「秩序の維持」としての「ハーモニー」(前編)――諸井三郎の場合
記事:春秋社
![山本耕平[著]『音楽で「良い子」は育てられるのか 「情操」から読み解く音楽教育史』春秋社音楽学叢書](http://p.potaufeu.asahi.com/1e7e-p/picture/29377704/9a37285d285f0b92211da33f836a5e03.jpg)
記事:春秋社
この原稿を執筆している時期(3月)は、春休みに向けていくつかの子ども向けのアニメ映画が封切りされるタイミングである。私の家族(2人の子どもたち)も、例に漏れずそれらのアニメ映画、中でもドラえもんの映画を毎年楽しみにしている。
今年のドラえもんの映画は美術作品がテーマとなっているが、昨年は交響楽をテーマとして取り上げていた。詳しい説明は措くが、そのおおまかな内容は、「ノイズ」という名のスライム状の生き物によって地球やその他の星から失われてしまった音楽をドラえもんたちが仲間と共に協力しながら取り戻す、というものだ。
こうした「ハーモニーVSノイズ」という対立構造の是非について、美学的な観点から考えることはもちろん重要である。しかしここでなにより押さえておきたいことは、こうした対立構造、つまり音楽において「ハーモニー」は重要なもので、それを乱す「ノイズ」はよくない、という考え方について、少なくとも一般社会において一定のコンセンサスが得られているということである。
音楽教育の世界ではしばしば音楽の三要素として「メロディー」「ハーモニー」「リズム」と述べられるように(やはり、ここでもその是非は措くとして)、こうした考え方というのは、戦後の学校音楽教育でも長らく重視されてきており、今も一定の影響力のある価値観であるといえよう。
今回の記事(計2回)は、拙著『音楽で「良い子」は育てられるのか 「情操」から読み解く音楽教育史』で取り上げた、音楽において重視される「ハーモニーと情操教育」とを結びつけようと試みた戦後の音楽教育の出発点(第1回)と、合奏を通じて情操教育を行おうとした小学校の取り組み(第2回)を紹介する。
戦後の音楽教育の出発点として挙げられるのが、1947(昭和22)年に発行された学習指導要領・音楽編(試案)であり、この試案を作成するにあたり中心的な役割を担ったのが諸井三郎である。
諸井は1907(明治40)年、東京都に生まれる。中学3年生の頃に作曲家を志し、ヴェルクマイスターなどに作品を見てもらいながらほぼ独学で作曲を学ぶ。戦前は作曲家として精力的な活動を行いつつ、山根銀二と雑誌『音楽研究』で評論活動を行うなど、その活動は多岐に渡る。戦後になり、国の行政機関に民間人を積極的に登用するという総司令部の考えのもと、当時さまざまな方面で活躍していた諸井にも声がかかる。戦後間もない1946(昭和21)年1月に、諸井は文部省社会教育局へ入局し、学習指導要領・音楽編(試案)作成の中心人物となる。
諸井は学習指導要領・音楽編(試案)の中で音楽教育について次のような効果を期待している。少し長くなるがそのまま引用する。
音楽美の理解・感得によって美的情操を養成すれば、その人は美と秩序とを愛するようになり、それはとりもなおさず社会活動における一つの徳を養うことになる。これは音楽の社会的効用の一つである。またリズムの体得は人間の活動を能率的にするであろう。その他合唱や合奏における美と秩序とにもとづく訓練は、人間の社会生活や団体生活における秩序の維持の上に大いに役に立つ。合唱や合奏が音楽的に完成するためには、各人の眞に自発的な協力がなければならない。だれひとりとしてわがままな行為は許されないのである。わがまま勝手な行動は直ちに音楽の美を破壊する。このような合唱や合奏における訓練は、音楽の持つ社会的効用として高く評価されなければならない。(文部省 1947:4)
端的にいうと、合唱や合奏では秩序を守ることが大事であり、それが社会性の向上にもつながっていく、ということである。諸井は西洋芸術音楽の持つハーモニーを身につけることで、和を乱さない、秩序と平和を愛する子どもを育てようとしていたのである。ここでは明らかに西洋芸術音楽が念頭に置かれており、諸井は別の著書の中で国民はヨーロッパ音楽の教養を身につける必要があると述べている(諸井 1949)。
誤解を恐れずにいうなら、諸井は戦後の音楽教育で特に器楽を中心とする西洋芸術音楽(また、拙著ではここまで述べていないのだが、恐らくここには諸井自身の作品も含まれていたのではないか)を理解できる聴衆を育てようと目論んでいたのである。そうして調和を重視する西洋芸術音楽の素養を身につけた子どもたちは、クラシック音楽を理解できるようになるとともに、秩序を守るための規範意識のようなものもまた自然と身につけられる、ということとなる。
この後、諸井が中心となって執筆した学習指導要領・音楽編(試案)は西洋芸術音楽至上主義であるとして、作曲家や音楽評論家、音楽教育学者、あるいは現場の教員など、様々な立場から賛否双方の立場からの評価にさらされていくことになる。ただし、拙著で述べている通り、学校音楽教育における西洋芸術音楽至上主義というのは、どちらかといえば批判されることが多い。
しかし、私は思うのである。令和の現代にドラえもんの長編映画で交響楽がテーマとなり、「ハーモニーVSノイズ」という構図の物語を、多くの子どもや、かつて子どもだった彼らの親世代あるいは祖父母世代が一緒になって楽しんでいる。あるいは昨今の流行のアーティストの音源を聴けば、彼らは西洋芸術音楽の理論をベースとした複雑なコード進行や転調といった技法を自分たちのものとして取り込み、軽やかに、鮮やかに展開させている。こうした状況から改めて音楽教育の歴史を振り返ってみた時、諸井が構想した戦後の音楽教育というのは、ある意味では成功しているといえるのではないか、と。
(今回の記事は、『音楽で「良い子」は育てられるのか 「情操」から読み解く音楽教育史』の第2章の記述を基にしている)
参考文献
文部省(1947)『学習指導要領 音楽編 試案』東京:日本書籍。
諸井三郎(1949)『音楽のはなし』東京:三省堂出版。