「忘れられがちな国」イエメンとは――内戦に喘ぐ「アラブの源流」を知る
記事:明石書店
記事:明石書店
ようやく明石書店の「エリア・スタディーズシリーズ」の一冊にイエメンが仲間入りすることができた。40年来イエメンの地域研究者を名乗ってきた筆者(佐藤)にとっては、とても感慨深いのだが、同時にこの時期の出版には複雑な思いもある。
明石書店さんから「イエメン60章を出しませんか?」と最初にお声がけいただいたのはもう10年以上前である。しかし、当時は2011年の「アラブの春」直後で長期にわたったサーレハ大統領退陣後、イエメンがどこに向かっていくのかも見極めがたかった。
そこで「情勢が落ち着いてから、出しましょう」とお答えしたのだが、2015年にはサナアを占拠していたホーシー派に対するアラブ有志軍の空爆が始まり、情勢は落ち着くどころか、内戦状態に突入してしまい、内戦開始からはや10年余りが経過した。一日も早くイエメンの友人たちに平和な日々が訪れることを祈るしかない日々を送っているうちに、「情勢が落ち着いてから」の方針を変更すべきだと思い至った。
混迷を深めている今だからこそ、遠く離れた日本人の一人でも多くの人に、イエメンを知ってもらうべきではないか、それが地域研究者の務めではないか、と思い直したのである。
内戦・紛争中の国を紹介するというのは、どういうことなのだろうか。本書は決して紛争の解説書ではない。あくまでも「イエメンを知るため」の本である。
であるならば、本来の平和なイエメンの姿を読者に提示したい。それが日本にも少なからず存在する「イエメン・ファン」にとっては一番快適な対処方法だし、何よりもイエメンの友人たちのプライドにもかなう。
しかし出版事情的に言えば、需要が高いのは「内戦の背景説明」「今後の見通し」についての情報であろう。天然資源に恵まれないとされる日本においては中東の石油・天然ガスは国家安全保障にかかわるビジネスであり、また貿易立国日本にとっては中東・アフリカさらにはその先のヨーロッパとの輸出入もまた死活的に重要であり、その円滑な物流のためにはインド洋・紅海・スエズ運河の航行の安全も気にかかる。もちろん本書でも、こうした問題に専門家による最新の情報を提供している。
とはいえ、地政学的な状況に翻弄されるあまりにも現実的な姿や、イエメンの抱える内部矛盾ばかりが強調されるのは、決して本意ではない。何よりそうした視点からは、イエメンの最大の魅力である「人々」が浮きあがってこないからである。
そこで本書では、直近の「内戦」状況に一定の目配りをしつつも、イエメンの長い歴史、多様な風土、実直な人々が(平和であれば)織りなす日常生活に焦点を当てる、という方針で編集することにした。
イエメンはアラビア半島の南西のかかとの部分にある。半島の真ん中を占めているのがサウジアラビアで、イエメンは長い国境を接しており、国境地帯は砂漠なので国境線の一部はあやふやである。
アラビア半島は「中東/中近東」に位置づけられることが多いが、「西アジア」にも区分される。つまりアジア大陸の一部でもあるということで、実際、スポーツの「アジア大会」にイエメンは参加している。
多くの日本人にとって「中東=アラブ=イスラーム」はセットでとらえられがちだが、中東とアラブとイスラームはそれぞれ全く別の分類軸である。なので中東に位置するがアラブでない国(イラン、トルコ、イスラエルなど)や、中東に位置するアラブの国だがイスラームでない人が混ざっている国(レバノンやシリアのキリスト教徒など)も少なくない。
そんな中で、イエメンは正真正銘「中東」で、「アラブ」で、「イスラームの国」である。このカテゴリーには、隣国サウジアラビアやオマーンなどアラブ産油国も当てはまるのだが、残念ながらイエメンは石油成金ではない。多少の石油は産出するがアラビア半島で最大の3000万の人口を潤すにはあまりに微力なので、内戦以前もイエメンはスーダンと並んで「アラブの最貧国」に位置づけられていた。
他方、そのイエメン人は「アラブの源流」であることを誇っている。これは、多くの他のアラブ人も認めていることで、「貧困だが、由緒正しい」というのが、アラブ世界の中でのイエメンの立ち位置である。またアラブの石油富豪といえば大柄な体格の持ち主をイメージしがちだが、イエメン人はアラブ人の中でも小柄である。彫りが深く、肌の色は褐色だが、対岸のソマリア、エチオピアに比べると薄い。
アラブのイメージと砂漠を行くラクダの隊商のイメージは微妙に重なっているが、現在ではラクダの隊商はすっかり四輪駆動のピックアップトラック(その大半はトヨタのランドクルーザー)に置き換わってしまっている。
たしかにイエメンの国土52万平方キロメートル(日本の1.5倍)のうちの大半は砂漠(正確には土漠というべきだろう)だが、荷物の移送にラクダを利用している遊牧民(いわゆる「ベドウィン」)は内陸部の砂漠か、紅海沿岸の平地(ティハーマ地方)にわずかながら残っているのみである。
そしてイエメンの代表的な風景は砂漠ではなく、険しい山岳地の段々畑である。イエメンの人口の8割は紅海に並行するように南北に連なる山岳地に生活しており、農村では段々畑を活用した昔ながらの農業を中心とする生計を営んでいる。
すなわち、基本的にイエメン人は「農民」であり、このことが、他のアラブとは一味違った味わいを醸し出し、寡黙、純朴で恥ずかしがり屋のイエメン人というイメージが出来上がる。しかし決して卑屈なわけではなく、農作業に鍛えられた俊敏でスリムな体格を誇っている(もちろん最近は都市在住の肥満体も増えているが)。
山岳地にはわずかながら定期的な降雨があり(多くても年間数百ミリだが)、このおかげで「岩のアラビア」(シリア、ヨルダン近辺)、「砂のアラビア」(アラビア半島北部)と対比して「緑のアラビア」と称されてきたのである。また、この山岳地からは有名な「モカ・コーヒー」も産出される。
イエメンには、どうも「忘れられた」という形容詞がつきまといがちである。かつて「海のシルクロード」の時代には中継貿易で重要な役割を担った(サバ王国がその代表例)ものだが、それ以来世界史的にも、アラブの歴史の中でもたいていはわき役であり続けた。
バグダード、ダマスカス、イスタンブル、カイロなどのイスラーム世界の中心から距離的に隔たっていることもさることながら、19世紀以来の欧州諸国の植民地化の対象になるほどの価値が(港町アデンを除けば)見出されなかったために、放置されてきたからだともいえる。
イエメンが現代の世界史の中に登場するのは1970年代で、道路の舗装をはじめとする近代化がようやく始まったのもこの頃である。ただ、これも自力でというよりは近隣のアラブ産油国への出稼ぎによって得た資金と、国際社会からの援助を得ての話であった。つまり典型的な「低所得発展途上国」である。
2015年以降の内戦状態は、国連諸機関が「最大の人道危機」と警鐘を鳴らし続けているにもかかわらず、欧米のメディアではほとんど報道されず、欧米報道に追従する日本のマスコミでも記事になることは稀である。
「忘れられる」のは、そもそも「知られていない」からである。知らないことに罪はないが、知らないことは、時にその地域に住む人に振りかかる厄災を「放置」することにつながる。それは、イエメンに限らず、2023年10月以降のパレスチナにも当てはまる。
しかし、今日のグローバル化社会において、日本に住む我々とイエメンは「無縁」ではない。であるならば、多くの日本の皆さんにイエメンについて少しでも知っていただくことには、意味があるだろう。それが本書の目的である。