LSDとカウンターカルチャー――ティモシー・リアリーほか『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』解説より(評者:木澤佐登志)
記事:平凡社
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『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』は1964年に出版されているが、リアリーとリチャード・アルパートはこのときすでにハーバード大学を追い出されていた。さらにその2年後の1966年には、ヒッピー・ムーブメントの震源地カリフォルニア州がLSDの製造・販売・所持を全面的に禁止する州法を発効している。
リアリーのキャリアにもLSDの未来にも暗雲が立ち込めていたが、しかし時代はそんなことお構いなしと言わんばかりにカウンターカルチャーの狂乱に雪崩れ込んでいく。翌年の1967年、ヒューマン・ビーインの壇上に登って「Turn on, Tune in, Drop out.」という高名なマントラ(=ミーム)を唱えるリアリーの姿を私たちはすでに見てきた。
1965年2月、アメリカ軍が北ベトナムに対しての大規模な爆撃(いわゆる北爆)を開始し、学生らによる反戦運動が激化(日本でベ平連が結成されたのもこの年だった)。ヒッピーやコミューン運動が各地で台頭し、ブラックパワーやフェミニズムも勃興しつつあった。カウンターカルチャーは西洋の理性中心主義の限界と傲慢さを指摘し、東洋の神秘思想やLSDによる変性意識にオルタナティブの可能性を見出そうとした。まさに『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』は、西洋合理主義と後期資本主義に囚われた世界から脱出するための格好のガイド(=レッドピル)を若者たちにもたらしたわけだ。
一方、ロックンロールはカウンターカルチャーを彩るバックグラウンド・ミュージックの役割を担った。1966年にリリースされたビートルズの「トゥモロー・ネバー・ノウズ」は、『チベット死者の書 サイケデリック・バージョン』とLSDの影響下で作曲された。同様に、ムーディー・ブルースも1968年にティモシー・リアリーを主題にした六分半のサイケデリック組曲「レジェンド・オブ・ア・マインド」をリリースしている。
こうして、ティモシー・リアリーはLSDの導師(グル)として、カウンターカルチャーの「うねり」のど真ん中に躍り出ることになった。若者たちは、LSDによって自分たちの意識だけでなく世界も変えることができると信じ、リアリーも積極的にアジテーターの役割を務めた。
1970年10月27日、ニクソン大統領は「医療用途がなく乱用の危険性が高い」とされる最も規制の厳しい薬物カテゴリー(スケジュールⅠ)にLSDを分類する米連邦法(規制物質法)に署名した。これにより、LSDの所持・使用・流通のすべてが連邦刑事罰の対象になった。
幻視者のテレンス・マッケナも述べるように、サイケデリクスが規制されたのはそれが「害のある危険な薬物」だからではない。サイケデリクスは人々の考え方や世界の見え方を変えさせる潜在的力を持つがゆえに、「知的な異議申し立ての触媒」として機能しうる。サイケデリクスは、これまで既存の秩序や体制によって「刷り込み」されてきた現実が「虚構」にすぎないことを暴き立てる。それは、「この現実だけが唯一可能な現実である」という体制が護持する「リアリズム」に風穴を開け、複数のオルタナティブな現実が可能であるかもしれないことを暴露する。
体制側は、社会変革の触媒、言い換えれば社会を「再プログラミング」するための「化学的キー」としてのサイケデリクスを「危険」なものだと見なした。医学的な意味においてではなく、「政治的」な意味において。
ニクソンは、サイケデリクスを用いる反戦学生たちを「怪しい薬物を乱用している危険な秩序壊乱者」というイメージに仕立て上げるキャンペーンを通じて、アメリカに今も根を張る「分断」の構造を生み出した。
その際のキーワードとなるのが「法と秩序」と「サイレントマジョリティ」だ。前者は、不正に対する怒りや抗議の社会運動を、「法と秩序」を侵犯する不逞な暴力犯罪や単なる秩序壊乱行為のように見せる効果を持つ。後者は、「声高な少数者」に対して「大いなる沈黙せる多数派」という対立図式をでっち上げ、前者をあたかも公序良俗や秩序を乱す手合いのように見なすよう国民を誘導する。
彼は、一国の統治者たる立場でありながら、抑圧的な体制に異論のある人々を騒がしく身勝手な秩序壊乱者の一群に見立て、内心では迷惑がる気持ちを腹に持つ人々の反感やヘイト感情を煽り立てた。そして、「声高な少数者」である秩序壊乱者の筆頭に仕立て上げられたのが、他ならぬティモシー・リアリーであったわけである。70年代、ニクソン政権下において、リアリーは公権力からマークされる存在となり、逮捕と投獄(そして時に脱獄と亡命!)を繰り返すようになっていったのだった……。
オルダス・ハクスリーへの献辞
1 総論
はじめに
W・Y・エバンス・ウェンツに捧ぐ
カール・G・ユングに捧ぐ
ラマ・アナガリカ・ゴビンダに捧ぐ
2 『チベット死者の書』
第一バルド──自我喪失あるいはゲーム不在のエクスタシーの時期(チカイ・バルド)
パート1──自我喪失の瞬間に見える原初の光明
パート2──自我喪失の直後に見られる第二の光明
第二バルド──幻覚の時期(チョエニ・バルド)
序論/第二バルドの説明/平和のヴィジョン/憤怒のヴィジョン(第二バルドの悪夢)/第二バルドの結論
第三バルド──再生の時期(シドパ・バルド)
序論/第三バルドの概要/再生のヴィジョン/すべてを決定する思考の影響/審判のヴィジョン/性的なヴィジョン/再生を防ぐ方法/セッション後のパーソナリティを選択する方法/結論
3 サイケデリック・セッションについてのいくつかの技術的な助言
このマニュアルの使用法/セッションのプラニング/ドラッグの種類と服用量/準備/セッティング/サイケデリック・ガイド/グループの構成
4 サイケデリック・セッションの最中に用いる教訓
第一バルドの教訓/第二バルドに備えるための教訓/憤怒のヴィジョンのための教訓/第三バルドに備えるための教訓/再生のための教訓/すべてを決定する思考の影響のための教訓/審判のヴィジョンのための教訓/性的ヴィジョンのための教訓/再生を防ぐための四つの方法/セッション後のパーソナリティの選択のための教訓
付録 CD『バルド・ソドル』のテキスト
原注
死生観のパラダイム・シフトに向けて 菅靖彦
平凡社ライブラリー版 訳者あとがき 菅靖彦
解説──変性意識とカウンターカルチャーの精神史 木澤佐登志