岸田國士戯曲賞受賞作はこうして生まれた 加藤拓也さん・金山寿甲さん
記事:白水社
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この3年間、新型コロナウイルスに世界中が苦しめられ、演劇界も沢山苦しんできた。まだ終わりを迎えたわけではないが、演劇界にある制限は生活と同じ様に変化している。初めて日本で報道された時期、彩の国さいたま芸術劇場で上演する劇団作品の稽古をしていた。報道を見かけても遠い話のように感じていて、大変なことなんだけれどここまでの事態になると思っていなかった。けれど千秋楽を終えた次の日に、ほぼ全ての演劇公演が中止になって、すぐに自粛期間が始まって、止まらないと思っていたものすべてが止まった。この3年間で僕が関わった作品において「全公演中止」になることはなかったが、「5ステージ」が中止になってしまった。他のどの公演中止にも心が痛むし、罹患者にも心が痛い。新型コロナには友人も罹り、僕自身も罹ったことがある。高熱、喉、関節、とにかく体のすべてが過去最悪のコンディションで、動くこともままならなかった。一人で暮らしている上に、うつしてはいけないから助けを求めることもできず、ただ時間に身を任せて、快復することをひたすら待つことしかできなかった。[中略]
2020年、外出が許され始めたタイミングで、ある友人に久し振りに会う約束をした。コロナ以前から会う回数が減った友人であったが、誕生日に二人で遊んだこともある友人だ。家に籠らなければいけない時期に連絡を取り合っていて、ネット上での交流は再開させていた。お互いに人間と会いたいという気持ちが高まっていたので久し振りに対面できることが嬉しかった。が、直前で断られてしまった。友人は実家で両親と暮らしていて、万が一を避けたいという理由だった。それから一年と経たないうちに一人暮らしを始めた友人から連絡が来て、都内の神社で待ち合わせることになった。久し振りに会ってしばらく話すうちに、その友人と僕は当時一体何を面白く感じて遊んでいたのだろうかと疑問を持ったことが「ドードーが落下する」を書くきっかけとなり、その疑問を持った時から友人と何度も連絡を取り、呼び出し、今このような話を考えていてこんな風に上演したいと話すことで、つまり友人に壁になってもらうことでこの作品を書き進めることができたわけだが、だから正直なところ、その友人の人生と自分の人生を少しずつ拝借して積みあげた嘘で膨らんでいったこの作品は、自分が演出して上演するということが前提で書かれている。第三者が上演するということを考えていなかったからといって、書き方が変わるわけではないからどうということでもないのだけれど。このような賞をいただくことができて驚いたし、戯曲本として多くの人の目に触れたり、もしかしたら誰かが上演したいと思うのかもしれないと思うと、光栄でもあり不思議な気分でもある。いつかまた劇場で観れることがあれば嬉しく思う。
【加藤拓也『ドードーが落下する/綿子はもつれる』所収「あとがき」より】
*受賞第一作の「綿子はもつれる」は5月17日より東京芸術劇場シアターイーストにて上演。
このたび、おかげさまで第67回岸田國士戯曲賞を受賞することができました。僕は、この岸田國士戯曲賞を明確な目標として演劇をやってきました。それが〝ルール〟のように思ってやってきました。僕はヒップホップから受けた衝動を、そのまま舞台に乗せたような演劇をやっています。ヒップホップにはヒップホップの〝ルール〟や〝マナー〟が存在します。勿論それを逸脱して表現する方法もあっていいのですが、僕はルールやマナーに則った上で競うヒップホップに魅力を感じます。僕が身を置くフィールドの頂きが岸田國士戯曲賞であるとするならば、そこを目指すのがルールでありマナーだと思ってやってきました。これは人それぞれ考え方があるので、僕はそう考えていたというだけです。
ZORNのLIFE STORYという曲のリリックに、「武道館の翌朝も俺は作業着」というラインがあリます。これは武道館でライブした翌日も作業着を着て現場仕事をやっているというZORNのリアルな日常を描写した歌詞です。今回、「パチンコ(上)」と併録されている「ユキコ」を読んで頂ければおわかり頂けるかと思いますが、僕の妻は仕事で日常的にパチンコ屋の景品交換所に入っています。この上演の千秋楽の翌日も妻は交換所に入っていました。「楽日の翌朝も妻は交換所」です。
ZORNさんと僕のご縁について書きます。といってもこちらが一方的に意識しているだけで、ZORNさんが僕を認識していることはないと思います。
実は一時期、同じカフェを利用していました(最新アルバムの『Leave Me Alone』という曲で身バレする憂鬱について歌っているので場所を特定できるような情報は伏せます)。
僕が子供を幼稚園に送り、カフェで演劇で使うラップのリリックを書いていると、数席先でZORNさんがノートを広げリリックを書いているという日が幾日もありました。ZORNさんはノートパソコンやiPhoneではなく、自身の歌詞のとおりに、ノートにモンブランのペンで書いていました。この事例だけをもってリアルだフェイクだの言うつもりはありませんが、「あ、本当にモンブランで書いてるんだ」と思いましたし、頻繁に喫煙ブースに立つ姿を見ては、「マールボロメンソール本当によく吸うなぁ」と思いました。このとき僕が書いていた台本が本受賞作の「パチンコ(上)」です。この戯曲にZORNさんが影響した部分は少なからずあったと思います。
【金山寿甲『パチンコ(上)』所収「あとがき」より】