阿部大樹×斎藤真理子 「あるいはこうも生きられる」 『ヒッピーのはじまり』刊行記念対談〈前編〉
記事:作品社
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阿部 『ヒッピーのはじまり』の舞台は1966年、サンフランシスコのヘイト・アシュベリーという小さな町です。自由な雰囲気のエリアですが近くには有名なカリフォルニア大学もあり、日本でいうとちょうど下北沢のイメージですね。
60年代後半というのは、裕福な家庭の子息は徴兵されずにいて、それでいながら政府はベトナム戦争を始めて、一方の国内では公民権運動が激しくなって、そういう時代でした。そこに「ヒッピー」と呼ばれる、自由な服装をして、頭には花を挿して、金銭を介さない生活をしながら、マクロビオティックや瞑想に励む若者たちが現れた。
『ヒッピーのはじまり』に描かれるのは、どうしてそのような思想が表れてしかも根付いたか、ということですね。若者の母親世代である著者は、冷静でありながら、不平等な社会にしてしまった反省を実のところ胸に抱いている、という伏線もあります。
斎藤 ヒッピーと呼ばれる人たちが世界中にいた頃には子どもでしたので、それほど間近で目にした記憶はないんです。でも私の住んでいた新潟市の古町にもいらっしゃいました。それは1970年代中盤ぐらいでしたので、ある意味定着していたんでしょうか。ヒッピーの人たちが何を考えていたのか、何を大事にしていたのか、意外と知られていなくて、それなのになんとなく下に見られたりとか、遠巻きに扱われていた。そんな不思議な現象がありました。ヒッピーは目で知っているけど、意外と中身は知らないんです。
この本を読み出したら、ぐいぐい引き込まれてしまって。著者は1年にわたって息子ほどの年齢のヒッピーたちと濃密に交流したわけですが、その当時もう50代後半ですね。年齢は違うけれど共感し、自分の考えも変わっていった。私は61歳になったんですが、50代後半になって子どもたちの世代に感化されるというのは、相当寛容な人だなと、とてもペリーさんに興味を持ちました。自伝的な意味もあるノンフィクションとしてすごく面白く読みました。
阿部 ふと思ったんですが、斎藤さんが翻訳されている韓国文学の著者たちは、年齢でいうと30代後半くらいですか。
斎藤 そうですね、若い人が多いですね。自分より年上の方の作品は二作しか訳していません。すごく若い人は30代ですし。若者は賢いなと思いながら翻訳しています。そういう感覚は、ちょっとペリーさんに近いところがあるのかな。
阿部 翻訳をしていて自分の考え方ごと変わってしまうことはありますか? 僕がはじめて翻訳をしたのはH・S・サリヴァンの『精神病理学私記』という本で、そのとき自分はまだ精神科医になって数年だったので、個人講義を受けているような感覚でした。R・ベネディクトの『レイシズム』を訳したときも、そこから医学というよりも少しずつ文化人類学に惹かれていくようになったし……
斎藤 ちょっとそれは入り組んでいるところがあって。私が韓国に興味を持ったのは80年代なんです。独裁政権の韓国で闘っている人たちがいて、その情報が日本に入ってきていました。今私が翻訳しているのは、その人たちの下の世代の作品です。だからある意味では豊富に肉付けされた後日談を読むような感じでしょうか。
自分にダイレクトにくるというのとは違うけれども、壁に打ち当たって何かその余韻がくるような、その反響を浴びる、そういう体験ですね。ペリーさんのようにダイレクトにヒッピーの中に入るということではなくて。
斎藤 この本はすごく引き出しが多い本で、いろいろな読み方ができると思います。どの世代の人がそれぞれどんな立場にあったか、とか。4年がかりで翻訳されたそうですが、具体的にはどこに興味を惹かれていましたか?
阿部 若者のファッションとか政治思想の変わっていくところを描いているようでありながら、実のところ自分自身の変化するプロセスが書かれているところですね。だから、メジャーなものとマイナーなものが混在していて、読者に100パーセントを伝える気はないんじゃないだろうかというような、そういう大胆なところがあります。
読者全員に伝えようとするのは、ヒッピーの人たちはただ大麻を吸ってキマッてただけじゃないんだぞ、という部分、そこはきちんと伝えようとしているけれど、それ以外の自分のことについては、熱っぽく書くわりには説得的でないんです。
斎藤 それでも不思議に説得される一瞬があるんです。ヒッピーの人たちと交わる中で、自分の小さかった頃の思い出とか、怖かったこと嫌だったことのエピソードが時々不規則に挿入されてくるんですが、それがすごく説得力があるんです。
すべて説明されるのではなくて、でもヒッピーとの出会いがなければそれについて考えることがなかったかもしれないような小さい記憶。それをぽんと置くんですよね。置いてあるだけであまり説明はないんですが、でもすごく納得させられる一瞬がありました。
阿部 ちょっとした光景とか匂いをきっかけにして、小さかった頃の記憶を思い出したり、まるで小説のようです。でも見聞録でありながら自伝でもあるという二つの線を外さないように訳しました。
半世紀たって、いまアメリカでは自伝的記述をプロットに織り込んだ小説作法が目立ちますね。主人公ひとりに民族やジェンダーについての体験を代弁させることに無理があると認識されるようになってきて、著者個人の生きてきたものとしてそれを描くことが傾向としてあるように思います。群像劇か、あるいはSF以外でいま方法論として可能性があるのは、ほとんどそれだけなんじゃないかと思うくらいです。ペリーは、それに近いやり方でノンフィクションを書いていますね。
斎藤 ジャーナリストがノンフィクションを書き、その中で自分のジャーナリストとしての姿勢について一応触れておく、そういうスタンスとはまったく違いますね。本当に私的に湧き上がってくる。でもこのことをきっかけに湧き上がってきたことだから、触れないわけにいかないので書きますというような、おずおずとした書き方なんです。すごく面白い。
印象的だったのは私的所有について書かれたパートです。ヒッピーたちは所有するということを避けて、いま手元にあるならそれを必要な人と分け合うとした。腹立たしいこともあるけど、そういうシステムに身をゆだねてしまうとすごく楽でもある。
そこに子どもの頃の追想が入ってくるんですよね。彼女の家はそれなりに裕福で、クリスマスになると近所の子どもたちがお菓子をもらいに来る。家にはたくさんお菓子があるんだけど、お母さんは、それをそこそこに分ける、全部は分けない。お母さんは分配の仕方を見計らいながらあげてるんです。それが娘としてめちゃくちゃムカつくという思い出があったらしく、そのことをおずおず書いています。
これを書いた時、彼女は50代後半になっているんですよ。ヒッピーのことを書きながら、そんな自分の10歳より前の記憶がいきなりパッと出てくるんですよね。すごく胸を掴まれるような体験だったのかなと思いました。