チーズ転がし、蟹釣り世界選手権、極限アイロン掛け……「変なスポーツ」にみる英国文化の神髄とは
記事:平凡社

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フットボール(いわゆるサッカー)、ラグビー、テニス、バドミントン、ゴルフ、カーリングを始めとして、英国発祥の運動競技は非常に多い。競馬、ホッケー、ポロ、ボクシング、競技スキーなど、英国発祥ではないが英国でルールが確立して制度化された種目も数多ある。英国人(特にイングランド人)はおよそ思いつく限りのあらゆる運動競技を発明していて、発明していない競技の多くも他所から横取りして体系化した、とジャーナリストのA・A・ギルは言う(Gill, 165)。英国ではほぼ知られていない野球もまた、英国発祥のクリケットやラウンダーズといった球技が米国で独自の発展を遂げた結果に他ならない。ついでながら、19世紀後半にボクシングのルールと体重別階級を定めた第9代クイーンズベリー侯爵ジョン・ダグラスは、かのオスカー・ワイルドの愛人だった青年アルフレッド・ダグラスの父であり、息子とワイルドを引き離そうと画策して裁判沙汰になったあのクイーンズベリー侯爵である。
「スポーツ」(sport)はもともと disport という単語だったのだが、14世紀末頃に diが消滅して sport になった。この disport は古フランス語からの借用語で、「運ぶ」の意味の port に、否定や分離を意味する接頭辞 dis- が付いたものなので、原義は「離して運ぶ」である。語頭の di が消えて sport という単語が成立した後にも disport は、文語として「戯れ」「息抜き」「気晴らし」あるいは「はしゃぐ」「楽しませる」の意味で生き残っている。仕事場や学校など、人が本来やるべきことに従事する場所から自分自身を「離して運ぶ」から、「戯れ」や「娯楽」あるいは「気晴らし」という意味になるのである。この意味での sport の最古の用例は1440年頃(「気晴らしをする」の意味の動詞は1400年頃)で、一方の「運動競技」の意味では1863年の用例が最も古い。近代オリンピックが始まったのは1896年であり、今日的なスポーツ文化が一般に普及したのは人類の長い歴史の中では意外にも最近のことなのだ。そして、今世界中で知られている種目のかなりの割合が、その頃英国で確立したものなのである。
それで思い出したが、近代オリンピックはイングランドとウェイルズの国境に近い小さな町マッチ・ウェンロック(シュロップシャー州)で、地元出身の医師ウィリアム・ペニー・ブルックスが1850年に始めて今も続いている〈ウェンロック・オリンピアン・ゲイムズ〉(Wenlock Olympian Games)を基に企画されたらしい。この「オリンピック」を1890年に見て感銘を受けたフランス人教育学者ピエール・ド・クーベルタン男爵が、近代オリンピックの開催を提唱して、1896年にアテネで第1回大会が開催された。だから2012年のロンドン・オリンピックのマスコットは「近代オリンピック発祥の地」に因んで〈ウェンロック〉と命名されたのである。
『タイムズ』などで活躍するコラムニストのマット・ラッドは、イングランド人は多くの運動競技を発明したにもかかわらず、いずれの種目でもすぐに他国に打ち負かされてしまい、今やイングランド人が王者でいられる唯一の「スポーツ」は「並ぶこと」(queueing)だ、と言う(Rudd, 199–200)。この発言は当然のことながら英国的(イングランド的)ユーモアであり、確かにイングランド人はいつでもどこでも辛抱強く長時間並んで大人しく待つが、列に並ぶことは運動でもなければ娯楽でもなかろう。世界的に見れば日本人もかなり行儀よく並んで待つ方だが、並んでいる時の落ち着きや、前の人がどんなに時間をかけてもそれはその人の当然の権利だと考えて悠然と待つ鷹揚さは、おそらくイングランド人には敵わない。なお、イングランド人が自分たちの考案した運動競技で早晩他国人に勝てなくなってしまうのは、社会人類学者ケイト・フォックスが別な文脈で指摘している通り、真剣過ぎることを嫌う国民的特質(Fox, 62, 66,180, 206)のためであるとも、またしばしば言及されるように、勝つことよりも良き敗者であることを潔しとする伝統(Fogle, 57, 66; Gill, 167 etc)のためであるとも考えられる。
ところで、英国は変なスポーツの宝庫でもある。この場合の「スポーツ」は元来の意味すなわち「戯れ」「娯楽」であって、それは運動競技とは限らない。最もよく知られているのは〈チーズ転がし〉(Cheese Rolling)であろうか。グロスターシャー州のコッツウォルズ丘陵西端に近いブロックワース村のクーパーズ・ヒルという丘の斜面にチーズを転がして、それを皆で走って追うという伝統的な行事である。毎年5月の祝日(Bank Holiday Monday)に行われ、2020年と2021年は中止になり、2022年に復活した。最古の記録は1826年だが、実際には600年を軽く超える歴史があり、さらに遡ってキリスト教伝来より前の異教徒の夏至祭に起源を発するとされる。
転がすのは円盤型のダブル・グロスター・チーズで、重さは7~9ポンド(約3~4キログラム)あり、丸い木枠に嵌められ包装されてリボンで飾られる。斜面を転がり落ちる速度は最終的に時速70マイル(時速約110キロ)に達するという。丘の傾斜は50度以上、最大で70度近くになる箇所もあるらしいので、そこは正三角形の斜辺より急峻だ。ちなみに、50度の斜面は上に立ったらほぼ垂直に見える。頂上からチーズを転がし、一秒後に参加者がそれを追って走るのだが、実際には滑落するか転げ落ちることになる。毎年多数の負傷者が出るものの、記録されている限りこれまでに死者は一人もいないらしい。第二次世界大戦中と戦後の配給時代には木材で作った疑似チーズが使われたという(Quick, 177–178)。
参加者はチーズを追って走る(落ちる)のだが、当然のことながら追い付く者はなく、麓のゴール地点に最初に到達した者が優勝者となる。賞品はそのチーズだ。作家・冒険家のベン・フォウグルはこの伝統行事について、その奇抜さや荘厳なまでの馬鹿馬鹿しさと無意味さこそがイングランドの国民的遺産であり、クールでもセクシーでも知的でもないがそこには本質的な「イングランドらしさ」(Englishness)がある、と言う(Fogle, 6–7)。〔中略〕
並んで立つ救命艇隊員に巨大なアナゴを投げつける〈アナゴ投げ〉(Conger Cuddling)は、ドーセット州の海辺の町ライム・リージスの伝統行事である。Conger Cuddling の名称の通り、救命艇隊員は投げつけられたアナゴを「抱き止める」(cuddle)のだが、動詞 cuddle の意味はどちらかといえば「抱きしめて可愛がる」である。なぜ cuddling かと言えば、おそらく conger との頭韻(alliteration)のためであり、またこれを cuddlingと称するところが英国的ユーモアなのであろう。
この催しは王立救命艇協会(Royal National Lifeboat Institution: 略称RNLI)の活動資金を集めるためのイヴェントで、1970年代初頭に地元のパブ店主リチャード・フォックスの呼び掛けで、〈救命艇週間〉(Lifeboat Week)の行事の一つとして始まった。数名の救命艇隊員が逆さまに並べられた植木鉢の上に立ち、参加者が彼らにアナゴ(体長約5フィート=約1.5メートル)を投げつけ、ボウリングのように何人倒せるかを競う。多い年には3,000人ほどの観客が集まり、少なからぬ収益を上げているという。だが2006年には動物愛護運動家からの脅迫で中止に追い込まれた。投げるアナゴは無論生きているものではないのだが、「死んだアナゴに対する敬意に欠ける」というのがその野暮な運動家の主張だったらしい。〔中略〕
〈蟹釣り世界選手権〉(the World Crabbing Championships)はノーフォーク州の海辺の村ウォルバーズウィックで1981年から2010年まで開催されていた蟹釣りの選手権で、糸に餌を付けて蟹を釣り上げ、最も大きい(重い)蟹を釣り上げた者が優勝という競技であった。餌はベイコン、ソーセージ、パンなど、英国の伝統的な朝食のようなメニューだ。人口400人足らずの小さな村に何千人もの参加者と観客が集まることで様々な支障を来したため、2011年以降は開催されていない。
先述のフォウグルがこれに参加した時、1匹も釣れずに苦戦していたところ、近くにいた子供が近付いて来て「まだ釣れないの?」と訊いたのだそうだ。フォウグルが空のバケツを指差して肩をすくめて見せると、その子供は近くで黙々と釣りを続けていた父親の許に戻って行き、その刹那に父親は巨大な蟹を釣り上げたという。よく見たらその父親は映画監督・脚本家として高名なリチャード・カーティスだった(Fogle,129)。カーティスと言えば『ラヴ・アクチュアリー』、『ノッティング・ヒルの恋人』、『ブリジッド・ジョウンズの日記』など数々の名作で知られるが、彼の引退前最後の監督作品『アバウト・タイム』が特にいいと私は思う。彼はこの村に別荘を所有していて、この大会によく出場していたらしい。この日の優勝者はカーティス父子だった。〔中略〕
この種の英国的「スポーツ」の中で最も新しく、その無意味さや馬鹿馬鹿しさが最も際立っているのは、やはり〈極限アイロン掛け〉(Extreme Ironing: 略称EI)であろう。この競技はイングランド中部のレスターで始まった。この街の衣類工場で働くフィル・ショーが1997年のある日、仕事で疲れて帰宅してアイロン掛けにうんざりしたため、普通でない状況でやってみようと、自宅の裏庭でアイロン掛けを試みたところ、そこに帰宅した同居人が面白がったことから、なるべく異常な状況でアイロンを掛けるという「スポーツ」を思いつき、もともとロック・クライミングが趣味だったショーは崖に登りながらのアイロン掛けを試みた。1999年に彼は世界中を旅行して、カヌーやスキーやサーフィンなど様々な「普通でない状況でのアイロン掛け」に挑戦し、ニュー・ジーランドで知り合ったドイツ人青年が興味を示したことから、2002年9月にドイツはバイエルン州のファライ村で第1回極限アイロン掛け世界大会が開催された。
この世界大会は森(Forest)、川(Water)、岩(Rocky)、都市(Urban)、自由型(Freestyle)の五部門に分かれ、それぞれ木の上、カヌーや浮き輪、ボルダリング、車の中や上、そして完全に何でもあり(この時にはトランポリン、逆立ち、バイク、障害物競走など)という状況で、首から下げたアイロン台の上でアイロン掛けが行われた。なるべく異常な状況で、アイロン掛けという「日常的な」作業を遂行することが目的ではあるのだが、その状況の「異常さ」だけでなく、当然のことながら衣類の皴の伸び具合も審査対象となる。この世界大会は定例化されなかったが、翌年にはショーが著書 Extreme Ironing を出版し、民放チャンネル4でドキュメンタリー番組 Extreme Ironing: Pressing for Victory が放送され、三人の英国人ジョン・ロバーツ、ベン・ギボンズ、クリストファー・アラン・ジャウジィがエヴェレストのベースキャンプ(標高5,364メートル)で英国旗ユニオン・フラッグをアイロン掛けした。こうして極限アイロン掛けは人口に膾炙して、世界のあちこちでスカイ・ダイヴィング、スキューバ・ダイヴィング、バンジー・ジャンピング、あるいは事故で一時的に閉鎖された高速道路上などの「極限状況」でアイロン掛けが行われている。日本にも Extreme Ironing Japan という組織があるらしい。
極限アイロン掛けの選手は本名ではなく何かしらアイロンに因んだ偽名で登録され、ショーは「スティーム」、彼の友人は「スプレイ」と名乗る。2002年の世界選手権の優勝者は「ホット・パンツ」であった。このスポーツをオリンピックの正式種目にしようとする動きもあるようだが、これはスポーツなのかと疑問視する反対意見も根強いらしい。だが、極限アイロン掛けはスポーツでないなどと臆面もなく言えるのは、「スポーツ」の原義を知らないからであろう。極限アイロン掛けこそが最も純粋な英国的「スポーツ」の神髄であり、無意味なことを本気で楽しむその姿勢それ自体が英国的ユーモアの精髄であるに違いない。
「英国的『スポーツ』に関する無駄話」より
[参考文献]
Fogle, Ben, English: A Story of Marmite, Queuing and Weather (London: William Collins, 2018)
Gill, A. A., The Angry Island: Hunting the English (London: Phoenix, 2006)
Fox, Kate, Watching the English: The Hidden Rules of English Behaviour (London: Hodder & Stoughton, 2005)
Rudd, Matt, The English: A Field Guide (London: William Collins, 2014)
Quick, Alex, 102 English Things To Do (Brecon: Old Street Publishing, 2013)
*WEB掲載にあたり一部編集を行いました。
はじめに――英語の不規則性と多様性
第1章 知っていても特に役に立つわけではない英語の話
第2章 世にも奇妙な英国文化
第3章 物語の生まれる国
第4章 留学せずに英語を学ぶ方法
おわりに――英語の創造性など