史上初の女性劇作家W受賞! 第69回岸田國士戯曲賞授賞式 安藤奎さん、笠木泉さんが受賞の喜びを語る
記事:白水社

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まず、岸田國士戯曲賞とは何なのか。その歴史を簡単に振り返ってみましょう。
新人劇作家の登竜門とされる岸田國士戯曲賞は、文学座を創立し、新劇運動を主導した岸田國士が舞台稽古中に急逝した翌年の1955年、岸田の業績を顕彰するとともに、劇作家の育成に尽力した岸田の遺志を受け継ぎ、新人劇作家の奨励と育成を目的として、白水社が発行していた雑誌『新劇』で「新劇戯曲賞」として創設されたのが始まりです。1961年に「『新劇』岸田戯曲賞」に名称をあらため、1979年、従来の新劇の枠に収まらないアングラ世代の作家たちの活躍を受けて、現在の名称に変更されました。
岸田國士戯曲賞の歩みは雑誌『新劇』とともにありましたが、同誌が1992年に休刊した後も続き、受賞した劇作家たちが選考する同人的な運営が保たれています。(以上、【「はじめて」の岸田賞|イントロダクション】より)
近年は年齢やジェンダーのバランスの確保に努めており、これまで受賞者の多くは男性劇作家が占めてきましたが、今年は史上初の女性劇作家W受賞となりました。
授賞式では、まず、白水社の岩堀雅己代表取締役社長から受賞者に、賞状ならびに正賞の時計と副賞の賞金目録が授与されました。続いて、選考委員の岡田利規さんが選考経過を報告し、「今年は選考の時間に制約がなかったので、例年以上に時間をかけて議論ができた」と、振り返りました。
『歩かなくても棒に当たる』(上演台本。初演:2024年8月)で受賞した、劇作家・演出家・俳優の安藤奎さん(1992年生まれ、大分県出身)は、2016年に劇団アンパサンドを結成。2024年、『地上の骨』が第68回岸田國士戯曲賞の最終候補に選出され、第69回での受賞となりました。
受賞作『歩かなくても棒に当たる』は、マンションのゴミ集積所を舞台に、住人たちの立ち話を通して「ルール」が暴走するさまを描いたシチュエーション・コメディです。
壇上に立った安藤さんは、受賞作『歩かなくても棒に当たる』上演の千秋楽で起きた不思議な出来事を語り(出来事の詳細は、受賞作を書籍化した『歩かなくても棒に当たる』あとがきに書かれていますので、ぜひお読みください)、作品と同様、会場の笑いを呼びながら「自分たちは誰かに支えられてるんだなと思いました」と、受賞の感謝を述べました。
『海まで100年』(上演台本。初演:2024年12月)で受賞した、劇作家・演出家・俳優の笠木泉さん(1976年生まれ、福島県出身)は、劇作家・演出家の宮沢章夫さん主宰の劇団「遊園地再生事業団」を中心に舞台俳優として活動し、2018年、自身が戯曲を書き演出するユニット「スヌーヌー」を立ち上げ劇作家としての活動を本格的にスタート、2021年に上演した戯曲『モスクワの海』が第66回岸田國士戯曲賞の最終候補作となり、第69回での受賞となりました。
受賞作『海まで100年』は、女2人と男1人の静かな「トリローグ劇」。いわき市出身の笠木さんが2011年3月11日という「あの日」について「書かなければならない。書かなければ、私は前に進めない。」(本作を書籍化した『海まで100年』あとがきより)という気持ちから書かれた作品です。
壇上に立った笠木さんは、今年ちょうど30周年を迎える俳優人生の始まりとなった、「師匠」宮沢さんのもとでの日々を「私の演劇活動の原点」と振り返り、「後輩たちが苦しまずフラットに創作できるような場所をつくることが私の使命の一つ。小さき存在や、声を出せない人たちとともに、生きていく方法を探りながら、謙虚にまじめに書いていきたい。」と決意を述べ、最後に、「この受賞を誰よりも喜んでいるだろう私の師匠は、彼岸でこのスピーチをにやにやして聞いてくれていると思う。」と、宮沢さん(2022年逝去)を追悼しました。
乾杯の発声に立った選考委員のタニノクロウさんは、「今回の授賞は、のちに演劇の転換期になったと言われるのではないか。いま、クリエイティブな領域にAIが入り込んできていて、おそらく脚本もAIなしには書けないという日がくると思う。人間が積み重ねてきたさまざまなものがこれからゆっくりとなくなっていくのではないか。だからこそ、受賞者のお二人がきわめて人間らしい言葉をつくりあげてきたことを心から強く祝福したい」と祝辞を述べ、タニノさんの乾杯の音頭とともに、祝賀会が始まりました。
祝賀会では、来賓挨拶として、安藤奎さん側来賓の松尾スズキさん、山内ケンジさん、山崎静代さん、笠木泉さん側来賓のノゾエ征爾さん、徳永京子さん、山崎一さん(山崎さんの手紙を上村聡さんが代読)、鈴木慶一さんが、それぞれ祝いの言葉を述べました。
祝賀会の最後は、笠木さんが応援しているスワッチさんのライブが行われました。
スワッチさんは、横浜市旭区の障害福祉事業所で働きながら音楽活動をしており、笠木さんが「この場を借りてぜひ多くの人に聴いてもらいたい」と、この日のパフォーマンスを企画しました。笠木さんとともに壇上に上がったスワッチさんは、作詞作曲を手がけた「ぼくらのうた」をウクレレを弾きながら歌い、やさしい音楽に包まれながら祝賀会は閉会しました。
(伏貫淳子)