私たちの生命もある。そのことに関しては、過去の生物に対してリスペクトが必要です。

そして「みんながいつかは死ぬ」ということは、生き物が最後に100%公共的なものになるということです。つまり、だんだん公共的なものになっていく過程が「老い」です。

壇蜜:なるほど、そのイメージはよくわかる気がします。

小林:若いときは、自分のやりたいことをやり、自分の好きな異性を追いかけ、食べたいものを食べ、権力、金、出世を追い求めて突き進めばいい。でも、やがて老いていくと公共的な存在になる。それがシニアだと私は思っているんです。

壇蜜:なるほど。でも、いまだに権力や金を追い続けるシニアたちが、永田町あたりにたくさん思い浮かびますけど……。

小林:それが、ひじょうにマズいのです。すごくマズいと思います。

壇蜜:人間の社会には、いつも公共性のある老人がいたし、今もそれが必要だということですよね。

小林:はい。若い人たちは、私利私欲でがんがん生きる。それが人間の発展につながる。ただ、それを調節するような、公共的にものを考えられる人がいて、社会はバランスをとってきたと思うのです。そうやって集団やグループは、まとまることができたのかもしれません。

壇蜜:今、まとまらないですよね。

小林:そうなんです。若者は「老害」といって高齢者を批判することもあるでしょう。たしかにそう見える側面もあると思います。今はたとえば定年退職があって、ある程度の年齢になると会社から、そして結局社会からも距離を置かれ、仕方なくぶらぶらせざるをえない人もいるかもしれません。コロナの時も、なんで高齢者の感染を防ぐために我慢しないといけないの? と思った若者ももしかしたらいるかもしれません。社会がシニアを頼らなくなっている。シニアが不要になってきている。それはすごく危険な状態だと思うんです。みんながみんな若者的な発想になっていったら、社会はまとまらないだろうなと思います。

シニアと子どもに優しい寛容な社会

壇蜜:大学で教えてらっしゃる若い学生たちは、いかがですか?

小林:高校までは、みんな本当によく勉強するんですけど、困ったことに大学に入った瞬間から少しやる気が減り気味です。たぶん、どこの大学もそうだと思います。私が教えている東京大学なんか、もう地頭は天才かというような優秀な学生がいっぱいくるのだけど……。

壇蜜:ああ、大変だった受験の後はもう勉強したくないんですね。

小林:我慢しながら中学、高校までやってきたから、その反動がくるのでしょうね。

壇蜜:もう6年も我慢してきたから、さらに4年も我慢できない。私個人の考えですが、それを食い止められるかもしれない方法があって、それは制服だと思います。ノースリーブ着たいとか、オフショルダー着たいとか、もうちょっと我慢させる。

小林:なるほど、それも一理あるのかもしれないなあ。大学にくると急に自由になっちゃって、その後大学院までだと合計9年間は自由なままなんです。でも一度社会人をやった経験のある人は、わりとしゃきっとしているんですよ。だから、まずは給料のために働いて、それから大学院に戻ってきたほうがいいと思うことがあるんです。

壇蜜:なんか、今は若々しさばかりがもてはやされ、求められるじゃないですか。そういう環境もよくないですよね。

小林:よくないですね。

壇蜜:「これで70歳なんて、信じられない!」みたいな話も、あまりやりすぎちゃダメなんだと思いました。

小林:日本は世界最長寿国で、シニアは日本のもっている貴重な人材の「資源」でもあるんです。他の国にはない資源なのだから、それをいかに生かすか、日本の未来をよくするためには重要なキーポイントだと思います。とにかく、シニアに活躍してもらうしかないですね。

壇蜜:シニア優先とか、シニアが生きやすい社会をつくることは、あながち間違いじゃないと私も思っています。ただ、シニアに対して文句を言ったりするのも、シニアの手前の人たちなんだろうなと思うと、ちょっとモヤモヤしますね。

小林:シニアというのは結局、自分がこれから行く道であり、将来の自分たちそのものです。自分の親であったり、お祖父さんお祖母さんであったりするわけでしょ。同じように子どもは、自分がきた道であり、やはり自分たちそのものです。子どもやシニアに対しては、寛容であれというより、そういう自分を映した存在なのだということを理解すべきだと思いますね。

壇蜜:かつてそうだった自分と、未来にそうなる自分ですね。

小林:たとえば買い物で急いでいるとき、お年寄りがレジで財布の100円玉や10円玉をゆっくり数えはじめる。そんなときイライラするかもしれないけれど、そこは理解しないといけないと思います。急いでいるのは、あなたの都合なんですよって。

赤ちゃんも同じです。私は新幹線で通勤していて、混んでる車内で赤ちゃんが元気よく泣いていることがあるのですが、近くの席の場合には変顔してあやしたりしますよ。まさに怪しいおじさんですけどね。

壇蜜:余裕というか、優しさが必要ですよね。お互いの都合があることを認め、お互い違うねと認め合い許し合えれば、それが寛容な社会といえますよね。

小林:そうです。社会の寛容さが減ってきてしまうと、少子化も進むし、お年寄りに対しても冷たくなるし、よいことはひとつもありません。

おせっかいと「シニアの底力」

小林:冒頭でお話しした、哺乳類は群れて暮らす生き物であるという話に戻ると、人間の社会には「おせっかいな人たち」が減っていると感じるんです。今は、それよりもプライバシーや個人が大切にされます。でも本当のところ、プライバシーというのは哺乳類にはない概念でしょう。関わり合わなければ、コミュニティをつくらなければ生きていけないのだから。だからプライバシーというのは、相当に難しい概念なんです。

壇蜜:おせっかいな人が、もっと増えるべきなのでしょうか?

小林:たとえば今は結婚相談業やマッチングアプリがあるのかもしれませんが、昔は結婚といえば圧倒的に親戚のおじさん、おばさんとか会社の上司がおせっかいで相手を紹介していたんです。これはと思う人を紹介するためには、どうしてもプライバシーに踏み込んでいく必要があるでしょう。「彼氏いるの?」とか「収入は?」とか。今でいうところの「個人情報」をたくさん聞いておかないと、紹介できませんから。

壇蜜:今は「これ以上はあなたのことを聞いちゃいけないよね」とか「知ろうとしちゃいけないよね」と、遠慮してしまう感じです。そういう「個人情報」が少なければ、もっと親切にしようとか、もっと関わろうとか思っても、できないのに。むしろ、「よく知らない人が急に怒ったり、襲いかかってきたらどうしよう?」みたいな感じすらあって、「やっぱり、やめておこう」となりがちです。これって、スパイラルですね。

小林:そうですね。人間は社会性の生き物です。「社会性」というとちょっと大袈裟ですが、要するに人との関わりに依存して生きる動物ということです。私は都会で育ちましたが、妻は熊本県で生まれ、その集落では同じ名字が多いんです。何代か遡ったら、同じご先祖様ということもある。お互い親の代からよく知っていてプライバシーもへったくれもない。そういうところは、若者だと居づらさを感じたりすることもあるのかもしれません。少なくとも、妻は少し居づらいと言っていましたね。子どものころから、お互いを知りすぎていて。でも今は、むしろお盆やお正月に帰省するとほっとするとも言っています。結局、長い目で見ると、そういう関係に助けられることのほうが多いのかなと思います。

壇蜜:よくわかります。すべて知られていることに対し、リラックスしている人がいるのかはわかりませんが、結果としてそれが安心につながるというのは、すごく感じます。私はやっぱり、日本の社会とデバの共通点が多いから、デバに見習うものは多いと思っちゃいます。

小林:デバ式の子育てなんかも、見習うべきところがあるかもしれませんね。人間の世界で言うと、子どもを産むという選択に関して社会のサポートを最大限に与える。先進国の少子化対策は基本的に、どこもそれです。3人目を産んだら、最初に遡って全部の費用を無料にするみたいな。

壇蜜:なんだか、デリバリーのピザみたいですけど。

小林:ははは。2枚買うと、3枚目はただみたいな。子どもを持つか持たないかは、そんな損得勘定だけで決めたりはしないと思います。それよりも産む選択をした女性が世の中でちゃんと認知され、子どもも含めて不都合なく暮らせる環境を整えることが大切です。

壇蜜:子育てのストレスを発散するのに、「発言小町」で悪口だけを言っているようじゃダメですよね。参考になるコメントももちろんありますが。結婚や子育てを忌避する人が増えたのは、ああいうサイトの影響もあると思っているんです。結婚や子育ては地獄だみたいなイメージになってしまって……。

小林:そんなときだからこそ、シニアが活躍しないといけないんですよ。子どもを育てること、働くこと、パートナーをもつことの大変さも、楽しさも、さまざまな経験や知恵として知っていて、伝えることができる。もちろん、力を貸すこともできるでしょう。

壇蜜:そうですね。少子化を食い止めるのは、シニアの底力しかない気がしてきました。私みたいに、産まない選択をした女にとっても、それは利点ですよね。「産んでくれて、ありがとう」「いえいえ、どういたしまして」という、寛容な社会になればいいなあ。

なんか、これまで老いとか死のむずかしい話を考えていたんですけど、先生のお話をうかがっていると老いも死も説明が可能なものであって、すごくシンプルな側面もあるんだなと感じました。ありがとうございました。

『壇蜜的人間学。』目次

はじめに——もう一度授業に出たくなった
「病気」になるってどういうこと? 仲野 徹
「セックス」について考えてみた。  奥野克巳
なぜ「老い」、なぜ「死ぬ」のか 小林武彦
「アート」は難しい!? 南條史生
「占い」って何だろう 鏡リュウジ
「歴史」を知る醍醐味 本郷和人
「科学技術」は何のためにある? 佐倉 統
「宗教」について考えてみた。 島薗 進
おわりに—— 学ぶということは暮らしの中に溢れている

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