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「中国は疾走し続けている」…体当たりの取材で書かれた中国ノンフィクションが伝えるリアル

記事:白水社

阿部さんが編集を担当した中国ノンフィクション
阿部さんが編集を担当した中国ノンフィクション

  

ヨーロッパの香りがする出版社で
アジアのノンフィクションを担当

――  阿部さんは白水社でおもにアメリカとアジアをテーマにした海外ノンフィクションを担当してこられたそうですね。フランス語と翻訳文学のイメージが強い白水社で、アジアのノンフィクションを専門的に作る阿部さんは異色の存在なのでは?

阿部唯史さん(以下、阿部。敬称略):僕が白水社に中途入社して17年くらいたちますが、その前は、伝統的にアジアの本を作る出版社にいました。白水社に入るとき、僕、アジアの本しかやってないんですけどいいですか、と言ったら、アジアの本をやってくれ、と。それでアジア、特に中国を扱ったノンフィクションを中心的に作り続けてきました。

――  なぜアジアの本をつくるようになったのですか?

阿部:たぶん親の影響が大きいと思います。

 僕の両親は高校の教師だったのですが、父はずっと独学で中国語を勉強していて、青海省の大学に講師として赴任する前は埼玉県立伊奈学園総合高校で中国語の教師をしていました。ここはちょっと変わった学校で、中国語のほか、ドイツ語やフランス語の専門の先生がいます。

 それと、僕が子どもの頃、家には常に留学生がホームステイしていました。オーストラリアやカナダの人もいましたが、ほとんどがアジアからの留学生で、一番多かったのが中国からの大学生や大学院生です。当時はみんな国費留学で、要はエリートです。でも、うちに来る留学生の多くは、田舎から出てきた、すごく朴訥なかんじの人たちでした。

 そういう留学生が、物心ついた頃からほぼ途切れることなく家にいたので、おのずとアジアへの興味が生まれたのかもしれません。

―― では、中国語も身についたのでは。

阿部:いえ。というのは、うちの父が毎朝、大きな声で中国語の発音練習をしてたんですね。中国語の発音ってどうやら「四声」がすごく難しいみたいで、イントネーションがちょっと変わると意味がころっと変わるらしいんです。父は学校の教師だから声が大きくて、その大きな声で、毎朝、発音練習を聞かされていたので、もう中国語はちょっと、と……(笑)。大学はアメリカで人類学を学びましたが、アジアへの関心はずっと持ち続けてきました。

 

海外のジャーナリストが書く
中国ノンフィクションのすごさ

―― どんな中国ノンフィクションをつくってこられたのですか。

阿部:たくさんあるんですけど……昨年、『現代史アーカイヴス』第Ⅰ期(参照:「埋もれている海外ノンフィクションの傑作」をよみがえらせたい…「現代史アーカイヴス」のジレンマと挑戦)の1冊として復刊した『疾走中国 変わりゆく都市と農村』(栗原泉 訳)は、反響が大きかった本の一つですね。当時、『ニューヨーカー』の北京特派員だったピーター・へスラーさんが、2001年から09年にかけて、変化が目まぐるしい中国各地をレンタカーで走り回り、人々の日常と生の声を取材したものです。

 いま、中国では取材規制が相当厳しくて、いいノンフィクションがなかなか出ません。この『疾走中国』が書かれた頃は習近平政権の前で、海外のジャーナリストが、自由にとまでは言いませんが、そこそこ自分で歩き回ることができた時代です。そうやって書かれたこの本は、いまや当時の中国を知る貴重な記録となりました。あ、こんな中国があったんだ、って、いま読むと思います。

 

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 『疾走中国』の次の時代の中国を書いたのが、ピーター・へスラーさんに代わって『ニューヨーカー』の北京特派員に着任したエヴァン・オズノスさんの『ネオ・チャイナ 富、真実、心のよりどころを求める13億人の野望』(笠井亮平 訳)です。2005年から13年にかけての中国における、富や精神的自由を求める人々と独裁体制との相剋が書かれています。

 『疾走中国』のピーター・へスラーさんも、このエヴァン・オズノスさんも、僕が好きな、ものすごくいい書き手で、ずっと追いかけています。

―― どういうところが好きなんですか?

阿部:中国って、書くのがすごく難しい国だと思うんです。大きいし、多民族国家だし、ひとことでつかみきれない。全体を書いたつもりでも、それは一面にすぎなくて、そこからこぼれ落ちているものが膨大にある。つかもうとしてもするっと抜ける、というか……。

 でも、ピーター・へスラーさんも、エヴァン・オズノスさんも、もういきなり、大きなビジョンでうまく見せてくれるんです。よくこんなふうに書けるなぁって、いつも不思議なんですよね。

 そして、二人とも中国のコミュニティに入り込んで生活し、中国の人たちと営みを一緒にしているところに説得力があります。あまり観念論で語らない。中国の批判もするし、いいところもしっかり書く。難しい中国論ではまったくない。だから、日本の読者にも、中国ってこういうところですよと、すごくよく伝わる、いいノンフィクションを書きます。

 

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 『上海フリータクシー 野望と幻想を乗せて走る「新中国」の旅』(フランク・ラングフィット 著, 園部哲 訳)は、アメリカの公共ラジオ局の特派員として上海に赴任した著者がタクシードライバーになって、「話を聞かせてくれればタダ乗りOK」というステッカーを貼って流しで走り、乗ってきた人たちにインタビューするという変わった手法を使ったノンフィクションです。いまや、もう、中国でこういう取材をするのは無理ですよね。

 

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 こんなふうに、アメリカのジャーナリストって、体当たり的な取材をばんばんやるんですよね。特に、中国のノンフィクションをやっていると、そう感じます。あの取材規制の厳しい中国でここまでやるなんて、なかなかたいしたもんだ、と。

―― 海外のノンフィクションと日本のノンフィクションって、違うものなんですね。

阿部:取材の仕方から何から、全然違うんじゃないかと思います。ここまでどっぷり浸かって取材するというのは、バックアップ体制があって初めてできることですが、日本のフリーランスのノンフィクションライターの方の場合、取材費から何から自分持ちだったりしますから……。

 こういう取材をする日本のノンフィクションライターの方は、本当に稀有な存在だと思います。だから、そういう方が書いた本は、すぐ買って応援しなきゃ、と、いつも思ってます。

 

じわじわと反響が広がった
話題作『台湾海峡 一九四九』

阿部:アジアの歴史ノンフィクションでいちばん反響が大きかったのは、『台湾海峡 一九四九』(龍應台 著、天野健太郎 訳)です。著者の龍應台さんは、台湾では大変有名な作家です。

『台湾海峡 一九四九』(龍應台 著、天野健太郎 訳)
『台湾海峡 一九四九』(龍應台 著、天野健太郎 訳)
 

 1949年、国共内戦に敗れた国民党政府軍と戦乱を逃れた人々が、中国から台湾へ渡りました。その当時を必死で生き延びてきた人々から丹念に聞き書きした本です。本当に、迫力がある。人ってどんなところでも生きていけるんだ、と思わせてくれます。

 歴史ノンフィクションをつくっていると、どうしても人が死んじゃう本ばかりで、ときどき嫌になるんですけど……。それでも、この本は、生きる力に満ちたすばらしい本です。

―― 台湾ではすでに話題になっていた本なんですか。

阿部:はい。台湾でベストセラーになっていました。それなのに、なぜ日本で翻訳されないのかなぁって、ちょっと不思議だったんです。やっぱり、この時代の台湾あるいは中国については政治的な受けとめをする方もいるので、もしかしたら、それで日本の出版社はあまり手を出さなかったのかもしれません。でも、白水社はそういうアレルギーはないので、翻訳書の刊行に着手しました。

―― 前回のインタビュー(「埋もれている海外ノンフィクションの傑作」をよみがえらせたい…「現代史アーカイヴス」のジレンマと挑戦」)でも感じましたが、白水社は、気負いなく気骨がある出版社ですよね。穏やかな阿部さんが、そうしたエピソードをなんでもないこととしてさらりと語るので、白水社のそうした社風をあらためて感じます。

阿部:『台湾海峡 一九四九』は、刊行を決めたとき、こんなに反響が大きくなるとは思ってなかったです。出してみて、驚きました。

―― なぜ日本での反響が大きかったと思われますか。

阿部:この本が持つ、人に訴える力でしょうか。

 中国から台湾に渡っていく人たちの「もう生き延びる場所はここ(中国)にはない。でも、生きなきゃ!」という思いの迫力が、龍應台さんの文章から伝わってくるんです。そして、日本の僕らが歴史の授業で教わらない、この時代を生き抜いてきた人たちの「声」が聞こえてくる。こうしたことが、日本で評価されたのだと思います。

 

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 この本は、とても幸福な紹介のされかたをした本です。いろんな方が、「これは読んだほうがいい」「読まなきゃいけない」と広めてくださったことによって、じわじわと反響が大きくなっていきました。週刊文春の連載「お言葉ですが…」で知られる中国文学者の高島俊男さんは、人をほめないことで有名な方だったんですが、その高島さんが評価してくださったことでも話題になりました。ものすごくうれしかったですね。

 この『台湾海峡 一九四九』は、日本もすごく深くかかわった時代と場所が書かれていて、日本の人にも、絶対読み継いでほしい本なので、復刊を考えています。

 

いま、中国の女性たちは
どうやって呼吸しているのか

――  中国をテーマにしたノンフィクションは、日本でどんな読まれかたをしているのですか。

阿部:僕、いつも思うんですけど、現代の中国事情にしても、中国の歴史についても、日本の読者の層はすごく厚いです。どんな本でもちゃんとついてきてくれる、という感覚があります。日本人が中国に向ける関心は、ほかの国に対するそれとはちょっと比べものにならない深さと広さを感じますね。

―― いま準備中の中国ノンフィクションはありますか。

阿部:はい。ひとつは、現在の中国の女性を取材したノンフィクションです。

 2010年に『現代中国女工哀史』(レスリー・T・チャン 著、栗原泉 訳、現在品切れ)という本を出しました。「ウォールストリート・ジャーナル」の北京特派員だった女性が、2004年から約3年間、工場で働く若い女子工員たちと寝食とともにして、彼女たちの日常を取材したルポルタージュです。当時は、中国の田舎の人たちが、現金収入を求めて都市部にいっせいに働きにでてきた時期です。中国の急激な経済成長の中に生み出される矛盾や、女性特有の悩みなどが、非常に生々しく描かれています。

 

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 じゃあ、現在の中国の女性たちはどんなふうに生きているのか?――それを描いた本を、いま、準備しています。

 『現代女工哀史』で書かれた中国といまの中国は全然違います。いま準備中の本では、政府に批判的な発言をしたことでいろんな嫌がらせを受けて精神的に病んでしまった女性、未婚の母として子育てする女性など、さまざまな女性が出てきます。現代の中国の女性が何を考え、どんな悩みを抱え、何を望んでいるのか。いまの政治体制や、中国社会が抱えるいろんな矛盾と、どうやって折り合いをつけているのか。女性の視点からいまの中国を知る、とてもおもしろい本になると思います。

――  『現代女工哀史』が日本で刊行されてから15年のあいだに中国はそんなに大きく変わったんですね。

阿部:すごく変わりました。習近平体制になって締めつけが相当厳しくなったいま、彼女たちはどうやって呼吸してるのかなぁって、僕はいつも気になるんです。

 ……でも、ところがどっこい、すごくがんばってへこたれない女性たちも、この本には出てきます。「上に政策あれば、下に対策あり」の精神が、彼女たちの、あるいは中国の人たちの、バイタリティの源なんですよね。それが伝わる本になるといいなぁと思っています。

 

日本と中国をめぐる現実は
すごいスピードで変わっている

阿部:いまの中国では、外国人ジャーナリストはかつてのように取材できず、当局を批判する言論活動をすれば身の危険もあります。ですので、日本の研究者やジャーナリストも警戒して、中国に行く人はめっきり減ったと聞いたことがあります。中国の人たちの声は、日本の僕らには届きにくくなっています。

 ジャーナリストの舛友雄大さんが『潤日ルンリィー──日本へ大脱出する中国人富裕層を追う』というノンフィクションで詳しく書かれているように、近年、中国の富裕層のみならず、知識人や若者が「自由」を求めて日本にやって来ています。日本国内に、日本人には見えない中国人のコミュニティができていて、子どもはどこのインターナショナルスクールに入れたらいいか、とか、生き抜くための情報がSNSで駆け巡っていたりする。

 

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 また、中国人が中国人のために出版社をつくり、中国ではできない言論活動を日本でおこなったりしています。やっぱり、中国の人たちのバイタリティはすごいです。

―― 歴史ノンフィクションの1ページになるような動きが、いままさに起きているのですね。

阿部:日本と中国をめぐる現実は、日々、目まぐるしいスピードで変わっています。中国は疾走し続けています。僕も必死で追いかけて、刻々と変わる中国を伝えるノンフィクションをつくり続けていきたいと思っています。

(聞き手:伏貫淳子)

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