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「オレンジに染まる」――『プロパガンダ』が鳴らす警鐘

記事:春秋社

左:フランク・パヴロフ『茶色の朝』(大月書店、※現在の定価は1500円+税)、右:ジャック・エリュール『プロパガンダ』(春秋社)
左:フランク・パヴロフ『茶色の朝』(大月書店、※現在の定価は1500円+税)、右:ジャック・エリュール『プロパガンダ』(春秋社)

 とある架空の国フィクションの話をしてみよう。

 その国では「オレンジ」が良いものとされる。国のお偉いさんが謳うことには、その国が代々(だいだい)続くとても縁起の良い色で、科学的にも立証されているという。暖色で元気が出るから、とりわけ野球においては「オレンジ」が一番。それ以外の色をチームカラーに使っている球団なんて「おかしい」。だから、すぐにファンをやめなさいという。

 馬鹿げた話だ!……みながそう思っていたけれど、むしろシニカルに笑っていただけの層が多く、声を上げたものは一部だった。「だって野球にぜんぜん興味ないし、それに『政治と野球の話はするな』なんてマナーが蔓延っているくらいなのだから。」

 そうすると人間は不思議なもので、慣れてくる。ついに「贔屓球団特別措置法」なんて法律も施行されたけれど、だんだんと「まぁオレンジでも、別にいいよね」と考えはじめる。ある男は「今日から俺はオレンジーズだ」という。「そりゃ前はイエローズのファンだったけど、なんたってオレンジが一番強いからな!」

 しばらく経ったある日、突然政府が声明を発表した。「前にオレンジ以外の球団を支持していた者は、今さら贔屓を変えたところで、その反政府的思想が根強いことは変わらない」と。加えて、これからは本人が野球ファンじゃなくても、「オレンジ以外」を支持していた人間が知り合いや家族にいた場合、えらく厄介になるかもしれないとのことだ。

 その日、かつて別の球団を支持していた男も警察に捕らえられてしまった。そして次は……

 ──これはフランク・パヴロフによる茶色の朝マタン・ブラン1創作パロディだ。元の本の「犬/ペット」だったところを「贔屓球団」に、初期ナチスのカラーを想起させる「茶色」を「オレンジ」にアレンジしている。

 この物語で起きていることは、けっしてわれわれの社会にとって無縁ではない。日本語版にメッセージを寄せた高橋哲哉はいう。「強者の論理を振りかざし、外国人や女性や障害者への差別発言をくりかえす政治家が人気を博したり、メディアが特定の国への敵意をあおり、[・・・]現代日本社会にはそれらにつながる排外主義差別主義、国家主義への強い傾向が確実に存在します。つまり、ものごとを『茶色』に染めていく傾向が存在するわけです」2 

オレンジの夜と帯

 2025年7月の参議院選挙で、ことさら外国人問題をとりあげる政党が一部の熱狂的支持者を獲得してきた。そのうちのひとつ、参政党はオレンジをイメージカラーとする。だから街のあちこちでオレンジの旗をみかけるようになった。色こそ違えど、『茶色の朝』で描かれていたのと同じ風景を彷彿とさせる。

 同じくフランスで、しかも今から半世紀以上前に刊行された書籍がまた、この危機的状況を言い当てていた。ジャック・エリュール──日本ではまだ知名度が低い20世紀の大思想家は、人間を操る数多の技術を大部の著『プロパガンダ』にまとめた。日本語訳の書籍3には偶然にも、オレンジ色の帯に「警戒せよ。」の文字が大きく書かれている。

 エリュールは古今東西のプロパガンダの手練手管を紹介する。曰くプロパガンダは、人々を煽動するために彼らの憤りや正義感を呼び起こし、そして「打倒すべき敵を名指しする」 4という。たしかに極右政党の支持者をすくなからず夢中にさせているのは、排外主義である。ことあるごとに「皇紀2685年」を持ち出す彼らであるが、同じく2500年近く前に書かれた戯曲の「わたしは憎しみではなく、愛と共に生まれついている」5 という言葉は響かないのだろうか。

 エリュールはほかにも「個としての個人ではなく、他者との傾向や感情、あるいは神話を共有する人々がプロパガンダの対象なのだ。プロパガンダは個人を平均へと一括化する」6 と指摘する。これを平たくいえば、「多くの人がそう思っているんですよ、だから少数派は黙っていましょうね」という、権力者の横暴な態度だろうか。議論に行き詰まった政治家がときおり見せる「選挙で民意を得られたのはどちらですか」7という開き直りが頭をよぎる。

考えすぎなのか、否

 プロパガンダは人々を熱狂させる一方で、逆に関心を薄れさせて忘却させることにも熱心だ。エリュールの訳書に解説エッセイを寄せた武田砂鉄は「問題の渦中にある人は、大衆を飽きさせ、それに乗っかりながら、『ったく、いつまでやってんですかね、困っちゃいますよね』と世の流れに同化してしまえばいい。煙たがる側と一緒になって、問う側のしつこさを嘆けばいい。これは現代的なプロパガンダの一種だ」8 と書く。

 たしかに「オレンジ」が政治的な意味を帯びはじめると、一連の事態を冷ややかな目で傍観しているものも現れた。たとえば、オレンジ色の群馬県のマスコットキャラクターが手を掲げて「この県(くに)を愛して何が悪い」といえば、それが参政党を支持したものであるとする声と、「それらを結びつけること自体」を非難する声の二種類が飛び交った9。後者に言わせれば、いま私が書いていることも「考えすぎ」にすぎない、ということなのだろうか。

 だが、世の中のものはなんだって政治性を帯びることを忘れてはならない。EU離脱ブリグジットの抗議のためにイギリス国会議事堂前で『歓喜の歌』を歌う歌手サイモン・ウォルフィッシュは、音楽と政治についての議論の中で「この曲は政治的かな?」と問われ、こう返した。「『きらきら星』だって政治的になり得る。それがEU旗の星を連想させると、政治的に解釈することもできる」10 。だからむしろ、芸術や意匠から政治性を見出し検討する作業は、巧妙に隠されたプロパガンダを見破る力にもなる。だいいち、民衆側から監視されることを厭う為政者ほど、人々に政治に対して過度に潔癖な――つまり「無関心」な――態度を望んでいるにちがいない。

 最初は「たかがペット」「たかが贔屓球団」だったものが、徐々に意味を変え、大きな暴力に飲み込む装置へと変容していることがある。人々を煽り、分断するのは簡単だ。だからこそ突然、気付かぬ間に自分の足下が、それこそ雪の覆われた氷河の亀裂クレバスよろしく崩落している。その時は、もう遅い。

 『茶色の朝』の最後で、主人公はこうつぶやく。「警戒すべきだったんだ」──この後悔を表す動詞の形が、なにもかも手遅れであったことを物語る11。この主人公を、『プロパガンダ』の書き手は哀れな被害者として擁護するだろうか。否、彼はもっと辛口だ。「プロパガンダの受け手がプロパガンダに影響され、操られているのは確かだが、意図せぬまま無意識のうちにプロパガンダの完璧な共謀者となっているのだ」12

 ではどうすればよいか。エリュールが示唆するところを引こう。「ゆえに、唯一の真剣な態度とは、プロパガンダの影響力に関して警鐘を鳴らすこと、人々が自分たちの弱さや脆さを意識して自分を守るよう促すことに尽きる」13。茶色でもオレンジでも、世界が一色モノトーンに染まる前に、今この状況が「おかしい」ことを常に自覚し、警戒し、抵抗していきたい。

いま、世界は何色なのか

 ここまで読んだあなたは、それでも眉をひそめて「ただの空論だ」と言っているかもしれない。無理もない。なぜならここまでなにひとつ写真も図もあげていないので、読者の誰もリアルに何かを目の当たりにしていないからだ。

 だから、このページを閉じる前に、最後にひとつだけお付き合い願いたい。

 外務省の「海外安全ホームページ」。これは世界各国の治安や政治情勢に応じて「危険レベル」が色分けされているマップだ。2025年9月現在、ロシアのレベルが「渡航は止めてください。(渡航中止勧告)」に引き上げられている。もちろん、同じ警戒レベルにある国はほかにもあるが、メルカトル図法によって増して広大に見える国土が「レベル3」の一色に染まっているのは、全体の景観をガラリと変えてしまっているといって良い。

 実際にここから開いてみるといい。きっと、こう思うはずだ。
 「いつから世界って、こんなにオレンジ色だったっけ。」

(文・春秋社編集部)


1 フランク・パヴロフ[物語]、ヴィンセント・ギャロ[絵]『茶色の朝』高橋哲哉[メッセージ]、藤本一勇[訳]、大月書店、2003年。パヴロフはフランスとブルガリアの二重国籍をもつ作家で、原著(Frank Pavloff, Matin Brun)は2001年の刊行。その背景に、ジャン゠マリー・ルペン率いるフランスの極右政党「国民戦線(現:国民連合)」が1998年の統一地方選挙で躍進したことがある。
2 パヴロフ、前掲書、41頁。引用部分は高橋哲哉「メッセージ やり過ごさないこと、考えつづけること──フランク・パブロヴ『茶色の朝に寄せて』」より。
3 ジャック・エリュール『プロパガンダ』神田順子・河越宏一[訳]、春秋社、2025年。
4 エリュール、前掲書、206 – 209頁。
5 ソフォクレス『アンティゴネー』より。
6 エリュール、前掲書、9頁。強調は引用者による。
7 この発言は「朝から生テレビ!」にて、参政党の梅村みずほ議員が、日本共産党の山添拓議員に放ったもの。しんぶん赤旗[オンライン版]「山添氏が朝生で冷静に反論 参政党のデマに事実で対抗 SNSで700万回超の反響」、2025年7月30日。
8 エリュール、前掲書、540頁。引用部分は武田砂鉄、解説エッセイ「個人として生きるために」より。
9 読売新聞[オンライン版]「ぐんまちゃん、参政党のイメージカラーで「この県(くに)を愛して何が悪い!!」と投稿 「誤解招く表現」県が削除」、2025年7月15日。
10 ドキュメンタリー『音楽、権力、戦争そして革命』(MUSIC, POWER, WAR and REVOLUTION: A three-part decumentary)accentus music / King International、2019年。引用箇所のインタビューは、第3部:音楽と権力(監督:マリア・ストッドマイヤー)、51分頃。
11 原文「J’aurais dû me méfier des bruns dès qu’ils nous ont imposé leur première loi sur les animaux.(最初のペット特別措置法を課してきやがったときから、警戒すべきだったんだ)」(パヴロフ、前掲書、28頁)。動詞が条件法過去であり、これはフランス語の文法で過去に起こった現実とは反する事柄にたいする後悔や懺悔などを表現する際に用いられる。
12 エリュール、前掲書、166頁。強調は最初のものは原著、後のものは引用者による。
13 エリュール、前掲書、360頁。

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