意志の力ではどうにもならなかった人へ ――『嫌な気持ちになったら、どうする?』書評 (評者:杉田俊介)
記事:筑摩書房
記事:筑摩書房
現代生活においてはメンタルを病んでいたり、自己肯定感が低かったり、依存症的であったりすることは、当たり前でありむしろ標準的かもしれない。摂食障害や依存症について研究してきた社会学者である著者は、大学の授業で若い人々に接してきて、生きづらさや「ネガティブ」を抱えた学生が多いことに驚いたという。「若者であれ、大人であれ、ネガティブは私たちみんなの共通テーマです」。
ネガティブ(嫌な気持ち)とは一種の「妖怪」である、と著者は言う。人びとはネガティブ=妖怪に憑依され、憂鬱になり、自分を否定していく。しかもそれは他人に感染し、伝播する。ただしネガティブは「とても大事な感情」であり「なくてはならない感覚」でもある。痛みの感覚がなければ、病気や怪我を自覚できず、治療もできない。「だから、抑え込めばいいとか、見て見ぬふりをすればいいとか、やりたい放題やらせればいいとか、そういう単純な話ではないわけです」。
本書はナラティヴ・セラピーという心理療法の理論に基づいて、「問題の外在化」という技法を推奨する。心理療法では一般に、対話を通じて本人の思い込みを再構成していく。しかし本書では、医療機関や他者の助けに頼れない場合でも、一人で実践可能な技法があるという。
問題の外在化とは、何らかの心身の「生きづらさ」や症状が出たときに、その原因は自分にあると見なす自己責任化とは正反対のアプローチである。ただしそれは、原因はすべて他者や外界にある、とする他者責任化(他責化)とも異なる。過度な他責化はかえってネガティブな感情をこじらせかねない。そうではなく、問題の原因をひとまず自分から切り離し、客観化し、ある程度の距離と余裕をもって眺められるようにするのだ。
外在化された問題=症状は、様々なタイプの「妖怪」としてイメージ化され、キャラクター化されうる。著者は実際に、本書の記述の中で「小人」や「スッポン」などの外在化を頻繁に実践していく。アニメの『妖怪ウォッチ』を参照し、これまでに観察してきた数々の妖怪たちを列挙するページは圧巻である。北海道浦河町の「べてるの家」の精神疾患当事者たちが、自らの妄想をキャラクターのように外在化しユーモア化していたことなども思い出される。
重要なのは、妖怪=症状とは根本的に、本人の「意志の力」では支配も統御もできないものであることだ。それはたんなる主体でも客体でもない。症状=妖怪に対しては、私たちはいわゆる中動態的な位置に置かれ、自分がはたして能動的に振る舞っているのか受動的に動かされているだけなのか、決定不能な宙吊り状態になるのである。
ここには、とにかく行動や感情は「意志の力」によって統御すべきだ、それこそが自立的な人間だ、という人間観とは決定的に異質な人間観がある。人間観のこうした転換は、現代人にとって重大な解放を、「脱力」的な自由のヒントを与えてくれるだろう。
さらに本書は同時に、魅力的な世界認識の可能性をも示唆してくれる。つまり、誰もが何らかの妖怪や幽霊に憑依されているような世界観。それはどこかアニミズム的(もしくはトーテミズム的)であり、民俗学的な世界にも通じるだろう。不気味な何かに取りつかれ、困ったり途方にくれたりしながらも、それらを飼い慣らしたり、共存を試みたりして、なんとかかんとか楽しく生きていくこと――。
そして本書の特徴は、とことん実践的で具体的に役立つことだ。たとえば他人に相談したものの、余計につらい思いをし、後悔する……という事態に対しても、「相談上手」「相談され上手」になるための方法が提示される。摂食障害や依存症の人々の人間観が、むしろ「世の光」になりうるのではないか。意志の力で全てを支配したがる世界よりも、それはずっと柔軟で豊饒な、しんじつユニークな(特異的で面白い)世界であるように感じる。