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なぜ愛した豚を自分で屠り食べたか――『メメント・モモ』が描く現代と豚、自家用屠殺

記事:幻戯書房

八島良子 著『メメント・モモ 豚を育て、屠畜して、食べて、それから』(幻戯書房)
八島良子 著『メメント・モモ 豚を育て、屠畜して、食べて、それから』(幻戯書房)

 2020年4月。新型コロナウイルスによる全国的な緊急事態宣言で外出の自粛を余儀なくされる中、三元豚の雌の豚「モモ」が私の住む瀬戸内海の離島「百島(ももしま)」へやってきた。〈やってきた〉と書くと向こうからひょっこり訪れたのかと誤解されるかもしれないので補足すると、2019年12月に私が人工交配に関わらせてもらった豚が13頭の赤ちゃんを生み、1ヶ月ほど母乳を飲んで免疫をつけたその子豚たちの中から1頭を譲ってもらって百島へ連れてきた。私はその子に「モモ」という名前をつけて、寝食を共にして一緒に遊んで怒って泣いて、ちょうど333日が経った2021年春のある日、自らの手でモモを屠って食べてしまった。〈食べてしまった〉と書くと、つい勢いのままにやってしまったのかと誤解されるかもしれないので補足すると、当初から「食べる」ことを前提としてモモを迎え入れたにも関わらず、当然のように湧いてくる愛情から「食べたくない」感情との間を往復し、一体なぜ私はこんなことをやり始めたのかと頭を抱えながら、「自家用屠殺」という育てた家畜を食べるために自らの手で屠る行為が現代では困難だと示唆する行政と掛け合い、「と畜場法」と対峙することになった上で、食べてしまったのである。

著者とモモ
著者とモモ

自家用屠殺のノンフィクション

 なぜ私はこんなことをしたんだろう。本のあとがきを書き終えてもなお、逡巡する日々は続いている。果たして愛した豚を屠って食べる意味はあったのかと、浮き沈みしながら当時の記憶を余す所なく書いた『メメント・モモ 豚を育て、屠畜して、食べて、それから』が完成して、手元に届いてからは何度も読み返している。モモが本という形になったことで、かつての自分の行動を少し離れて眺められるようになってきた。

 豚をはじめとする家畜や食肉をテーマに扱った創作物は数えきれない。モモの話をして「漫画の『銀の匙』(荒川弘/小学館)みたい」という言葉が返ってきた回数も数えてない。「ブタがいた教室」(2008)というタイトルで映画化された「豚のPちゃんと32人の小学生: 命の授業900日」(黒田恭史/ミネルヴァ書房 2003)や「飼い喰い 三匹の豚とわたし」(内澤旬子/岩波書店 2012)など、食育や個人の実践だって多数ある。リサーチではそうした作品を読んでは涙し、さまざまな表現があることで人の倫理観やリテラシーは徐々に高まっていくのだと感心しきっていた。
 ただ、既存の作品に共通して不可解だったのは、屠畜を業者に任せている点だった。大切に育てられた豚は屠畜場へ連れて行かれ、業者によって捌かれていく過程を見るか否かは各自が選択し、肉の形となって帰ってきた豚を調理して、美味しい、ありがとうと感謝して食べる。命の尊厳を重んじるには、それで十分かもしれない。でも、なぜ自分でやらないのだろう。どうして一度、手放してしまうのだろう。動物を食べるということは、その命に手をかける瞬間こそ、最大の責任と決断が必要とされるのではないか。関係性の生まれた動物を自らの手で殺すなんて可哀想だから? それとも他に理由があるのだろうか?

著者の本棚の一部
著者の本棚の一部

 どこか腑に落ちないフィクションとノンフィクション。ならば自分でやってみようと決めたけれど、過去に肉を食べることを拒絶した身としては、別に肉食を崇めたいわけじゃない。でも、拒絶するだけでは見えてこなかった現実がある。
 育てた家畜を自らの手で屠って食べるプリミティブな行為は、「と畜場法」における「自家用屠殺」という名で立ちはだかり、行政との折衝では精神的な疲弊が募った。この予想を上回る数々の経験は、ただの人と豚の愛憎劇を超え、意図せず自家用屠殺のノンフィクションへと展開していったのである。

100年前と100年後の食肉/肉食人類の瀬戸際

 私が主にたずさわっている現代アートは、端的に言えば、現代を反映した作品だから「現代」なのである。ともすると、環境問題や倫理的な側面から食肉や家畜に関する論争がスタンダードになった現代だからこそ、メメント・モモに挑戦する意義はあった。
 100年前は近代、明治から始まった西洋文化の影響で肉食が一般化した大正時代。農村部では一般家庭で鳥、豚や牛を育て、動物福祉に対する意識は低く、意識のある状態の家畜を縄で固定して首の頸動脈を切って放血させていた。衛生状態も悪く、屠畜を行う者は不浄だと差別された。今や馴染みのある「ヴィーガン」という言葉が生まれたのは1944年、第二次世界大戦終戦間際のイギリス。「動物の保護及び管理に関する法律」が日本で制定されたのは1973年。100年どころか、たった50年前の話。

 100年後の未来はどうだろう。もう家畜なんて存在しないかもしれない。人工肉や培養肉が発展して、未来の私たちは動物を殺さずとも衛生的で美味しい栄養素を低価格で得られ、「かつて人間は動物を殺して肉を食べていた」ことを歴史の授業で知る。生きとし生けるものすべてに権利があり、魚や野菜、果物も人工的に培養された食品に置き換えられて、サーモン味のサーモン、トマト味のトマト、リンゴ味のリンゴが市場に流通していく。豚、牛、馬、ヤギ、羊、鶏といった旧家畜たちは一定数以下に減少させられ、動物園で種の保存のために飼育されることになり、人間のペットとして認可された小動物以外の野生動物は、環境保全のため生息領域を人間社会と明確に区分して保護。かつて昆虫食は一大産業の中核として世界に広がるも、動物愛護団体による抗議活動の過激化と細胞培養食品の技術向上により40年前に衰退……と、ここまでノリで書いてみた100年後は、あまりに極端で突飛な近未来SF。でも、今の世界の進化スピードでいけば、そう見当違いな空想でもない気がする。

 こうなると、誰も屠畜なんて言葉は知らない。コンプライアンス的に必要のない表現や行為は、この世から抹殺されていく。動物の肉など食べたことのない未来人にとって、先人の私たちは異常だろう。100年後の世界の幸福の形を、現代にいる私が見出せないように。しかし、一方では100年前の人間の所業を非道で野蛮にも思う。現代は、屠畜を直視できる肉食人類の瀬戸際。
 きっとこの本を読んだ人は、私と同じ視点に立って泣いてくれるか、俯瞰で見えてくるあまりの未熟さに苛立つかに分かれる。膨大な情報と言論に揉まれ、正しさのために心をすり減らし、犠牲になる命が可哀想だと憂いては、美味しいねと肉を食べられる時代だから。
 メメント・モモは、フィクションじゃない。それゆえに生まれたかけがえのない時間が、豊かさとは何かを問いかけてくれると信じている。

ある日の昼食
ある日の昼食

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