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ロシア・アヴァンギャルド運動の旗手は、共産主義といかに闘ったのか?

記事:白水社

ゴーリキーをはじめ、メイエルホリドやマヤコフスキーからブルガーコフ……ザミャーチンやショスタコーヴィチ、エイゼンシュテインまで! ツヴェタン・トドロフ著『ロシア革命と芸術家たち1917−41 芸術家の勝利』(赤塚若樹訳、白水社刊)は、15人の前衛芸術家たちの人生とともに「時代精神」を鮮やかに描き出す。マレーヴィチ伝も白眉な、比類なきロシア文化史。
ゴーリキーをはじめ、メイエルホリドやマヤコフスキーからブルガーコフ……ザミャーチンやショスタコーヴィチ、エイゼンシュテインまで! ツヴェタン・トドロフ著『ロシア革命と芸術家たち1917−41 芸術家の勝利』(赤塚若樹訳、白水社刊)は、15人の前衛芸術家たちの人生とともに「時代精神」を鮮やかに描き出す。マレーヴィチ伝も白眉な、比類なきロシア文化史。

 私は第二次世界大戦後のブルガリアで育った。父はその頃すでに共産主義政権とのあいだにいくつか揉め事を抱えていた。だが私は父の精神生活の別の面から確実に影響を受けた。父はロシア文化にとても愛着を持っていたのだ。ロシア語を見事に習得し、書棚には数多くのロシア語書籍──とりわけ19世紀の「偉大な古典作家たち」、また同様にソヴィエトの一部の作家たち──を並べていた。このことを父は熱く語っていた。両親が私を、全科目の授業がロシア語で行なわれる高校に入れたために、私もこの頃からこの言葉に習熟していった。学生の頃、父の書棚に20年代のロシアで出版されたロシア・フォルマリストの著作を見つけた。そのフランス語訳こそが、私が1963年にパリに居を定めてから最初に携わる仕事となった。

ツヴェタン・トドロフ(Tzvetan Todorov、1939─2017) ブルガリア出身、フランスで活躍した理論家・思想家・批評家。[original photo: Fronteiras do Pensamento – CC BY-SA 2.0]
ツヴェタン・トドロフ(Tzvetan Todorov、1939─2017) ブルガリア出身、フランスで活躍した理論家・思想家・批評家。[original photo: Fronteiras do Pensamento – CC BY-SA 2.0]

 この仕事のおかげで、戦間期のロシアの芸術家との関係を容易なものにしてくれるもうひとりの人物と会うことができた。私が手がけた翻訳、すなわち『文学の理論──ロシア・フォルマリスト論集』の出版が間近になったとき、当時の友人のひとり(おそらくジェラール・ジュネットかニコラ・リュヴェ)がその序文を、西側に暮らしているフォルマリストで、フランスでも有名なロマン・ヤコブソン(1896─1982)に依頼してはどうかと勧めてくれた。そのとき(1965年)彼と知り合ったが、それから15年にわたって彼の数多くの著作をフランス語で出版することに自分が携わり、そのために定期的に彼と会うことになるとは思ってもいなかった。そのときはまた、ヤコブソンがロシアで暮らしていた頃、画家のマレーヴィチ、未来派詩人のフレーブニコフやマヤコフスキーといった何人ものアヴァンギャルド芸術家と親しくしており、彼が知識や教養を身につけるさい、そういった芸術家たちとの友情がきわめて重要なものとなった──その一方で、彼が大学で受けた、文献学や言語学の授業はそうはならなかった──ということも知らなかった。ヤコブソンという人物のおかげで現在の私はこの世代のロシアの芸術家たちと直接のつながりを持つことができている。

マレーヴィチ《未来の男の顔》、サンクト・ペテルブルグ、ロシア美術館[『ロシア革命と芸術家たち1917-41 芸術家の勝利』(白水社)P.162より]
マレーヴィチ《未来の男の顔》、サンクト・ペテルブルグ、ロシア美術館[『ロシア革命と芸術家たち1917-41 芸術家の勝利』(白水社)P.162より]

 私はこうした思い出に、歴史上のその時期が自分に個人的にかかわりのある過去であるかのように感じさせてくれる第三の人物を結びつけたいと思う。本人には会ったことがないが、ソヴィエトの文芸批評家リディヤ・ギンズブルグである。1902年生まれの彼女は他のフォルマリストたち(トゥイニャーノフ、エイヘンバウム)とともに学び、戦時中、3年にわたって包囲されたレニングラードで暮らし、何冊もの本を出版した。亡くなる1年前の1989年に、彼女は(ロシア語で書かれた)最後の本を私に送ってくれた。タイトルを『作業台に就いた作家』といい、「ペレストロイカ」の時期に出版可能となった種々の文章を収めていた。そのなかのひとつは「岐路に立つ世代」と題されており、ギンズブルグが67歳だった1979年のものだった。このテクストはまさに本書のテーマ、ロシアの芸術家たちと革命を論じており、私はその的確さに感銘を受けたので、おそらくそこからこのテーマへの関心が芽ばえたのだろう。著者が私にこの本を送ることを考えてくれなければ、たぶんこのことはまったく知らないままだっただろう……。先行する世代に属するこの3人を偲びつつ、この本を私の3人の子供たちに捧げる。

トゥイニャーノフ(Yury Tynyanov、1894─1943) ロシアの作家、文芸評論家。
トゥイニャーノフ(Yury Tynyanov、1894─1943) ロシアの作家、文芸評論家。

 本書は、集団肖像と全体主義政権を前にした芸術家の個人肖像という、大きなふたつの部からなる二枚つづきの絵ディプティクというかたちを取っている。集団肖像のほうは、一連の短いセクションで構成されており、その時代のもっとも傑出した人物たちから選ばれた15人の創作者──その多くは作家だが、他の芸術的実践の代表者も何人か含む──の体験を描き出している。そういった断片が物語るのは主役たちと革命の関係のさまざまな局面、もしくは彼らによってなされた多様な選択である。私はここでパノラマ風の眺望よりも、むしろ一連の静止画像を提示し、それらを併置することによって一種のモザイク画、つまりはある世代の肖像を作ることを選んだ。個人肖像のほうは、画家カジミール・マレーヴィチという、ひとりの芸術家の経歴を綿密にたどっている。マレーヴィチは、かかわったエピソード(革命前の前衛主義、自身の理論と〈十月〉直後の革命政権を関連づける試み、失望、公的生活に包含させる新たな試み)という点でも、通った道の数の多さ(絵画と文章、芸術、政治そして哲学)という点でも、さらには経歴全体にわたっての社会参加の強度という点でも際立っておもしろい人物であることが明らかだからである。

マレーヴィチ《自画像》、サンクト・ペテルブルグ、ロシア美術館[『ロシア革命と芸術家たち1917-41 芸術家の勝利』(白水社)P.168より]
マレーヴィチ《自画像》、サンクト・ペテルブルグ、ロシア美術館[『ロシア革命と芸術家たち1917-41 芸術家の勝利』(白水社)P.168より]

 この相補的なふたつの肖像の後に数ページの結論が続き、そこで私はこうした過去のタブローにもとづいて、私たちが生きる現在との和解の方法もいくつか提案する。

 

【ツヴェタン・トドロフ著『ロシア革命と芸術家たち1917-41 芸術家の勝利』(赤塚若樹訳、白水社刊)より、「序文」を一部紹介】

 

『ロシア革命と芸術家たち1917-41 芸術家の勝利』(白水社)目次より
『ロシア革命と芸術家たち1917-41 芸術家の勝利』(白水社)目次より

 

【Mort de l’essayiste Tzvetan Todorov】

 

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