トランスクリティーク 移動しながらの批評の先に見いだしたもの:私の謎 柄谷行人回想録㉔
記事:じんぶん堂企画室

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――柄谷さんが現在取り組んでいる問題へ続く大きな転換点となった著作が『トランスクリティーク』です。このインタビューのために読み直して頂いたようですが、どうでしたか?
《『トランスクリティーク カントとマルクス』は、柄谷さんの主著の一つ。文芸誌「群像」で1998年9月号から99年4月号まで連載され、2001年に単行本化、英語版は03年に刊行。その他、スペイン語、スロベニア語、中国語、韓国語、トルコ語に翻訳されている。第一部のカント論、第二部のマルクス論からなる「カントからマルクスを読み、マルクスからカントを読む企て」(序文)。柄谷さんは、資本主義研究から人間の営みに潜む“交換”の謎に行き着いたマルクスを読み解いて、資本だけでなく、国家や共同体にも別の形の交換原理が潜んでいると指摘。人間の理性の限界を見極めたカント哲学から倫理的な社会のあり方を考え、世界の行き詰まりをどうやって打破するかを論じていく。柄谷さんが後に『世界史の構造』などで展開していく“交換様式”の原型が示された》
柄谷 難しい本なので辟易した。こんなものを本気で読む人がいるのかな。
――確かに難しいです。岩波現代文庫で註を含めて500ページを超える大著で、カントとマルクスだけでなく、様々な思想家が出てきますし……。久々に読まれたんですか?
柄谷 いや、この連載のためにも何度か読み返そうとはしてきたんですよ。だけど、読んでも頭に入ってこないし、すぐ忘れる。「何を言っているんだろう、面白くも何ともない」と思うこともあれば、「我ながら、よくこんなことを思いついたな」と感心することもあるし。いい加減だね(笑)。
――書いた当時のことを振り返ってみると、いかがですか。
柄谷 カントとマルクスを一緒に論じることは、普通ではありえなかったですね。そもそもポストモダニズムでは、マルクスもカントも相手にされていなかったし。どちらもださいと思われていたから。マルクス主義では、カントは無視黙殺だし。
それでも、自分の仕事の集大成だと思って書いた本でした。書き終わった直後には、今後これ以上のものはもう書けないから、これから先はこの本についてソクラテスのように問答しながら暮らしていくのかなと思ったんだけど……。
――全然そうならなかったですね。
柄谷 すぐにこんなものでは不十分だと思い始めて、決定的な本を書かなければという病気が再発した(笑)。
『トランスクリティーク』は、資本と国家について論じて、その揚棄の必要性を語った本でした。みんな、資本主義と国家の恐ろしさを全然分かっていないよ。この点についてはいくら強調しても足りない。この本を書いてから今日まで、ずっとそのことを言い続けてきた。でも、全然理解されていないように感じますね。
――それが原動力でもあるわけですね。まず、『トランスクリティーク』という不思議なタイトルから聞いていこうかと思います。
柄谷 “トランスクリティーク”という言葉は、僕の造語です。“クリティーク”は、批評ですね。“トランス”は、超越論的(transcendental)、横断的(transversal)から取りました。垂直方向と水平方向という、相反するものの間の “移動”と言ってもいい。
――移動ということでは、柄谷さんは、マルクスがドイツからフランス、イギリスと移動しながら思索を深めていたことに着目されていますね。
柄谷 大事なのは、空間的移動というよりも、思想的な移動です。カントは空間的にはまったくといっていいほど移動しなかったけど、思想的には移動していた。カントは、経験論と合理論の両方を批判しましたが、それらを超えるような地点に自分を置いてそうしたのではありません。それらの相反する立場を行き来しながらそうしたのです。カントは、両者を折衷・総合したのではなくて、合理論の立場から経験論を、経験論の立場から合理論を批判した。
《経験論は、人間の知識や認識は経験によって外部から得られるとする考え方。J・ロックやヒュームらが代表的な哲学者で、17~18世紀にイギリスで発展した。合理論は、人間には経験に先立って備わっている概念や原理があり、それに基づいて認識が可能になるという考え方。デカルトやライプニッツなど、フランス、ドイツで盛んだった》
――視点を変えると、違うものが見えてくるということですか。
柄谷 視点を変える、という発想とは違います。自分の選択で、視点を変えるんじゃないんです。好むと好まざるとにかかわらず、人は不可避的に異なる思想体系、価値体系の重なり合いの内に置かれて分裂している、ということです。カントに、“視差”という概念があります。それは、“合理論”と“経験論”、もしくは“理性的なもの”と“感性的なもの”といった異質なものの統合です。それは、ヘーゲル的な総合、つまりすべてを見通すような視点ではない。また、合理論にも経験論にもそれぞれの正しさがあるといったような、相対主義でもない。
――“視差”というのは、非常に印象的な言葉です。本の中では、鏡と写真の例でわかりやすく説明されているので紹介してみます。私たちは鏡で自分の顔を都合のいいように見ているのだ、と柄谷さんは言います。だから、自分の顔は見慣れているようでも、写真を見て、「こんな顔してるかな」と思ったりする。あるいは、録音された自分の声を聞くと、なんだか変な感じがする。そこに、自分が考えている自分と、客観的には自分の顔はこう見える、声はこう聞こえるというショック、おぞましさのようなものがある。ここに“視差”がある、というわけです。
柄谷 大抵人は、物事を通念にしたがって見ているだけで、本当には見ていないんです。でも本来認識は、視差からくる危うさの上に成立している。人間の視覚も、そういう仕組みになっているらしいですね。右目と左目の位置が微妙に違うこと、つまり視差に基づいて、脳が対象物の奥行きを判断して、立体像を生み出すんだとか。目が、外界に存在する対象物をそのまま客観的に映し出す、というような単純な話ではないということですよね。認識にも同じことがいえます。
マルクスは、ドイツにいたときから、古典経済学や資本主義の批判をしていた。だけど、そのときにはドイツの状況しか知らなかった。イギリスに移住して、古典経済学では説明できないような経済恐慌を目の当たりにしたとき、マルクスは変わったんです。ドイツの現実でもイギリスの現実でもない、別の現実を見いだした。それは視差から生じたものだといえます。
――マルクスとカントにみられるような、移動から生じる視差を通じて批評するあり方を、“トランスクリティーク”と名付けた、ということですね。
柄谷 そうですね。そういえば、スラヴォイ・ジジェク(スロベニアの哲学者)が、僕のカント論に触発されて『パララックス・ビュー』(原著は2006年、邦訳は2010年)を書いたことを思い出した。“パララックス”というのは、“視差”です。面白い概念だと思ったんだろうね。ジジェクは、『トランスクリティーク』の書評も英語で書いてくれた。この本が広く読まれるようになったのは、それがきっかけだったと思います。(柄谷さんによる『パララックスビュー』書評https://book.asahi.com/article/11647931)
――この本自体が“トランスクリティーク”の実践でもあるわけですよね。
柄谷 というより、トランスクリティークは、自分がやっていること、自分自身のことだったんだと思う。それから、この本は、まだ文芸批評だったね。カントとマルクスのテキスト批評だったという意味で。学術的な研究のように、彼らの業績を整理して紹介して意義と限界を指摘し、自分の考えを述べる、というような方法はとらなかった。そのテキストから、一番いいところ、可能性の中心を読んだ。題材は、文学でないけど。これ以降は、交換様式という自分自身の思想を展開して、批評的ではなくなっていった。
――柄谷さん独自のカント解釈が様々なところで出てきます。例えば、 “物自体”というこれまた難解な概念について。カントは、人間は対象そのもの、“物自体”を把握することは出来ず、認識できる世界を“現象界”と呼びます。例えるなら、私たちが見ているコップは、コップそのものではなくて、私たちの感覚を通じて見えるものでしかない。だけど、コップは確かにそこにある、という感じでしょうか。そこで、柄谷さんは、“物自体”に“他者”をみます。これはかなりユニークな発想だと思いました。確かに、私たちは、他人と関わるときもある一面でしか関わることはできなくて、その人のすべてをそのまま知ることはできないんだ、というのは実感があります。
柄谷 物自体と他者を結びつけたのは、僕ぐらいでしょうね。カントは、物自体は人間には把握できないと言った。それは簡単に言えば、あるがままの現実を、客観的に把握することはできない、ということですね。だけど、人間は、他者と関わることはできる、というより、他者との関わりのなかにしか生きられない。
哲学は、ものすごく複雑なことを考えるけれど、結局は自分の発想のなかにとどまっているだけ、ということになりがちです。たとえ対話篇のような形で書かれていても、自作自演みたいなものでしょ。そこに本当の意味での他者はいない。他者というのは、こちらの発想で把握できるような対象ではなくて、虚を突いてくるような存在です。
カントの哲学は、ただの哲学問答ではなくて、他者の問題への転回だった、そう僕は考えたんです。カントは、「人を手段としてのみならず目的として扱え」といいました。それは、まさに社会主義の問題でもある。資本主義においては、人間は、経済効率のための手段ですから。
――この他にも、いろいろと独特のカント解釈がありますね。
柄谷 “視差”も、普通、カント入門などでは全然注目されていない概念です。同じように、この本で大きく扱った“統制的理念”と“構成的理念”も、まったくといっていいほど注目されていない。よく言われるのですが、僕のカント論には、カント入門に出て来るようなことが全然出てこない、と。カント学者から、正統的な読解ではないとか言われることもあったけど、僕からすれば、愚直にカントを読んだだけ。
――アメリカのシカゴ大学で講演したときのエピソードを(妻の)凜さんにお聞きしたのですが、哲学科の学生たちが柄谷さんにカント論の講演を頼みたいといったら、教授たちが反対した。結局、投票で学生側が勝って、講演会が開かれたんだそうですね。しかも、講演には哲学科からは教授は誰も来なかったという……。
柄谷 そんなことあったっけ。まあ、そんなやつらと話してもしょうがないと思ったから、気にもとめなかったんだろう(笑)。
――先ほどの他者性は、『探究Ⅰ』での考察とつながっているように思います。『トランスクリティーク』は、その他にもこれまでの様々な著作のエッセンスが入っていますね。まさに集大成という感じがします。そして、『マルクスその可能性の中心』で着目していた商品交換の謎から、他の交換様式の考察へと進んでいくことになりますね。
柄谷 マルクスが明らかにしたのは、物が商品になるのは、その物に内在する価値のためではなくて、交換を通じてだということです。単なる紙である紙幣が、信用によって価値を獲得するのも、交換を通じてです。
――カント的に言い換えれば、マルクスが相手にしたのは、物自体としての商品ではなく、現象界の商品同士の関係性だった、と書かれています。一方で、資本主義的な商品交換とは異なる交換の原理がある。例えば、共同体の中では、贈りものとお返しという交換があると。
柄谷 交換様式Aですね。これは互酬交換なので、相互扶助的ですが、お返しをしなければ村八分にされるかもしれないので、ここには強制力と排他性があります。原始社会や農村共同体では、これが主要な交換の形態でした。
交換様式Bは、国家に代表される交換の形態です。国家は、国民から収奪してそれを再分配するという交換原理に基づいている。より多くを効率的に安定的に収奪するために、国民を保護し、公共事業をやる。専制国家、封建的国家の頃には、これが主要な交換の形態でした。
近代以降は、商品交換C―お金と商品の交換-が高度に発達した資本主義社会になりましたが、交換様式AとBも依然として健在です。交換様式Aは贈与と返礼に基づくナショナリズム(ネーション)、交換様式Bは収奪と再分配に基づく国家として、極めて大きな力を持ち続けている。近代社会は、ABCが、相互的に補完し合い、補強し合うような体制によって成り立っています。僕はそれを、資本=ネーション=国家と呼んできました。
――『トランスクリティーク』の時点では、異なる交換形態を、まだA、B、Cと名付けていませんよね。
柄谷 そうですね。でも、名前がなかっただけで、アイディアは同じですよね。
柄谷 少し具体的に説明すると、資本主義的な自由経済は、格差を生みますよね。そうすると、国民同士お互いに助け合うべきだという発想(A)から、国家機構(B)によって富の再分配が行われます。経済(C)の問題を、ナショナリズム(A)と国家(B)が補い合っている、これが現代社会を支配する体制です。
――それだけ聞くと、悪いことでもなさそうですけども。
柄谷 しかし、資本主義(C)は必然的に恐慌を引き起こします。国家(B)も、常に他の国家との潜在的争いの中に置かれている。ナショナリズム(A)も、ファシズムに向かう危険を孕んでいる。どう転んでも、行き着くところは戦争です。戦争までをも調整の機能として生き残ってきたのが、資本=ネーション=国家なのです。こんなものは終わりにしないといけない。
では、どうすればいいか。『トランスクリティーク』で、僕は、アソシエーションに活路を見出しました。社会主義とか共産主義という言葉には手垢がついていて、偏見をもたれているでしょう。そういう言葉を使うと誤解を呼んで面倒だから、アソシエーションという言葉を採用しました。アソシエーションは、ABCを超える交換です。僕はそれをXと名付けました。Xは、一種のAなんですが、ナショナリズムとは違います。ナショナリズムはBCと親和的ですが、アソシエーションはBCを斥ける。そういうタイプのAですね。僕は、高次元のAと呼んでいます。相互扶助的だけれど、Aにあるような拘束性や排他性がないような交換関係だから。これは、いまだ存在したことがない形態です。Xについては、あとから交換様式Dと呼ぶようになったけれど、どちらも同じです。
――『トランスクリティーク』の時点では、アソシエーションの可能性を非常に肯定的に捉えている印象です。その上で、資本=ネーション=国家への、アソシエーション的対抗の手段として、生産協同組合の運動ならびに、不買運動を評価されていました。
柄谷 そうでした。不買運動の話は、今はちょっとピンとこないけど。
――資本側の弱点は二つある、と。労働力を“買う”とき、そして、商品を“売る”ときに。労働者側から見ると、対抗手段は二つあって、“働かない”ことと“買わない”ことになると。ただ、どこかで働いて、買わないと生きていけない。それで、非資本的な生産消費協同組合を組織し、大手資本制企業の商品をボイコットする、といった案です。
柄谷 正直なところ、もうそのへんのことはよく分からないんですよ。別に間違っていたとは思わないけれど、実感がない。当時はまだ、資本=ネーション=国家への大規模な対抗が可能だと思っていた。その頃、マルティテュードの闘争とかいって、反グローバリゼーションの運動なんかが盛り上がっていたしね。だけど、2001年の9.11以降は、戦争の時代に入った実感があった。ナショナリズムが強くなって、国際的な連帯も難しくなって、運動がうまくいく時代ではなくなったと感じました。
――ちなみに、執筆をしていた90年代末から2000年代初頭は、柄谷さん自身も執筆時はさかんに日本とアメリカを、さらに言えば日本でも東京と関西と行き来していましたが、この“移動”も、執筆と関係があるのでしょうか。
柄谷 それはあまり関係ないですね。確かに、僕のことを分かってくれる人は外国に多い。だけど、日本でも外国でも、そういう人は少数ですよ。日本の教授でも外国の教授でも、アホはアホ(笑)。
――『トランスクリティーク』を書き終えてすぐに、その実践ともいえるNAM(ニュー・アソシエーショニスト・ムーブメント、新しいアソシエーションの運動の略)という運動組織を立ち上げましたね。
柄谷 実は、運動は、自分から始めたことではなかったんです。発端は、大学時代からの友人だった編集者から、運動を始めるから手を貸して欲しいと頼まれたことでした。
(この連載では、柄谷行人さんの半生をお聞きしていきます。取材では、妻の柄谷凜さんにもご協力頂きました。次回は、「NAM」についてなど。月1回更新予定)