〈ルリユール叢書〉から世界文学の翻訳を考える——文学の仲介者ヴァレリー・ラルボーとともに
記事:幻戯書房
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中村 ルリユール叢書は2019年6月の発刊から早5年、翻訳者の方々と読者の皆様のおかげで現在までに55冊を刊行するに至っています。50点突破記念ということで、既刊書の中から一点を取り上げるとしたらと考えたとき、真っ先に浮かんだのが『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』〔以後『聖ヒエロニュムス〜』と略記〕を書いたヴァレリー・ラルボーでした。ラルボーは、20世紀フランスの作家・翻訳家で、同時代人で20世紀最大の文学者の一人、ジェイムズ・ジョイスの紹介者としても知られ、まだ無名だった作家の才能をいち早く見抜いて、ジョイスの代表作『ユリシーズ』をみずからフランス語訳して紹介したのがヴァレリー・ラルボーです。
僕は『A・O・バルナブース全集』(以後、『バルナブース全集』と略記)でラルボーを知りました。コスモポリタンでポリグロットの青年実業家バルナブース氏がヨーロッパ各地を旅する物語で、私小説ではありませんが、ラルボー自身の経験、翻訳者・批評家の面が伺い知れる作品です。ラルボー自身、多言語を使いこなすポリグロットで、英米文学、ラテンアメリカ文学、イタリア文学などの翻訳をし、文学の仲介者として立ち回っていました。
『聖ヒエロニュムス〜』は、そんなラルボーが展開する翻訳論の書物です。ラルボーはずば抜けた語学力を駆使して古今の書物を読むに読んだ博識の読書家としても知られ、『罰せられざる悪徳・読書』というエッセイを残しています。ラルボーの蔵書は生地ヴィシーの市立図書館に所蔵保管され、1万5000冊余の本や雑誌が収められているということです。
コスモポリットであり世界文学を愛するヴァレリー・ラルボーという作家とルリユール叢書には不思議な共通点があります。ラルボーは自分が価値があると思った作品・作家を見出しては、それを国内外の雑誌等に積極的に翻訳・紹介していきました。ルリユール叢書も同様に、知られざる作家、あるいは有名作家でもあまり良く知られていない作品、また様々な国の多種多様な文芸作品を積極的に紹介していくというシリーズです。ルリユール叢書巻末に収めた「発刊の言」に、《異文化・異言語・異人同士が寛容と友愛で結びあうユートピアのような──〈文芸の共和国〉を目指します》とありますが、これを書きながら僕が思い浮かべていたのは、実はラルボーの姿でして、ラルボー自身が、自分の作品や翻訳という行為を通じて体現しようとしていたように、ルリユール叢書もそのような世界文学叢書を目指したいと考えました。
『聖ヒエロニュムス〜』は世界文学の翻訳について述べられた本で、ルリユール叢書はもちろん、翻訳について考える絶好の本だと考えます。そこで、本書の翻訳者であり、比較文学研究者の西村靖敬さんにお越しいただきました。ラルボーや『聖ヒエロニュムス〜』のこと、また本を翻訳することの困難などについてお話しいただけたらと思っております。
また、ルリユール叢書にも早くからご注目いただいておりました文筆家の山本貴光さん、ライターの鳥澤光さんにもご登壇いただきます。山本さんは、実はルリユール叢書を発刊する際にいろいろと相談に乗っていただいた恩人でもあります。
西村 私がこの翻訳に取り組んだきっかけは、幻戯書房の中村さんからメールでご依頼をいただきまして——それが2018年の3月28日のことです——実はこのとき、勤め先の千葉大学を定年退職する間際でして、のんびり余生を過ごそうと思っていたところに、ちょうどその気持ちを無にするように(笑)、そんなご依頼が降ってかかりまして、真剣に悩みました。というのも、原書は三百数十ページの本ですが、それまで論文で引用する必要があったりして部分的に訳してはいたものの、なかなか日本語にならないようなところも多い。言語的にもフランス語はもちろん、英語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語が出てくるし、なんと言ってもラテン語、ギリシア語です。こういう古典語は大学時代に若干かじったとはいえ、改めて勉強し直さなければならないし、まして翻訳するなんて及びもつかない。それを自分でやりきれるかどうか。のんびりと余生を過ごそうと思っていたその時期に、そういった困難な課題に立ち向かえるのかと真剣に悩んだわけです。
でもまあ、これを逃せばこんな機会は絶対にないだろうし、何よりもラルボーという作家・批評家に出会ってからかれこれ50年近く付き合ってきたのだから、一つの集大成としてやらなきゃいけないことかもしれないな、と。ただ、いつ完成するかわからないので、その点は大目に、長い目で見てくださいとお願いして、取り掛かった。そして全体をとりあえず訳し終えるのに二年、さらに刊行までに三年近くかかってますから、足掛け五年。中村さんの叱咤激励をいただきながら、なんとか刊行までこぎつけたというのが経緯です。
西村 出会ってから50年と言いましたが、思い返すとラルボーとは長い付き合いになります。私が東京大学に入りましたのは1971年のこと。駒場の一年目にフランス語を始めて半年ほど手ほどきを受けて、後期にはフランス語のテキストを読むことになります。それが「ローズ・ルルダン」と題されたテキストだった。少年少女の心理を描いた『幼なごころ』という短編集から表題作など3篇を選んで注をつけた教科書版が白水社から出ていたんです。つまりフランス語のテキストを読んだ初めての経験が、たまたまラルボーだったんですね。今日はその教科書を持ってきました。
(会場ざわめき)
山本・鳥澤 すごい!
西村 当時私は19歳、初々しい大学一年生だったので、盗まれたら取り戻せるようにということなんでしょうか(笑)、後ろの方に当時のクラス名と名前が書いてあります。これを見るたびに、「自分も年をとったな」とか「若い頃こういうものを読んでいたな」とかいろいろ思い出して、保管しておいてよかったなと思います。そして今日はそこに、当時のクラスメートがいらしてます。大久保康明さんといって東京都立大学の名誉教授で、今も家族ぐるみの付き合いをしていますけれども、同じクラスでフランス語を習いました。そのとき我々ふたりが出会ったのがこの「ローズ・ルルダン」だったわけです。習ったのは芳賀徹先生、のちに日本芸術院の会員にもなられる比較文学の大家です。残念ながら四年ほど前に他界されましたが、その芳賀先生も当時は新進気鋭の助教授で、学生を煙に巻いたり、独特な授業をされていました。
そこで教わったラルボーという作家に関心を持ち、三年生の後半くらいにラルボーについて卒業論文を書こうと考えて芳賀先生に卒論指導をお願いすることになるんですけれども、「ラルボーについて書くだったら、ぜひ東京外語大の岩崎力先生に話を聞きなさい」と。岩崎先生はラルボーの作品をたくさん翻訳されていて、当時ラルボー研究の第一人者でいらっしゃった先生です。さっそく当時北区西原にあったキャンパスに岩崎先生の研究室を訪ねて一時間ほどお話をさせていただきました。それが私のラルボーに対する興味・関心をさらに高めるきっかけになったといっても過言ではありません。先生の謦咳に感謝するところです。
その時に伺った話ですと、戦前からいくつかあったラルボーの翻訳もほとんどが絶版でラルボーを日本語で読む機会はなかったのに、岩崎先生にしろ芳賀先生にしろ、なぜその知られざる作家に興味を持ったのかというと、こういう経緯があったようなんです。飯田橋にある日仏学院の院長、フランス人のオーギュスト・アングレスの秘書を岩崎先生はなさっていた。そのアングレス先生から、「日本人の感性に合うから是非読んでみなさい」とラルボーを勧められた、と。それが岩崎先生、芳賀先生らが関心を持たれたそもそものきっかけなんだそうです。なるほど、『幼なごころ』のような少年少女の心理を描いた作品は日本人に馴染みやすいのかなと思われます。ですから、日本においてラルボーが読まれ、さらに研究されていく上で、アングレス先生というのは非常に大きな、重要な存在だったといえます。
西村 私自身はそうやって研究を始めつつあった1978年、フランス政府給費留学生でフランスに留学する機会を得ました。指導教員を決めなければいけないので芳賀先生にご相談に行ったところ、岩崎先生ともご相談いただいていたようで、それなら是非オーギュスト・アングレス先生に付きなさい、と。アングレス先生にとって私は、弟子筋としては孫世代になりますが、先生のご指導を得て、パリのソルボンヌ大学で研究生活を送ることができました。先生は日仏学院の任務を終えられた後、イギリスのオックスフォードやフランスのいくつかの大学を経て、最終的にパリのソルボンヌ大学の教授になられますが、ご専門はラルボーも親しかったアンドレ・ジッドです。電話帳くらいの厚さのジッドの評伝を三冊出されていて、おそらくラルボーとも面識があったと思うんですけれども、「ジッドについては何でも知ってる、一日一秒たりとも知らない日はないというくらいすべて知ってる」と噂をされてました。確かに論文にはとっても細かいことが書いてあります。これも誰かが翻訳すればいいと思うんですけれども、誰もしないんですね。できないのかな(笑)、是非後輩に託したいと思います。ともかくそういう縁で非常に幸せな留学生活を送りました。
辿ってみますとそういった懐かしいことが思い出されるんですけれども、私自身の研究の流れから言いますと、まず『幼なごころ』『バルナブース全集』など創作作品に馴染んだ。しかしながらラルボーの仕事を見渡してみると、創作家としてというよりは、中村さんから紹介があったように「文学の仲介者」として、翻訳家・批評家としての仕事のほうが量的にも、文学的な意義から言っても大きいんではないかと認識をするようになります。そしてある段階から本格的に大学院で研究を始めて、日本に帰ってきて以降、こちらの方面を中心に研究をしてきたという経緯がございます。
山本 それにしても中村さんは鬼ですね。退官後はゆっくり生活を送ろうというまさにそのタイミングで、しかもこんなに大変そうな翻訳を持ちかけるという狙いすましたかのような所業なわけですが(笑)、我々読者からすると非常に幸福な、ありがたいお仕事で、五年かけていただいたことに改めて感謝したいと思います。
私はこの中では文学の素人だという切り出し方をしようと思ってたんですが、冒頭で中村さんからルリユール叢書にも少し関わっていると明かされたのでその手は使えないか(笑)。私自身はもともと、ゲームクリエイターの仕事を長くやっておりまして、プログラムとかゲームのアイディアを考えるプランナーの仕事をしていました。それがどういうわけか本を書いたり翻訳をすることになりまして、最近は、これもなんの因果か、東京工業大学という理工系の大学で哲学の先生というのをしております。
で、今日はいろいろと抜粋を用意してきたので、資料もあわせてまず紹介することにします。
・『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』 私なりの読みどころを抜粋しました。
・『罰せられざる悪徳・読書』の序文 これも『聖ヒエロニュムス〜』に通ずる話が入っていて面白い。
・西村さんの研究書『文学の仲介者ヴァレリー・ラルボー』(大学教育出版) ラルボーが文学の仲介者としてどんなふうに翻訳をしたのかを非常に多方面にわたって紹介した、まさに「ヴァレリー・ラルボーの仲介者」としてのお仕事とも言えます。
・「ジェイムズ・ジョイス」(丸谷才一編『現代作家論 ジェイムス・ジョイス』、早川書房、1974年) これは『ユリシーズ』が出る直前にラルボーがサロンで披露したジョイスの革新性を紹介したもので、早川書房の「現代作家論」シリーズ『ジェイムズ・ジョイス』の巻頭に入ってます。『ユリシーズ』も刊行時には筋がよくわからないと放り出す人がたくさんいたようですけれども、ラルボーはまだ評価が定まらないうちから、ジョイスがアイルランドに何をもたらしたのか、ダブリンの人々の魅力、そして文学の未来を示している作品だと力説している。もう読んでるそばからジョイスの本を読みたくなっちゃうくらい紹介したい本の魅力の言語化がすごいので、今日は皆さんにその秘密も伺えたらと思っております。
・加藤哲平『ヒエロニュムスの聖書翻訳』(教文館) これは『聖ヒエロニュムスの〜』と並行して読むと更に面白くなる本です。ラルボーが翻訳の守護聖人として掲げた聖ヒエロニュムスは四〜五世紀のキリスト教のお坊さんで、聖書の翻訳をやっていたんですが、どういう文脈でどんな翻訳をやっていたのかをつぶさに研究してその特徴をあぶり出している。面白いのが、ヒエロニュムスは神学者・哲学者のアウグスティヌスと同時代人で、二人は手紙を通じて論争してるんですよ。翻訳のスタンスが全く違っていて、ばちばちに喧嘩してるんですね。そういうこともこの本で非常によくわかる。ラルボーが冒頭でヒエロニュムスの仕事を一くさり書いているので、もしさらに興味が湧いたら、たぶん今、日本語でこんなにまとまってるのはこの本だけだと思うので、よかったらお読みいただければと。
鳥澤 ライターと編集をしています鳥澤です。「素人」と山本さんがおっしゃったのはまったくの嘘で、でも私の場合は本当に素人で、聞く側に椅子をずらしながらお話を伺いたいくらいです(笑)。そもそも山本さんがルリユール叢書の何冊目だったかをSNSで紹介されていて、それがノリスの『マクティーグ』とヴェルレーヌの『呪われた詩人たち』でした。全然知らない叢書だとびっくりして本屋さんで予約をして、それから少しずつ読むようになって、ルリユール叢書が好きだというだけの、本当の素人です。
山本 いえいえ、ばらしておくと、鳥澤さんは文芸誌で小説の月評をなさっていて、私は鳥澤さんが書く批評を読むたびに本を買っちゃう人間です。小説の面白さというのを、ただ味わうことなら我々素人もできるけれども、あんなふうに言葉にして、それに触れた人に「あ、これ本屋さんに行って買おう」と行動させるのは相当なことだと思っていて。そのあたりを、ラルボーが小説や詩を紹介する手つきと絡めて伺えればと思うので、皆さんも騙されないでくださいね、鳥澤さんは文学の素人ではまったくありません。と暴露した上で、はい、どうぞ先を。
鳥澤 ありがとうございます(笑)。私は翻訳をしたこともないし、文学論・言語論を専門的に学んだこともありません。この『聖ヒエロニュムス〜』は、お二人の説明を聞いているとかなり難しい本だと思われる方もいるかもしれないんですが、そして私もかたいのかなと思って読み始めたんですが、ラルボーの言葉の、なにかリズムの心地よさというのが凄く感じられて。小説は小説でとても素敵でしたけど、評論もエッセイとして読めるものも多くて、言葉のつながりとかリズムを感じる。それでとても楽しく読みました。
山本 それこそ翻訳の問題にもなりますよね。フランス語で書かれている原文を、日本語という構造も語彙もまったく違う言語に移して、しかもそれを読んだ我々が、原文にあったかもしれないリズムだったりを感じ取れるというのは奇跡的なことでもあるんで、今のご指摘はまったくその通りだなと。
山本 それではここからはラルボーの紹介をしていきましょうか。このトークを聞き終わった後、皆さんが「買って帰ろうかな」という気持ちになるように。ちなみに私は一冊目の『聖ヒエロニュムス〜』は書き込みでボロボロになっちゃったので、二冊目をさっき買いました。あと何冊あるかわかりませんが、喧嘩にならないようよろしくお願いします(笑)。
さて、『聖ヒエロニュムス〜』の冒頭、ラルボーは《翻訳者の存在は軽んじられている。翻訳者は最下位に置かれているものだ》と、いかに翻訳者の価値が認められていないのかを滔々と述べる。そして自分の語りたいこととして、《知の歴史における翻訳者の役割の重要性について語りたい。あるいはこう言ってよければ、翻訳者の有用性についてである。》と宣言して始めるんですね。
私なんかは翻訳者のおかげで古今東西の本を読めてこんなにありがたいことはない。感謝しかないんですが、そこで西村さん、翻訳に対する評価が低いというラルボーの見立てと、なんでそうなっちゃうのかという点は、いかがですか。
西村 特にフランスなんかでは「オリジナリティ」、これが第一義的に重要なんですね。フランスに限らずどの国もそうかもしれません。翻訳は、100%うまくいっても原典を「再現する」価値しかない。そして原典の持っている情報や美的価値を100%再現できることもあり得ない。どう転んでもマイナス評価がつきまとうわけです。同じ言語的な力、文章力があるのなら、その力を「翻訳」に割くよりは「創作」に割いたほうが戦略的に見ても得なわけで、我こそはオリジナリティを持っている、天分に恵まれているという詩人や作家たちはまず「創作」をやる。翻訳は「余技」であって、誰かから言われてやるとか、あるいは教会に依頼されて聖人たちの著作を訳すとかいうことは実利的にはあるにせよ、わざわざ好んでやる価値があるかと言ったら、うまくいってもとんとん、褒められることはない。それがそもそも翻訳というものの本質だったわけですから、価値が低いと見られていたのは致し方ないのかなと。ただし、「翻訳」というものがあってこそ自国の中に閉じこもっていただけでは得られないような情報が流通して結局はそれが自国の創作の発展に寄与すること、文学における重要なツールであるという認識は、歴史が経過する中で段々と深まっていった。
西村 ラルボーはタイトルでヒエロニュムスに「聖」と添えてますが、これはローマ・カトリック教会の聖人ということですね。ではヒエロニュムスは何をやったかというと、最大の功績は「旧約聖書」「新約聖書」をラテン語に翻訳したことです。旧約聖書は基本的にヘブライ語、新約聖書のほうはギリシア語ですから、それをラテン語に訳し終えたのがヒエロニュムスという人で、完成したのは5世紀初め、404年でしたか。キリスト教史のことは私は詳らかにしないんですけれども、以来20世紀の中頃まで、少なくともカトリックにおいてはこれが「ウルガタ」=ラテン語訳聖書のスタンダードだとされたと言いますから、十数世紀にわたって通用するものを作り上げた。聖書はなんといっても今でも世界第一のベストセラーです。ヘブライ語を知らない西洋人はラテン語訳がないと内容を知り得ないわけですから、巨大な影響力を発揮したことは明らかなわけですね。
ラルボーはこの本の中で、そういうヒエロニュムスの功績を称えていて、自分もヒエロニュムスを鏡として、及ばずながらも外国のいろんな文学をフランス語にしたり、あるいは逆にフランス語のものをその他の言語に翻訳して紹介する仕事に、生きがい、やり甲斐を感じたんだと思います。そういう中でできたのがこの一冊だというふうに言えると思います。
山本 いま「聖書」というと我々には一冊のまとまった書物というイメージがあるけれども、ヒエロニュムスが「ウルガタ」と呼ばれる聖書の翻訳に着手した背景には、当時いろんなラテン語訳が、数え方によると40種くらいが別々にあったらしいんですね。その状態だとお説教する時に、読むものによって翻訳が違っていたりして教会も困る。それで時の教皇がヒエロニュムスに命じて、ラテン語の決定版の聖書を作らせた。そこで彼は、従来存在していた「七十人訳聖書」を元に手直ししたヴァージョンと、旧約についてはヘブライ語原典からもう一回訳し直すということをやったんですね。これが当時はとんでもないことで、みんながギリシア語からラテン語にしている時に、ユダヤ人の知り合いと協力してヘブライ語から見直した。
ここから翻訳論に踏み込むと面白いと思うんですが、さっき同時代人にアウグスティヌスがいて、二人が書簡で論争したと言いました。まさにそこに争点があるんですね。つまりアウグスティヌスは「ヘブライ語から訳すのはちょっとなぁ」と言うわけです。ヘブライ語が原典で、そのヘブライ語からラテン語にヒエロニュムスが訳してくれたんだから「ありがとう」でいいはずなのに、なんでそんなケチを付けると思います?
これは当時の翻訳が持っていた機能が関わってくるんですが、当時の翻訳は、読者がみんな原文も読めるという前提があったらしんです、加藤哲平さんによると。原文がコイネーというギリシア語で書かれたものなら、ラテン語訳と原文のギリシア語を比べて読めるという状態だったらしいんですね。それに比して、当時のカトリック教会関係者の中にはヘブライ語を読める人はほとんどいなかった。アウグスティヌス本人もあまり読めなかったようです。アウグスティヌスは「読者が原文を読めない言語からラテン語に訳してくれたら、嬉しくなくはないといったら嘘だけれども」と一応は褒めながら、「読者が原文と比べられないじゃん」とくさした。
この問題の根底にあるのは、読者が原文と比べられるから意訳してもOKという発想で、自分の言語で気持ちよく読めるならばどう意訳しようが、原文と比べられるから安心して意訳ができるわけですね。そしてヒエロニュムスは意訳OK派なんです。翻訳先の言語で気持ちよく読めるのが大事。一方のアウグスティヌスは逐語訳派といったらいいかもしれません。「原文となるべく一致する形で翻訳をしてくれないと、訳者の思い込みがいっぱい紛れ込んで正しいかどうかも分からなくて困りまっせ」と。
凄く大雑把に言ってしまうと、意訳OK派と原文に忠実派というのがいて、まあ今でもこれ、ずっと喧嘩してるわけで。最近私も大学院生とヘーゲルの『精神現象学』を一緒に読んでるんですが、原文のドイツ語に対していろんな翻訳がある。それこそ意訳に近い長谷川宏さんの、でも日本語としてはすんなり読めるヴァージョンがあれば、原文に寄せて訳している山口誠一さんの『ヘーゲル全集』(知泉書館)の訳とか、比べるとその違いがいまだにある。
まず西村さんに伺いたいポイントの一つなんですけれども、西村さんご自身は、翻訳のスタンス、理想、方針はどんな感じですか? アウグスティヌスとヒエロニュムスの二極の話をしましたけれど。
西村 これは永遠の課題ですね。逐語訳と意訳、その二項対立はいつまで経っても解消できないと考えます。項の立て方自体が、一つの極端な理論的な形としてはあるのかもしれませんが、私の翻訳は、そしておそらくすべての翻訳は、その中間を彷徨ってるとしか言いようがないと思うんですね。意訳だから、逐語訳だから良いとか悪いと決めつけることは永遠にあり得ないし、「俺は意訳でやった」「逐語訳でやった」と言っても、「いや、ここは違うじゃないか」と絶対に言われますよね。すべての翻訳は、過去の翻訳もこれから生み出される翻訳も、すべてがそうです。この本の「訳者改題」でもちょっと触れてるんですけれども、実際の翻訳というのは、どちらに傾いているかということはあるにせよ、これは意訳でしかないとか逐語訳でしかないという翻訳は皆無であって、実際はその間に、両方の要素を置いて存在するしかない。それが自然な、当たり前の姿ではないでしょうか。
ラルボー自身のことについて言いますと、私の研究書の中でラルボーの主な翻訳を取り上げて、その翻訳姿勢がどう位置づけられるかを含めて論じたことがあるんですけれども、そこでまとめとして述べたのは、ラルボーも揺れ動いたんですよね。初期の頃、彼は詩人や作家として創作家を自負するところがありましたので、翻訳も文章家としての翻訳だという主張があった。一般の翻訳者とは違う翻訳を目指す、芸術的な、文学的な翻訳文を作るんだと。もちろん意訳ですよね、そういう意味では。理念としてはそう言っていた時期が初期の頃にありました。
ところが実際にいろんな翻訳を発表して世間から注目を浴びて、たとえばサミュエル・バトラーという19〜20世紀にかけてのイギリスの作家の翻訳に彼はかなり力を入れたんですが、それが評判も得ました。今でもフランスでは定訳になってます。ただそれだけに、この翻訳にはいろんな批判の声もあった。彼自身、芸術的な翻訳を標榜してはいたんですけれども、読者の批判を受けてどうやら、「やっぱり正確さということはどうしても欠かせない」と認識をあらためていったようです。
『聖ヒエロニュムス〜』は1930年代以降の後期の翻訳論が収められていますが、たとえばここに、アレグザンダー・フレイザー・タイトラーというイギリスの古い翻訳家を引き合いに出した、こういう一節があります。
《タイトラーによって模範として父称?され言及されている翻訳者が、やはり時折美しさのために正確さを犠牲にしていることは確かに認めなければならず、その際のためらいのなさは今日では私たちには不快を催させるほどだ》(p103)
西村 タイトラーは、正確さを犠牲にしても美しい翻訳がいいとし、それをラルボーは「不快を催させるほどだ」と言ってるんですね。もちろん「意訳=美しい、逐語訳=正確」という単純な話ではなくて、また、美しさと正確さが対立するのかどうかもまた議論の余地があるんですけれども、芸術的にこなれた訳文を作ることによって正確さが損なわれるのでは、翻訳者としてはよくないと、基本的には考えているといえると思います。
この一節に端的に表れているように、初期は美しい翻訳を目指していたラルボーだったんですが、後半においては正確さのほうが大事なんだと認識を進化させたのかもしれません。ある意味で、若干の方向転換が見られるというふうに思われます。
山本 面白いですね。一人の同じ人物でも当然、経験によって翻訳のスタンスは変化していくと。
ヒエロニュムスを翻訳の守護聖人とみなすラルボーなわけですが、ヒエロニュムスにとってそれは、古代ローマのキケロなんですね。キケロは古代ギリシアの哲学や文学を大量に翻訳するなかでラテン語の姿を作っていった人物で、彼の翻訳論を読むと凄く面白い表現をしています。《翻訳者としてではなくて、弁論家として翻訳をする》、つまりレトリックとしていい形にしたいというわけです。加藤哲平さんの本から引用すると、
《内容は同じまま、その形式をラテン語の成句にすることで、自分たちの習慣に合うような言葉に翻訳したのである》
で、この後が面白い。
《その際わたしは、言葉の代わりに言葉を翻訳することが必要とは考えなかったが、言葉のすべての性質と効果を保存した。なぜなら私は読者に対し、それらの言葉を、数を数えて渡すのではなく、いわば秤にかけて渡すべきだと考えたからだ》
この「数を数えるように」というのは、古代ギリシア語とラテン語が文法的にも対応づけがしやすくて、原文のギリシア語の言葉の数に合わせてラテン語を並べていくという翻訳も可能といえば可能なんですね。キケロは、そういう直訳もあるが、私はそうじゃないと言う。ギリシア語で書かれた文章を天秤の一方に載せて、これと釣り合うラテン語の文章を作りたい、秤にかけて釣り合えば、ラテン語の文章が元のギリシア語の数と一致しなくてもいいんだ、と。これはもちろん、ギリシア語とラテン語だから言えることで、ヘブライ語とラテン語ではそうはいかないし、フランス語と日本語ではさらにそうはいかない事情があるので、そういう背景もちょこっと頭の片隅に入れておくと、さらに面白くなると思います。
山本 ラルボーも「翻訳とは計量、計ることである」と、キケロと同じことを言っています。ただ辞書から対応する言葉を見つけてきて秤に載せればいいんじゃないんですよ、と。なぜなら、元の文を書いた人の単語の使い方には、その文章を書いた人の「精神が染み込んでいる」からだと。その人が使っている単語には、その人固有の意味付け、その人固有の経験が反映されて、そこに染み込んでいる。だから機械的に対応する言葉を辞書から拾ってきて天秤に載せても釣り合うとは限らない、というんですね。
ヘーゲルの『精神現象学』なんかを読んでいるとまさに、ヘーゲルが「精神」とか「意識」と言う言葉を、私の「精神」とか「意識」の感覚でそのまま受け取ると、大いなる勘違いをしてしまう。すごく特殊な「精神=ガイスト」という言葉の使い方をしているから、ヘーゲルの頭の中にある知識や言語の網目の中で「ガイスト」をどう使っているか、まさに彼の「精神」が「染み込んでいる」状態で受け取らないといけない。
そこで鳥澤さんに聞いてみたい。いろんな小説家の文章を読む時に、作家ならではの言い回し、この人が使うとこの言葉はこんなに輝いてすごく面白くなるってことがあるじゃないですか。例えば町田康さんの文章を読んでいると、たとえ著者名がなくても「あ、これ町田康さんだ」ってわかっちゃうような感じがあるわけですね。それを私はいつも取り出せないから困るんだけど、鳥澤さんは評論を書いて紹介する時に、どうやって嗅ぎ分けるんでしょうか。そういうものって一体どうやって我々は感知してるんでしょうね。
鳥澤 それをどうやってるかは分からないんですが、たとえば作家さんにインタビューをして原稿をまとめるとき、それこそ音声のテープ起こしをそのまま使うことってほとんどないんですよ。この作家さんがこの言葉をこう使うってことは、読者に手渡すときにはこの形がいいのかな、と考えながら書く。その人の感じ方・考え方を一回自分の中に入れたいと思っていて、それは『聖ヒエロニュムス〜』の翻訳者の悦びについて書かれているところで、《翻訳を行うことによって、翻訳者はあらためて別の精神の持ち主の薫陶を受けることになり、師の直接の指導のもとで自らを鍛えることになる》(p78)とありますけれど、たぶん私も、その人の精神に近づいて読んだりその人の言葉を書いたりすることができたらいいなと思っている、という感じでしょうか。
山本 今のお話は、私の中でかなりラルボーの核心に迫るヒントを出してくださった。インタビューの録音を文字に起こしてもそのままでは読み物にならない。ライターがリライトするというとき、リライトされる側の立場から見ると、うまいライターとそうでないライターの違いってすぐわかる。私は元々ゲームクリエイターで、ゲームも一分触ると面白いかつまらないかすぐわかるんですが、それと同じくらい、自分が喋った起こしの原稿の最初の三行で、「この人はお任せ!」っていうのと、「最初から自分で書いたほうが早かったわー」っていうのに分かれるんですね。まったく違和感なく私はこういう喋り方をしてると感じられる場合と、自分が喋ってるように思えないっていうのがあるんです。わかりやすい例だと、私はほぼ常に「わたし」という一人称を使いますが、なぜか起こしが来ると「ぼく」になってる(笑)。その時点ですでに自分じゃない気がするし、それから語末。皆さん気がつくかどうか、私は「〇〇でね」と「ね」で終わることが多い。これが一切入ってないと、なんか自分じゃないみたいな気がする。わかりやすい、特徴的なところを取り出しましたが、ライターさんの語り口や文体に対する捉え方や感性によって、そういうことがまったく違ってきちゃう。その点、鳥澤さんは、私が喋っている以上に私の特徴を表現してくれているという感じになるから、ほぼ直すところがないんです。なので「その人の精神が染み込んでいる」というラルボーの言葉遣いのことを聞いてみたかった。本当にそれは抜き難くあって、言語を跨いだらさらにあるわけですよね。
最後に西村さんに伺ってみたいのは、ラルボーはポリグロットとしていろんな言語を渡り歩いて楽しんで、さらに蔑まれていると認識していた翻訳に、「翻訳をするくらい文章を味わい尽くす立場は他にない」と頼まれもしないのに励んだわけですよね。さらに文学の仲介者としてそれを紹介していく。このとき、ラルボーの目の付け所ってどの辺にあるのかなと。その凄さとか、あるいは逆に弱点みたいのがあるとしたら、どうでしょうか。
西村 一対一の対面の中で、なにか光るもの、自分にピンとくるものがあったんでしょうね。たとえば、たぶんジョイスとラルボーって人間的には性格も全然違うし、なんでラルボーがジョイスみたいな奇人に惹かれたのか(笑)。それは究極的にはラルボーにしか分からないものだと思う。時代を異にする作家と向き合うときにも、あるいは国が違う作家と向き合うときにも、有名無名は関係なく何かが彼なりにあって、一言でいうならばその人独自のもの、人にはないものを感性で見出して、それと共感したとしか言いようがない。それ以外に、私がこうなんだと正確に言う自信はまったくないです。
山本 私から最後に、『罰せられざる悪徳・読書』の「訳者あとがき」に引用されているラルボーの日記の一文を紹介したいと思います。スティーヴン・ハドソンという作家に言及して、《彼に会えて嬉しかった。好奇心からと言うわけではない。彼の本を読んで、自分と同じ種類の文学者、つまりriche amateurを彼の中に感じたからだ》と書いている。「riche amateur(リッシュ・アマトゥール)」は英語で言えばリッチなアマチュアですね。そしてここが多分ポイントで、《決して自己に無理強いしなかった人、自分の楽しみのためにしか書かなかった人》と。面白いのは、《ただし、序文を除いて》ですって(笑)。
続いて、《ジョイスがやったこと、特に裕福とは言えない多くの人々がやったことは…》、ジョイスもかなり経済的に困っていて、ラルボーに援助されたりもしたといいますけれど、そういう人たちが《やったことは、まさにそれなのだ。だからriche amateurという種族は、社会的・経済的な事実というよりも、むしろ或る精神状態なのだ》と。
つまりラルボーには「豊かなアマチュア」である自認があって、そういうやり方を喜ぶ。我々現代人はつい「これ何の役に立つの?」とか言いがちなんですが、豊かなアマチュアという状態を今、どうやって楽しんだり味わったりできるか、それが課題なのかなとか思ったりしていて。
西村 riche amateurは、まさにラルボーのキーワードなんですよ。最初の創作作品「裕福なアマチュアの詩」〔«Poème par un riche amateur»(1908)。会場のお客様に配布した、西村さん作成のヴァレリー・ラルボーの主要な著作リスト掲載の邦題〕は私なりに日本語に言語化したタイトルで、のちに改作されて『A・O・バルナブース全集』に発展していくんですが、「裕福」とは文字通り「金持ち」で、億万長者の子供が莫大な遺産を相続して勝手気ままにロシアに行ったりヨーロッパに行ったりする。そういう気ままな放浪の旅ができる、リッチ。そして「アマチュア」というのは、自分は詩人であると自負=アマチュア詩人という意味合いも兼ねてるんですね。amteurは元々ラテン語から来ていて、「愛すべきものを愛する人」だという。その対象は人でも物でも文学でも芸術であっても、自分なりにこれは愛するに値する、愛を傾けるに値すると愛すべきものを見極める能力・感性に恵まれたものとしてのamateur、その本来の意味を込めた言葉なんですね。ですから何とも訳しようのない、まさにラルボー語なんです。山本さんの指摘を受けて改めて考えたんですけれども、そういうことですね。
山本 鳥澤さん自身も文芸をこよなく愛し続けてきていると思うんですが、自発的に無理強いなくやるのが仮にアマチュアだとしたら、鳥澤さんの中でそういうアマチュア的な部分と、仕事として文芸と付き合う、依頼を受けて書くという部分はどんな関係にあるのか、最後に伺ってみたいなと。
鳥澤 私の場合、そこはけっこうまるっと一つにしていて、まあ、苦しい仕事も多いですけれども、やっぱり自分がやりたいかどうかっていうところで選んでる。というと偉そうな、生意気な言い方になっちゃうんですけど、やっぱり楽しんで読みたいし、楽しいから人に勧めたいというのが基本です。ラルボーにならえば、永遠にアマチュアでいたいとは常々思っているところではありますね。
山本 まったく同感です。
ラルボーの話に夢中になってしまって紹介が後回しになりましたが、ルリユール叢書というのは特徴がいくつかあって、一つは巻末に必ず年譜がついてます。作家本人の年譜に加えて同時代の作品もものすごく細かく載っていて、私もなにかを調べるときは必ずルリユール叢書を引っ張り出して見てます。これ、実は中村さんが毎回苦労して作られているそうで、大変なお仕事です。それからもちろん、訳者により非常に懇切な解説もついており、そして今日はご紹介できませんでしたが、ラルボーは「索引を作るのはとっても楽しいことだ」と言っていて、それは索引を作りながら、「そうそう、私の本にはこの作家も出てきた、この作品も入っている」と、なにかコレクションする面白さがある、ゲームの得点を数えるような気持ちになる、と言ってますけれども、その「索引」という文章が載ったこの本も、ばっちり索引が載っています。しかもそれ自体が20世紀前半の小文学辞典、人物辞典ぐらいの感じで読めるようになってます。
今日はこれまで刊行されてきた55冊のルリユール叢書のいろんな巻が並んでいて、さらに記念小冊子があるんですね。その内容は55冊を並べているんだろうなと油断して眺めてたら、とんでもない!
「さらに旅するためのお薦め162冊」と(笑)、ちょっと老眼の身には辛いポイント数で印刷されてますけども、これを見てしまうと紀伊國屋書店をただでは出られないことになっちゃう危険な冊子なので、後で見るか今見るかはお任せします。現在の決して生易しくはない出版状況の中で、これだけの叢書はなかなかあり得ませんので、今後も続いてほしいと願っているし、応援もしていきたいと思ってるんですけれども、皆さんお一人お一人が気に留めてくださるだけで心強いことだと思いますので、こちらのフェアも是非御覧ください。
鳥澤 ルリユール叢書のいいところは、知ってる作家もいれば知らない作家もいて、また読んだことのあるものの新訳もあったり、入口がいくつもある。また魅力の一つが装幀、本の形の美しさで、何も知らないけれどこの色使いがステキだから、と手にとってもいんじゃないかなと。
山本 そう、ジャケ買いでね。小沼宏之さんという装丁家のデザインで、トリコロールになっていて。それから肖像画がわかっている人については、カバーに丸山有美さんによるイラストがあって、それもまた見どころですね。肖像が不明な人もたまにいて、それを探すのも面白いですよ。心臓に毛が生えている絵とかあって、これは肖像画がなかったんだなとわかる。そんなふうに楽しみがいっぱいなので是非御覧ください。
——私はラルボーおたくで、彼が行った場所を、トリノ、トリエステ、ダブリンと巡ってきました。その場所でしか感じられない得も言われぬものがあります。書いた人がその時にその場所で感じた情動、感情の襞ってありますよね。読者にとって大事なのは、美しいかというより、感動だと思うんです。美しさとか正確さを超えて、その瞬間の感動の襞を、ヴァレリー・ラルボーはいろんなところで表しているわけで、それを汲み取る難しさが翻訳の上でもものすごくあると思うんです。同義語ならば辞書を引いたら簡単にわかりますけれど、エモーショナルの部分を汲み取るために、しっくりいく表現を、どういうプロセスで決められるんでしょうか。どこが先生の決め手になるんでしょうか。
西村 これは困りましたね(笑)。たしかにどうにも翻訳できないと立ち止まってしまうところが随所にあるわけですね。それは本当に何回も何回も読んで、なんでラルボーがこういう言葉を使ったのかをとことん考えるしかないのかなと思ってます。ここに印刷されたものにしても、その段階で書き留めたものであって、あくまでも途中経過でしかない。まだまだ自分で納得できないところがありますし、おっしゃるようにラルボーのこういう文章を書きたいという言葉になる寸前の情動、心理を捉えきれたとはとても言えないところが多いと思います。何とかしてそれに迫っていくしかないんだろうと思いますけどね。
鳥澤 それこそ秤で、ひとつひとつ。
西村 そういうことだと思うんですけどね。どうやればいいか、是非教えていただきたい(笑)。
山本 本当ですね。いま現在、新刊書店の棚で手に入るラルボーの本の一つが『バルナブース全集』で、主人公のバルナブースはお金持ちであちこち旅行して回る人なんだけど、日本語でどう訳すかによってはすごいイヤな奴にも見えるし、ちょっと変わった変なオジサンにも見えるし、それなりに洗練されたいい感じの青年と見えるかもしれない。訳者がこの人物からどういう「情動」を受け取ったのかが、日本語に反映されるわけですよね。そういう意味でも、また別の訳も、それこそルリユール叢書に入るといいなあと勝手に思ったりもしますけれども(笑)。まあそんなふうに情動の点はすごく大事なところであり、かつお答えにあったように超・難しい話ですね。
——西村先生が最初にラルボーに出会われた時のお話にあった、アングレス先生が「日本人が好きそう」とおしゃっていたことの意味について、今どう考えられていますか。
西村 それは推測の域を出ないんですけれども、このエピソードは岩波文庫の下巻の「訳者あとがき」にも出てきます。
ただ「日本人に好かれる作家だと思うから是非読んでみたまえ」としか書いてないし、私も岩崎先生からそんなことしかお聞きしてません。で、私が解釈するには、『幼なごころ』とか、あるいは『フェルミナ・マルケス』というもう少し年長の、日本で言えば中学生・高校生くらいの年代の少年少女の学校生活の物語とかも含めて、少年少女の作品はラルボーの特徴の一つなんですね。さらに言えば19世紀末から20世紀初めにかけてフランス文学の一つの潮流でもあったわけですが、日本では児童文学を含め純文学の分野でも、若者を主人公にした小説はかなり古くから読まれてますよね。おそらくアングレス先生はそういう文化的な背景をご存知で、それを踏まえていたと思います。というのもフランス文学というのは一般に、大人の文学ーー男女の恋愛とか宮廷恋愛みたいなものが正統なフランス文学だと受け取る向きが主流だったので、そういうのとは違うフランス文学の新しい側面として、少年少女の細やかな心理の機微を描いた作品があるんだよ、それはきっと日本人にも馴染みやすいんじゃないか、といった意味合いでおっしゃったんだろうと考えるんですけどね。
山本 そういう意味でも、岩波文庫の『幼なごころ』は、残念ながら品切れになってますが、その中の季節柄お勧めしたい一点が……
西村・鳥澤 「夏休みの宿題」!
山本 はい(笑)。主人公の少年は、学校が終わってこれから夏休みだというんで、めっちゃ勉強する気に満ちているんです。で、避暑地に行く馬車にも本を持っていく。まずデカルトを読もうと考えるんですが、「いや待てよ、デカルトは確かライプニッツがボコボコに批判してたから、ライプニッツの『モナドロジー』をこの夏は読もう」と。『モナドロジー』ってすごい薄い本なんですけど(笑)。で、避暑地に行くと、お察しの通り、遊んだりしてるうちに何にもしないで終わる。そして夏休みの最後に「まあ宿題をちゃんとやってくなんて馬鹿のやることだよなあ」とまた学校に戻っていくというね。映画だったらトリュフォーの『大人は判ってくれない』じゃないけど、子どもたちの心の中の出来事の、さもありなんというそれはそれは楽しい一篇なので、よかったらこの夏休み、避暑地に行く直前で前半だけ読んでください。彼と同じ気分で「やるぞやるぞ!」って思われるので。で、夏休みが終わったら、残りを読む。これ、私のサマーリーディングのお勧めとさせていただきます。余計なことを言いましたが、そろそろ時間なので中村さんにマイクを戻しましょう。
中村 あっという間に90分が終わってしまいました。今日ご紹介いただいたように、ヴァレリー・ラルボーという人は読める作品が少ないんですが、『聖ヒエロニュムス〜』の人名索引には500人の作家が並んでいます。その中にはルリユール叢書でしか読めない作家、たとえばイタリアのヴィットーリオ・アルフィエーリ、それからトリスタン・コルビエールという早逝の詩人も取り上げています。
やっぱりラルボーって凄いな、これだけ読んでるんだというのが索引からもわかる、そういう本になってますんで、『聖ヒエロニュムス〜』を読みながら気になった作家があれば是非またルリユール叢書で探していただければと思います。本日はどうもありがとうございました。
(2024年8月3日、紀伊國屋書店新宿本店にて、構成=幻戯書房・中村健太郎)