プロパガンダ・デザインと『FRONT』のグラフィズム
記事:平凡社
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第2次大戦におけるプロパガンダの表現は、モダニズムが産み出した様々な表現手法と形式を駆使したものであった。このことは、日本だけのことではなく、ドイツやアメリカにおいても共通したことであったといえる。
たとえば、第2次大戦中に日本で作られたプロパガンダ雑誌、『FRONT』のグラフィックをながめてみると、そこには明らかにモダニズムのグラフィックの成果が駆使されていることが分かる。このことは後ほど検討しなければならないのだが、『FRONT』にはとりわけ、モダンデザインの流れの中で重要な意味を持つロシア・アヴァンギャルドの表現手法と形式が多用されていることが、一目で分かる。つまり、革命の中で産み出された視覚表現の形式が、ほとんどそのまま戦争の言語(視覚表現)として使われているということだ。
したがって、『FRONT』のようなプロパガンダの表現(『FRONT』だけに限ることはもちろんないのだが)そしてメディアの中に、モダニズムの思考や感覚(あるいは精神といってもいい)の捻れを見ることができる。そして、こうしたプロパガンダを今日振り返って見ることの意味があるとすれば、モダニズムに内在する思考や感覚の捻れとは一体なんであったのかという問いかけを行うことにほかならない。
ここでは、近代のプロパガンダの問題を考えるにあたって、『FRONT』をテクストとするわけだが、テクストに沿って検討を進める前に、近代におけるプロパガンダ、そして視覚表現一般について簡単に検討しておかなければなるまい。まずは、近代のプロパガンダについてふれておこう。
広告(アドバタイズメント)と宣伝(プロパガンダ)は大衆を対象にしているという点で共に近代の産物だといっていい。ちなみに、ジリアン・ダイヤーは『広告としてのコミュニケーション』(邦訳『広告コミュニケーション』)の中で、近代的な広告の成立は、資本主義的な生産が大きく変動した時期であり、それ以前はお知らせとか公表といった単純な形態のものでしかないと述べている。また、商品の使用価値よりも交換価値を神聖化するような表現が出現してきた時代の産物として広告があるのだということを指摘したのはW・ベンヤミンである。具体的には、ベンヤミンは消費都市が出現してきた19世紀に近代的な広告が出てきたのだとする。
一方、プロパガンダの方であるが、フランスの社会学者のA・モールは「複合の理論と産業文明」(COMMUNICATION,13,1969)の中で、需要に対して供給が多い社会の中で行われるのが広告(pubilicité)であり、逆に供給に対して需要が多い社会で行われるのがプロパガンダであるとしている。こうした分類はたしかに広告とプロパガンダの関係について経済的な状況からのある一面をいいあてている。
また、ジャン・マリー・ドムナックは『政治宣伝』(小出峻訳)の中で「宣伝は世論をつくり出し、変え、確実にする点で、広告に似ており、部分的には広告から借用した方法をもちいる。宣伝は、商業上のではなく政治上の目的を追求する点で広告と区別される」と説明している。こうした目的あるいは機能による分類も両者の性格を言い当てているといえよう。たしかに、プロパガンダとアドバタイジングとの関係はいってみれば、軍事産業と日用品産業との関係だともいえよう。それぞれで考えられたテクニックが相互に補完し合っているからだ。実際、後に見るように、『FRONT』に使われている表現手法は、それ以前に日本では広告に使われていたものであり、戦争が終ると再びその手法は広告へと流れ込んでいった。
プロパガンダに関して、スーザン・ソンタグは『革命のアート、キューバ・ポスター集』の序文としてつけたエッセイの中で、政治宣伝のためのポスターを例にとりつつ、それは近代的な資本主義の中で形成されたものであり、イデオロギーの独占を目指す近代国家の教育と戦時の総動員を目標としたものだという意味のことを述べている。ソンタグのいうイデオロギーの独占という概念は大衆を対象とした近代社会におけるプロパガンダを理解する上で極めて重要な概念である。
他方、近代のプロパガンダを考える上で、無視し得ないのは複製メディアであろう。近代社会は「大衆」というコトバによって、「大量な人間」を再編し、またまさにその「大衆」という存在によって自らの特性を現すことになるわけだが、そうした大衆を作りだしたのは複製メディアであるといえるだろう。ここでいう複製メディアは、さまざまな製品を産み出す大量生産システムをも含めておく。
そして、プロパガンダがイデオロギーの独占のための活動だとすれば、当然のことではあるが、最小限の力によって最大限の効果をあげる(つまり経済効果をあげる)マス・メディアを使わないわけはない。そして、『FRONT』のようなグラフマガジンも例外ではなかった。
写真を使ったグラフマガジンは、もちろんプロパガンダのために生まれたメディアではない。しかし、ほかのあらゆるメディアがそうであるように、グラフマガジンもまた、プロパガンダのためのメディアとして使われた。それはメディアとして、映画やポスター(図像を入れた大型ポスター)と同様、それ自体が近代的な複製メディアであり、前近代の歴史を持っていない。したがって、その表現は手法としても形式としてもモダニズムのグラフィックの成立と不可分の関係にあったといえよう。もちろん、それが前近代的なメディアの表現形式を使っている場合があることは否定しない。そして、こうしたメディアが大々的にプロパガンダのメディアとして使われるようになっていったのは第1次大戦以後であった。ポスターは、第1次大戦になるまで、政治宣伝とは無縁であったとソンタグは述べている。
プロパガンダはモダンなメディアを使ったときに、時として、そのメディアが産み出した近代的(それは初期の段階ではアヴァンギャルドと相互に区別しがたい)な表現の手法と形式をそのまま引用してしまうことになった。
さきにふれたように、『FRONT』を見るとすぐに気付くのは、その表現がロシア・アヴァンギャルドなどのすぐれて近代が産み出した表現方法と形式によっていることだ。こうしたグラフマガジンによるプロパガンダを行うときに、もちろんそうした近代的なグラフィズムの表現手法や形式をとらずに行うこともできたはずだ。しかし、結果としては、近代的なグラフィズムを実践したのである。それが何故なのかということのこたえを、ここでにわかに出すことはできないが、『FRONT』が国内ではなく海外へ向けての、つまりインターナショナルなプロパガンダとして機能させることを目的にしていたことと無縁ではなかろう。
ところで、『FRONT』を編集・発行した東方社にはアートディレクターの原弘を始め、後に参加した今泉武治、高橋錦吉らはいずれも当時、すでにインターナショナルとなっていた近代芸術とモダンデザインの基本的な表現手法や形式を自らの時代の表現として認識していたデザイナーたちであった。
たとえば、イタリア未来派に始まり、キュビズム、ロシア・アヴァンギャルド、ダダ、シュールレアリスム、バウハウスなど近代芸術におけるアヴァンギャルドな試みと、表現上の基本的な手法と形式のほとんどのものが、20世紀の前半、しかも1930年代あたりまでに出揃ってしまっている。また、そうした近代芸術の試みとともに、20世紀の大衆社会を性格づけることになったマシーン・テクノロジー(それは複製のメディアということでもある)の日常生活への浸透が始まったのもこの時代のことであった。
グラフィックにおけるモダニズムの基本的なボキャブラリーとなっていった表現手法や表現形式の多くもまた、20世紀の前半に形づくられたといえるだろう。グラフィック・デザインもまた、近代芸術の実験的な試みを押し進めて行く時代精神と、テクノロジーが産み出す環境の変容とに深く関わっていたからだ。そして、原弘や高橋錦吉らは『FRONT』の仕事に参加していく以前に、そうしたグラフィズムの手法や形式を身につけていたのである。
そうしたグラフィックにおけるモダニズムの基本的な表現のボキャブラリーをいささか乱暴であることは承知の上で、ここで整理しておこう。
まず第1に、ロシア・アヴァンギャルドやバウハウスを含めたいわば抽象的表現と構成主義的表現。こうした表現の中には、ロシア・アヴァンギャルドやバウハウスとは傾向は異なるが、範囲を広げて、1920年代のフランスのカッサンドル(カッサンドルはバウハウスと同時代にあって、バウハウスの表現に強く惹かれていった)のような表現も含めておこう。カッサンドルのようなグラフィックもまた、簡潔な画面を構成するために図像を平面化し抽象化しているからだ。そうすることで、人々の視線を迷うことなく惹き付けようとしたのである。つまり、バウハウスにおけるような構成的な表現もカッサンドルの表現も、視覚にとってよけいなノイズとなるものを取り去るという方法によって、一気に情報を人々の目に送り込もうとしたのである。
第2には、モンタージュあるいはコラージュという表現である。この表現は、時間と空間を再編する表現であるが、表現主義やダダの中で生まれロシア・アヴァンギャルドによって洗練された表現だと言えよう。
そして、3番目にあげておきたいのは、アメリカン・ポピュリズムともいうべき、アメリカのコマーシャルな表現である。この3番目のものは、いわばハリウッド映画の表現など、大衆的な消費社会の表現と深く関わっていた。しかし、面白いことに、こうした表現は、たとえば1920年代のロシアにおけるステンベルグ兄弟による一連のポスターなどにも見られるように、ロシア・アヴァンギャルドの中にも含まれていた。
「抽象的な構成的表現」「コラージュあるいはモンタージュ」「ポピュリズムあるいはコマーシャリズム」。これ以外にももちろん、様々な表現はある。いささか乱暴であることは承知の上で、とりあえずこのように整理して見ることができるだろう。そして、こうした表現の特徴を、とりあえずモダンなグラフィズムと言っておくこともできよう。
モダンなメディアとして展開されたポスターはもちろんグラフマガジンは、まさに上に整理したようなグラフィズムの形成と深く関わっていた。『FRONT』のアート・ディレクターを担当した原弘は、こうしたインターナショナルなグラフィズムに真っ先に目を向けていたデザイナーの1人であった。そして、実のところ、そうしたグラフィックを戦前・戦中においてついに『FRONT』でもっともラディカルに展開しえたというのは、いかにも皮肉なことであった。
文゠柏木博
*『復刻保存版FRONT Ⅰ 海軍号・満州国建設号・空軍(航空戦力)号』収録の解説「モダンなグラフィズムの捻れと合理」を一部抜粋して転載
*初出は『FRONT 復刻版 第Ⅰ期 海軍号・満州国建設号・空軍(航空戦力)号』付録「解説Ⅰ」
本シリーズは、1989~90年に平凡社から再刊された多川精一氏(1923-2013)監修の[復刻版]を底本としています。1989~90年[復刻版]はオリジナルの判型どおりA3サイズで制作されましたが、本シリーズはB4(変型判、横257mm・縦360mm)サイズに縮刷したうえで、[復刻版]の発行期ごとに3冊(第Ⅲ期のみ4冊)を合本にしています。また[復刻版]では付録だった解説小冊子も、再刊に合わせ、新たな解説をくわえて合本収録しました。
縮刷合本に際しては、デジタルリマスター技術により[復刻版]の印刷を再現しましたが、版面の制約により一部レイアウトに変更を加えています。複雑な折り込みをはじめとした特殊製本に関しても、底本を可能な限り忠実に再現しました。新たに電子書籍版も同時刊行されます。
『復刻保存版 FRONT Ⅰ 海軍号・満州国建設号・空軍(航空戦力)号』
2024年1月24日刊行
260ページ、定価22,000円
解説゠柏木博、飯沢耕太郎、山口昌男、多川精一、松田行正
『復刻保存版 FRONT Ⅱ 陸軍号・落下傘部隊号・鉄(生産力)号』
2024年3月21日刊行予定
242ページ、定価22,000円
解説゠多川精一、菊池俊吉、今泉武治、岡田一男、山室太柁雄、松田行正
『復刻保存版 FRONT Ⅲ 華北建設号・フィリピン号・インド号・戦時東京号』
2024年5月刊行予定
定価22,000円
解説゠山口昌男、天野祐吉、多川精一、三神勲、中野菊夫、浅野隆、海老原光義、松田行正