1. じんぶん堂TOP
  2. 哲学・思想
  3. 「ハムサンドイッチ問題」を知っていますか? 動物解放運動の考え方 『いのちへの礼儀』より

「ハムサンドイッチ問題」を知っていますか? 動物解放運動の考え方 『いのちへの礼儀』より

記事:筑摩書房

original image: annebel146 / stock.adobe.com
original image: annebel146 / stock.adobe.com

 動物解放運動は1970年代に欧米で始まり、世界各国に広がりました。それは、人間による動物への搾取と「人間中心主義」そのものを否定することにより、世界に大きな衝撃を与えました。わたしたちの社会が、たとえば奴隷を「より人道的に扱う」のではなく「奴隷制をなくすべきだ」としたように、動物を「より人道的に扱う」(例えば、鶏が運動できるようにケージを広くする)のではなく、屠殺や工業畜産そのものを廃止しようとしたのです。トム・レーガンが言うように「われわれは『ケージを大きくする』のではなく『ケージを空にしろ』と主張するのだ」(『The case for animal rights』2004年版)。

 動物解放運動は、哲学者のピーター・シンガーが1975年に出版した『動物の解放』をきっかけに世界に広まりました。ここから、シンガーは「動物解放の父」と言われます。

 シンガーは、人類が人種差別主義(racism)や性差別主義(sexism)を克服しようとしてきたように、種差別主義(species-ism)を克服すべきだとします。道徳的な配慮を「人間」だけにするのは「種差別」であって、「感覚ある存在」すべてに行なわなければならない、ということです。シンガーは『動物の解放』で、「種差別」の代表的ケースとして動物実験と工業畜産を詳細に告発し、その全廃を訴えました。そして『動物の解放』出版後、動物解放運動の進展とともに、動物実験と工業畜産は世界各国で様々な批判を浴び、法的規制を受け始めました。哲学者の著作が社会運動を主導するということはめったにありません。20世紀後半、ハイデガーやフーコー、デリダなどの「人間中心主義」批判が哲学に大きな影響を与えましたが、シンガーの「人間中心主義」批判は、それをはるかに超える直接的衝撃を社会に与えました。「『動物の解放』を読めば、読者は自分の生き方の弁明に走るか、生き方を変えるかのどちらかしかないだろう。この本はそんな希少な一冊だ。シンガーの論法はあまりにも優れているため、生き方を変える読者も多いだろう。この本は数え切れないほどの人々を菜食主義に改宗させた」(マイケル・ポーラン『雑食動物のジレンマ』)。シンガーが「存命する哲学者のなかで最も影響力のある人物」(『ザ・ニューヨーカー』)と言われたのはこのためです。

 『動物の解放』のシンガーの哲学は「功利主義」に基づいています。功利主義は、「ある行為で影響を受ける関係者全員の幸福を最大化する」こと(最大多数の最大幸福)を基本原理とします。普通、この「関係者」は人間に限られます。しかし、功利主義の創始者であるベンサム自身はこう言っていました。「人間以外の動物が(…)権利を手に入れる日が来るかもしれない。(…)問題は、彼ら(動物)が理性的かでも、話せるかでもなく、苦痛を感じることができる(can suffer)かなのだ」(ベンサム『道徳および立法の諸原理序説』1789)。シンガーはベンサムのこの発言を文字通りに受け取り、功利主義で考慮すべき「関係者」を「感覚をもつ存在(sentient being)」としたのです。

 1983年には「動物の権利」をテーマとするトム・レーガン(1938~2017)の『The case for animal rights』(未邦訳)が出版され、動物解放運動に大きな影響力を与えます。レーガンは、「権利を持つ主体は人間に限られる」という常識を否定し、一部の動物は「生の主体 (subject of life)」であり固有の権利を持つとしました。この「動物の権利」論は、シンガーの理論とともに動物解放運動の大きな流れを形成していきます。

 動物の「権利」と言うと奇異に感じられるかもしれません。しかし、「人間には動物を尊重する義務がある」という表現にはあまり違和感はないはずです。現実的に内容が同じであれば、「動物の権利」と言うのか「人間の義務」と言うのかは言葉の問題と言えます。そして、「人間の義務」ではなく「動物の権利」という言葉こそが、社会に大きなインパクトを与えたのです。

 動物解放思想の特性を示すエピソードが『動物の解放』の序文にあります。シンガー夫妻は「動物に大変興味をもっている」女性からお茶に招待されました。お茶の席には「動物に関する本」を書いた人が同席していて、彼女はハムサンドイッチを食べながら、シンガーに「どんなペットを飼っているのですか」とたずねました。シンガーがペットを飼っていないと知ると、夫妻を招待した女性は「でもあなたは動物に興味をもっていらっしゃるんじゃないんですか?」と言いました。

 われわれは苦しみと悲惨(suffering and misery)の防止に関心をもっているのだということを説明しようとした。われわれは恣意的な差別に反対しているのであり、ヒト以外の生物に対してであっても不必要な苦しみを与えるのはまちがっていると考えているということ、そしてわれわれは動物たちが人類によって、無慈悲で残酷なやり方で搾取されていると信じており、このような状況を変えたいと思っていることを話した。他の点ではわれわれは動物たちにとりたてて『興味をもって』いるわけではないのだ、と説明した。私たち夫婦はどちらも、多くの人たちがするようなやり方で、犬や猫や馬を溺愛したことはなかった。われわれは動物たちを『愛して』いたのではない。われわれはただ彼らがあるがままの独立した感覚をもつ存在として扱われることをのぞんでいたのだ。つまり、屠殺されて、肉を私たちを招いた女性のサンドイッチの原材料に提供された豚のように、人間の目的の手段として扱われることはのぞんでいなかったのである。(『動物の解放』戸田清訳)

 たとえば、人種差別に反対する人は他の人種の人々を「愛護」しているのではありません。人間を感情的に「愛する」ことと「尊重する」ことが異なるように、動物「愛護」と動物「解放」は全く異なります。「動物の扱いに関心をもっている人は『動物愛好者(animal-lovers)』にちがいないという想定そのものが、人間に適用されている道徳規準を他の動物にも広げようという気持ちが少しもないことを示しているのだ。虐待されている少数民族の平等の権利に関心をもつ人は、その少数民族を愛しているにちがいないとか、彼がかわいいと思っているにちがいない、などと主張するのは、意見のちがう相手に『黒ん坊愛好者(nigger-lovers)』のレッテルをはる人種主義者だけだろう」(『動物の解放』)。

 ぼくも、動物問題の本や資料を読んでいると「動物が好きなの?」と聞かれることがあります。それは、フェミニズムの本を読んでいる男性に「女が好きなの?」と聞くようなものだと思いますが、そういう時は「というより、人間と動物の関係に関心があるんです」と答えています。

 ここから、シンガー夫妻が食べようとしなかった「ハムサンドイッチ」の問題が浮上します。「歴史上存在した中でもっとも広範な他の動物種の搾取に私たちが直接触れるのは、食卓や近所のスーパーマーケットや肉屋さんにおいてなのだ」(『動物の解放』)。犬や猫をかわいがりながら、牛や豚や鶏を食べる、あるいは、ペットの猫に鶏などが原料のキャットフードを食べさせるという矛盾がここから問題にされます。

 シンガー自身、菜食主義者として生活しています。動物への社会的な搾取・虐待に反対するなら、「動物を殺して食べる」肉食の検討は避けられません。子猫殺しについて、坂東眞砂子は「まったく、おまえは牛肉を食べているだろう、豚肉を食べているだろう、と私も真っ先に思いましたよ」と言いましたが、動物解放運動から言えばまさにその通りなのです(彼女自身は肉食していましたが)。

 ウーマン・リブやフェミニズムは、従来「個人的なこと」としてしか扱われなかった「家族生活」や「性生活」に存在する差別を可視化し、「個人的なことは政治的である」と言いました。それと同様、「食べることは政治的(倫理的)である」と言わなければなりません。

ページトップに戻る

じんぶん堂は、「人文書」の魅力を伝える
出版社と朝日新聞社の共同プロジェクトです。
「じんぶん堂」とは 加盟社一覧へ