『世界史の構造』 広げた大風呂敷 交換様式を通じて見えてくること:私の謎 柄谷行人回想録㉖
記事:じんぶん堂企画室

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――2010年に刊行された『世界史の構造』は、柄谷さんの理論的な到達点ですね。
柄谷 交換様式論をはじめて全面的に展開したという意味ではそうですね。交換の力が働いている、そしてそれが資本主義や国家をつくっている。それは、これまで誰もいったことがないことだと思います。この交換の力を見ることなしに、社会を理解することはできないし、社会の限界を超える道を見出すこともできない。『世界史の構造』では、交換の力が歴史を通じて働いてきたことを示しました。
《『世界史の構造』は、柄谷さんの代表作の一つ。「本書は、交換様式から社会構成体の歴史を見直すことによって、現在の資本=ネーション=国家を超える展望を開こうとする企てである」(序文)。柄谷さん独自の交換様式は、四つに分類され、A=贈与と返礼の互酬、B=支配と保護による略取と再分配、C=貨幣と商品による商品交換、DはAを高次元で回復したもので、自由と平等を担保した未来社会の原理とされる。『世界史の構造』では、定住によって交換様式Aに基づく氏族社会が生まれ、交換様式Bが前面に出る封建的な国家が出現し、資本主義の発展で交換様式Cが支配的な現代の社会へといたる過程をたどっていく。その先に、交換様式Dの実現としての世界共和国を構想する》
――2001年の『トランスクリティーク』から約10年後の『世界史の構造』までの間に、どんな変化があったのでしょうか。
柄谷 交換様式の理論を完成させることで、頭がいっぱいだったように思います。その間、情勢的には、ただでさえ衰退していた左翼がもっと衰退した。友人だったサイードやデリダが立て続けに亡くなって、一つの時代が終わったことを実感した、そんな時期でした。
柄谷 僕はいわゆるマルクス主義者ではない。マルクス主義のスタンダードである生産様式論を支持したことがない。しかし、『資本論』の著者としてのマルクスは、交換様式論の生みの親だし、『資本論』にはまだまだいろいろな可能性がある。『資本論』以外にはありません。
あらためていうと、交換様式論は、“交換”という観点から社会を把握する理論です。僕はこれを、マルクス主義理論の本質だとされている生産様式論に代わるものとして着想しました。実は、生産様式論は、マルクス主義だけのものではなくて、世間一般にも浸透しているんです。もちろん、その起源は完全に忘れられているけど。
――どういうことでしょうか。
柄谷 通俗化した生産様式論の例を挙げましょう。たとえば、AIや宇宙開発などの新しい技術――これは生産力の発展です――が根本的に世界を変えるという、昨今しきりと議論されている考えがそれです。SNSが新しい共同性を築く、といった考えもそうです。これらは生産様式論の観点に立つ発想なんです。生産様式が変わることで社会の様相や個人の生活が大きく変わることは、疑いようのない事実ではありますよ。しかし、生産様式がいくら変わろうとも交換様式は変わらないんです。そのことが、完全に見逃されています。資本主義経済(C)と国家(B)という支配的な交換様式は、AIがいくら浸透しても全く揺らぎませんから。
ついでに言うと、現代社会においてはモノではなく情報が主流の商品になっているから、『資本論』では現実をとらえられなくなっている、というようなことがよく主張されています。しかし、情報であろうとAIであろうと、それらは資本蓄積にとって都合のよい新たな「差異」であるにすぎない。だから、完全に『資本論』の議論の想定内です。戦争や格差をはじめとする問題を打破するためには、生産様式ではなく交換様式を見なければらちがあきません。
――マルクス主義が崩壊した後、各国で勢力を伸ばしたのは社会民主主義でした。今もこれに希望を見出す人が多いと思いますが、柄谷さんは一貫して否定的ですね。
柄谷 社会民主主義は、議会政治を通じて社会的な平等や公正を実現しようというもので、それなりに成功をおさめたように見えます。しかし、ここには国家と資本への批判がない。だから、経済と政情が安定しているときにはよくても、危機になったらすぐに国家主義とか排外主義に走ることになる。最近のドイツや北欧にも、そういう傾向が出てきましたよね。
――なるほど。国家の恐ろしさへの認識が不十分だという点では、社会民主主義もマルクス主義と同じではないか、と。
柄谷 資本と国家の恐ろしさについては、誰も考えていませんね。ほとんどの人は、その範囲内でやっていくことしか考えていなくて、それを超えるなんていう発想は嫌いなのでしょう。マルクス主義者も、国家権力をとって資本主義を制御すれば、自然と国家もなくなると考えた。だけど、そんなわけはない。彼らの国家認識の甘さは、国家を、生産様式という経済的下部構造の上部構造として見たことに発している。そうしたマルクス主義の問題を是正するためには、マルクス自身が『資本論』で見出した、交換から来る力を見るしかないと思った。交換様式にしか可能性がない、と。
――「交換様式しかない」というのは、柄谷さんにとって、ということですか? あるいはもっと広く社会や世界にとって?
柄谷 僕は、交換様式は自分の主張ではなくて、真理だと思っているんですよ(笑)。僕は、交換様式を発明したのではなくて、もともとあったものを見つけただけ。確か、夏目漱石の『夢十夜』にある、運慶の仏像の話にもそんなことが書かれていたでしょう。
――主人公が、近所の寺で運慶が仁王像を彫っていると聞いて見物に出かける、という夢の話ですよね。主人公が感心していると、居合わせた人が運慶はのみで仁王像を作っているわけじゃなくて、木のなかに埋まっている仁王像を掘り出してくるんだから間違うわけがないのだ、という。で、主人公も試してみると、どうやら明治の木には仁王は埋まってない、というオチですが。
柄谷 その話ですね。繰り返しになるけど、マルクスの『資本論』の根底には、“交換”があります。僕はそれを読み取った。他の人たちは、交換をぜんぜん見ていない。見たとしても、せいぜい生産様式の補足くらいにしか考えない。長年このことを言ってきたけど、全くといっていいほど理解されていないと感じます。
20世紀の終わりには、冷戦構造が壊れて、マルクス主義も破綻した。その根本にあったのは、さっき言った国家への認識の甘さです。それは生産様式論からきている。マルクス主義は、「生産様式論を捨てるか、マルクス主義を捨てるか」、そういう選択をせまられていると思った。だから僕は、生産様式に代わるものとして交換様式を提起した。
――特に『マルクスその可能性の中心』以降、柄谷さんはずっとマルクスに取り組んできて、それくらい思い詰めたわけですね。
柄谷 マルクスというより『資本論』ですね。『世界史の構造』では、『資本論』に触発された全く新しいマルクス理論を包括的に展開しました。
――『トランスクリティーク』までは、マルクスのテキスト読解から入っていたという意味で、文芸評論家的な仕事だったとお話しされていました。逆に言えば、『世界史の構造』以降は、もう文芸評論では済まないということでもあったかと思います。
柄谷 交換様式論は、マルクスに着想を得たとはいえ、新しい考えですからね。だから自分の思想として展開するしかなかった。でも、さっき言ったように、自分の思想だという気はしなくて、むしろ交換様式に導かれている感じなんですよ。自分にとっていろいろなことが、交換様式によって明らかになってきたし、今もそれが続いている。交換様式論は、さまざまなことに応用可能なんですよ。どんな分野にも応用できます。
――本が出来るいきさつについてもお聞きしておきたいと思います。これまでの柄谷さんの本は連載をまとめたものが大半ですが、『世界史の構造』は書き下ろしなんですよね。
柄谷 そうですね。ただ、「『世界共和国へ』に関するノート」という連載があったから、(「at」「atプラス」に2006年~10年に掲載)それを下敷きにしました。この連載では、『世界共和国へ』で初めて総合的に展開した交換様式論について再検討しました。
――前段として、『世界共和国へ』(2006年)があったわけですね。岩波新書の新赤版が1000号を超えたリニューアルの1冊目で、1001番がついています。
柄谷 編集者の小田野耕明さんから執筆依頼がきたとき、すでに『世界史の構造』の構想が頭の中にあって、それを書けば楽にできると思ったんです。だけどすぐに、そんなに簡単ではないことに気づいた。ある日の外出中に「締め切りまでにまとめるのは無理だ。やっぱり断りのメールを出そう」と決めて、急いで家に帰ってパソコンを立ち上げたら、小田野さんからメールがきていた。「さきほど書店で、リニューアルの1冊目は柄谷さんの本になると発表してきました。歓声が上がりました」というような内容で、まずい、と(笑)
――あはは(笑)。それは困りますね。
柄谷 ひくにひけなくなって、暫定版として『世界共和国へ』を書いたんです。“世界史の構造試論”みたいなものですね。
――そんないきさつがあったとは。でも、読みやすいですし、交換様式の入門書としてはいい1冊だと思います。
柄谷 『世界史の構造』は、そのあとすぐにも仕上げるつもりだったんです。だけど、予想外に時間がかかってしまった。
――どんなところに時間がかかったんでしょう。
柄谷 一つには、調べ物ですね。なにしろ、 “世界史”の“構造”だから、すごい大風呂敷ですよ。無我夢中で勉強しました。
――『トランスクリティーク』もいろいろな哲学者の議論が引かれていて目がくらむようでしたけども、また違った苦労があったわけですね。
柄谷 世界史は、守備範囲が比べものにならないくらい広いから。いま思えば、禁煙もよかったのかもしれない。ひらめきが出にくくなったかわりに、辛抱強い作業ができるようになったから。
――昔の対談で、図書館や地下の書庫は、タバコが吸えないから長くいられない、禁煙は調べ物には効果的だとお話されていたことがありましたね(笑)。
柄谷 美術館なんかに行っても、すぐタバコを吸いに庭に出ちゃって、そうすると思索にふけって美術のことは忘れてしまう(笑)。1日6箱吸ってました。
――チェーンスモーカーですね。食事と睡眠以外はずっと?
柄谷 食事のときも吸ってたよ。夜中に目が覚めればまた吸う。飛行機が禁煙になってからは、国際線では昏睡(こんすい)したみたいになって(笑)。タバコがないと、脳が仮死状態になっちゃうんだね。
――結果としては、『トランスクリティーク』よりも、とっつきやすいといいますか、読みやすい本になっているのではないでしょうか。
柄谷 抽象的・哲学的な議論はずっと少なくなったからかな。思えば、読者の傾向も少し変わりました。『世界史の構造』以降はじめて僕の言っていることが分かった、という人は多かった。逆に、抽象性が高いものを求めている人にはピンとこなかったかも。外国でも、著述のスタイルが変わったと指摘されました。あるとき、友人のジョアン・コプチェク(アメリカのラカン派を代表する理論家)から、交換様式論について「ヘーゲル的ですね」と指摘された。
――「ヘーゲル的」とは、この場合、どういう意味なんでしょうか。
柄谷 総括的、体系的、という感じだと思います。彼女は、大きな理論体系をつくった、というような誉め言葉として言ったと思うんですが、僕は長年、ヘーゲル批判をしたマルクスやキルケゴールに親近感を抱いてきたから、そう言われてちょっとドキッとした。
確かに、世界を覆っている資本―ネーション―国家を相手にするわけだから、総括的になるしかないですよね。だけど、たとえばDは、ヘーゲルのいう“絶対精神”とは似て非なるものです。Dは人間のシステムの外にあるもので、人間と一体化しうるようなものではないから。
――妻の凜さんにお聞きしたところでは、『世界史の構造』を出版した頃から、柄谷さんは、差し迫った戦争の危機をありありと感じ取っているようで、2010年代に出した本は、強い切迫感と焦燥感に突き動かされて書いたものだったと思う、と。『哲学の起源』(2012年)や『遊動論』(2014年)、『帝国の構造』(同)などです。
柄谷 それらの本は、『世界史の構造』の応用編でした。『哲学の起源』では、古代ギリシャのイオニアにあった、“イソノミア(無支配)”を検証しました。これはアテネをデモクラシーの起源として賞賛する、典型的な発想への批判です。デモクラシーでは、国家と資本主義を乗り越えることはできません。
『帝国の構造』では、国家(交換様式B)について検証した。帝国というと、多民族を手段を選ばず征服・支配する強圧的なイメージがあります。それも事実なんだけど、バビロニアやペルシャのような古代帝国には、多民族をゆるやかにまとめるコスモポリタン的な面もあった。アーレントが指摘したように、そこには、近現代の国民国家にはないような寛容があったんですね。古代帝国のあり方に、国家を超える一つの鍵があると考えました。
『遊動論』は、柳田国男論です。柳田は、いつも現実の社会的危機を念頭に思索していた人です。柳田思想の検証を通じて、人類が定住以前の遊動時代にもっていたような、自由と平等の回復の可能性を考えました。確かに、この頃の仕事は、戦争が迫っているという危機意識と不可分だった気がします。
(この連載では、柄谷行人さんの半生をお聞きしていきます。取材では、妻の柄谷凜さんにもご協力頂きました。次回は、「世界史の構造」についてなど。月1回更新予定)