高市早苗政権下の日本で、本を読んで考えること――斎藤美奈子×紙屋高雪対談
記事:筑摩書房
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質問「左翼アイデンティティの形成過程と、現在の日本共産党について」(斎藤→紙屋)
斎藤:私が大学生だった70年代後半は、もうマル経・近経という分類は無くなっていましたけど、私は経済学部の日本近代経済史の専攻だったので、それでもマルクスの初歩的な、党宣言(「共産党宣言」)とかチンシ(「賃労働と資本」)、ドイデ(ドイツ・イデオロギー)、ケイテツソウコウ(『経済学・哲学草稿』)、ぐらいは読まなきゃいけないんじゃないかなという感じはありました。でもそれは私の世代でギリギリ。紙屋さんはそれから十何年もたって大学生活を送っていて、この左翼アイデンティティはどのようにはぐくまれたのか。そこに興味があります。それと今の共産党ね。松竹伸幸さんとともに紙屋さんが追放されたという衝撃的な事実がご著書には出てくるのですが、そのような共産党について今後どのようになっていてほしいのかを伺いたいと思います。
紙屋:簡単に言いますけど、まずは高校の校則。これおかしいんじゃないか、というところから民主主義や政治に興味を持ったんです。あと高校生の時に『国家と革命』を読んで、私は、マルクス主義ってすごくリアリティがあることを言うんだな、と思ったんです。
政治は金持ちのためのものでしょ、お前らが目の前で見ている民主主義ってあれ全部嘘だから、金持ちのために適当なことを言っているのが議会ってもんだから、とか。そういうふうにして読むと、すごくリアリティあるじゃん、と。
斎藤:校則問題から急にレーニンの『国家と革命』に行くんだ! そして共産党というか民青に入られたわけですよね。大丈夫ですか? それ。(笑)
紙屋:『現代用語の基礎知識』を見たんですよ。そこで「民青」とか「共産党」とか調べて、あ、面白そうなことやってるじゃん、と思って、それで入ったんです。政治にもの言いたい、世の中にもの言いたい、というのがあったので。ふつうはそういうふうにならないですかね。
斎藤:もちろん私も政治に興味がなかったわけじゃないけど、ただ80年代後半というのは、86年にチェルノブイリの原発事故があって、ペレストロイカの時代に入り、東欧の動乱から東西冷戦時代の終焉に向かっていく時代でしょ。マルクス主義というのは旗色が悪かったわけですよ。私はわりと左翼アイデンティティに毒されていたので、革命を否定してはいけないんじゃないかと、どこかで思っていたわけ。なんだけどソ連の現状と崩壊する過程とか過去のスターリニズムとか考えると、これじゃやばいでしょ、と。
左翼アイデンティティが大きく揺らいでいくわけですよ、80年代に。そのときにですよ。『国家と革命』を読んでって(笑)『国家と革命』ってロシア十月革命のマニフェストですからね。それ、すごく特異な思考パターンではありません?
紙屋:でも、それには二つあって。さっき言ったように現状批判なんですよ。そのとき日本は、自民党と社会党が中心にある。私からすると、この2党は言ってることがすごい嘘くさいなとずっと思っていたんです。学校の教師も、自由と民主主義の話をするけど、そんなの噓でしょ、建前でしょというのがすごく強かった。だけど、『国家と革命』を読むと、いやあもうそんなの建前に決まってるじゃん、なに言ってんの、と。そういうリアリティの本として私は読んだんです。
もう一つは、しかもそれがすごく体系的なんですよ。体系的に世界を説明することができている。世界ってこうなってますよ、ということが統一的にわかるというのが、魅力的なんですね、すごく。
斎藤:ああ、それはわかります。『正典(カノン)で殴る読書術』の帯で、「今読む価値がある?」に斎藤が「あります」と答えてますが、『国家と革命』をいきなり読むのはむずかしいかもしれないけれど、やっぱり左翼的教養は基本じゃないですか。資本家と労働者という階級があるんだとか、労働力は商品であるとか、使用価値と交換価値は別だとか。本を読むまでもないような基本的なレベルの知識を、私は大学1年生ぐらいに学ぶというか知ったんですね。そういうことを基礎知識として持っているのと持っていないのとでは、そのあとの生き方がすごく違ってくる。そうか資本家と労働者という階級があって資本家が労働者を搾取してるんだ、ということを知っているかいないかで、全然世の中の見え方が違いますよね。中学生レベルの知識だとしても、そこに触れないとそのまま行って社会に出て、ブラック企業がどうだとかサービス残業がどうだとかいう話になるじゃないですか。それは構造の問題だから、ということをどこかで知ってほしいですよね。
紙屋:そうですね。そのあとマルクスから離れていっていいんです。でもいったんは、そういう言説に触れてほしい。
斎藤:その、触れる機会というのはどこにあるとお思いですか。紙屋さんの本を読めばいいというのもあるでしょうが。
紙屋:いやいや、私がそもそもそういうものに触れたのは、「現代社会」という教科があって、今は「公共」かな、その教科書にマルクスの説明が載っていたんですよ。それがそもそものベースで、けっこういいこと言ってんじゃん、と。
斎藤:そうかあ。まじめに勉強してると、とっかかりがちゃんと出てくるわけですね。すごいな、それ。……私が育ったのは赤旗をとっているような家だったので、両親はことこまかには何も言いませんでしたが、何となく選挙のたびに自民党負けろとは思っていた。そういう雰囲気の中にいたんですが、ご家族の影響とかはないんですか?
紙屋:いや、ぜんぜん。うちは保守的な家で保守系の地方議員なんかやったおじいさんがいる、みたいな感じでした。でも高校の授業や先生の影響を受けた、ということはみなさんもあるんじゃないですか。どうですか、そういう方、この中にいたら手を挙げてください。
(数人が、手を挙げる)
紙屋:少しはいらっしゃいますね。じつは私、中学生の時ナチやヒトラーがいいと思っていた人間なんです(笑)。高校でそれを言ったら、無茶苦茶批判されたんですね、教師とかに。そうするとやっぱり自分がおかしいのかな、と思ったりして、左翼的な環境のベースや雰囲気が社会や学校にまだ十分あったからだと思います。
斎藤:なるほど。では次の共産党問題ですが。
紙屋:共産党にはまだ可能性があると思うので戻りたいと思っています。戻って立て直しをしたい。でも今行われているのは相当ひどい異論排除なので、それは直さないと、組織としてはやばいなと思っています。なので基本的には古民家をリノベーションするつもりで戻りたい。
斎藤:共産党への愛が強い。
紙屋:いや、すごい資産があるんですよ。だって裏金の追及とか。
斎藤:赤旗のスクープですものね。桜を見る会とかも。
紙屋:私がにわかに新党を旗揚げしたってあんなのできませんから。一朝一夕でできるものではないのでリノベして使ったほうが絶対いいと思います。
質問「ほんとうに絶望していないですか?」(紙屋→斎藤)
紙屋:本のあとがきに、絶望している暇なんかないから絶望していない、と書かれていますが、本当にそうですか、気持ち的には絶望していませんか、という、ちょっと意地悪な質問なんですが。
斎藤:してないですよ。……私は1回、もう絶望してるんで。2012年12月に民主党政権が倒れて第二次安倍政権ができたときに。あそこまでひどくなるとは思っていなかったですよ、その時点では。長期政権になって、特定秘密保護法を成立させるとか解釈改憲をやるとか。でも、絶望しました。というのは、2007年の第一次安倍政権で、教育基本法の改定とかのひどいことをやってくれたと思っていたので、その再来は勘弁してくれと思って。その次に2016年の都知事選で、(左派リベラル陣営が宇都宮健児さんを下ろして鳥越俊太郎さんを統一候補として担ぎ出したときに)絶望というか落胆したんです。その2回があるので、そのときを境に、絶望するのはやめたの(笑)。
だって考えてもみてよ、たとえば今、高市政権の支持率8割ですよ。8割の彼らは絶望していないでしょ。残りの2割が絶望してたら負けるって。
絶望しすぎ、みんな(笑)。たとえば最初にトランプ政権ができたとき、私のところに来るふつうの用事のメールでも、「絶望しています」とか書いてあるわけ。「トランプ政権が成立して私たちはどうなってしまうのでしょうか。ところで先日の件ですが……」みたいな。あんまりみんなが絶望絶望言っているから、だんだん苦笑モードになってきたんだけれど、そのあと何度もそういうことがあるわけね。この間の高市政権成立の時も、みんな「死にたい気持です」とか書いてくる。
紙屋:ちょっと見方を変えると、今回、自民党は引き続き少数与党になったわけですよね。そして参政党や国民民主の票が伸びた理由のうちに、手取りを増やしてほしい、苦しい生活をなんとかしてほしい、ということが噴出したということがある。そこに積極的な要素はありませんか。俺たちの生活を何とかしてくれよ、という声がそういう事態につながっているわけで。排外主義や大軍拡は一致しないけれど、消費税減税や企業・団体献金の禁止で一致できるから、そこに限定した暫定政権なら組める。そうすれば少しでも社会を前に進められると思うんです。ひどい相手だから全否定するという対応や見方をしない。安倍政権の時だって、不十分ではあるけれど保育の無償化とかそれなりにやったりしていたし。
斎藤:紙屋さんの本にも、安倍政権といえども働き方改革とかいろいろいいこともやったんだと書かれていましたよね。ああいうのって意外と大事で、彼は意外とリベラルな政策もやっていたんですよ。まあ安倍だろうと誰だろうと、LGBT理解増進法とか先住民族としてのアイヌ施策推進法とか、多様性を重んじる世界の流れがあるからそれに逆らうことはむずかしいわけですが。おっしゃるように、参政党や国民民主に支持が集まったのも生活支援型の政策が入っていたことが大きい。つまりね、私も含めてなんですけど、みんな評価が雑なんですよ。オール・オア・ナッシングみたいなことを言うわけ。
これから、日本はもっとひどくなりますよ。『絶望はしてません』は、テーマを決めて3冊ずつ本を読んでそれについて論じる連載をまとめたものなんですけど、連載はまだやっていて、最新は高市本です。それを読むと、安全保障政策とかの面で日本はもっとひどいことになるな、と確信できる。だけど、高市さんを嫌いすぎてミソジニーに堕ちないことが大事。トランプの横にくっついて媚を売ってとか、そんなのたいした問題じゃない。媚を売って権力に取り入るに決まってるじゃないですか、男だろうが女だろうが。そこに「女だから」をくっつけてはだめです。本を読む限り、彼女は真面目な頑張り屋さんですよ。真面目に勉強して、保守陣営の中で正攻法で勝ちあがってきた人です。しかし、それと政策は別で、ちゃんと一つ一つ分析的な目で監視していかないとヤバいですね。
紙屋:分析的に。
斎藤:あるいは、個別に。女性で初の総理大臣、どう思いますか、と会う人会う人に言われて、だからなるべく人に会わないようにしていたんですけど(笑)。それもざっくりとした印象論でしょ。初の女性総理の誕生それ自体のプラス効果はあると思いますよ、組織の中での女性リーダーの登用は進むでしょうから。だけど、それはそれだけのことです。これからリベラル側がちゃんと立ち向かって抵抗していくためにも、絶望は不要。
紙屋:つまり、高市さんというダメな奴が首相になったからすべてダメでもう絶望するしかないんだ、というマインドセットは解いてください、ということですね。
斎藤:そうです、そうです。もう、高市だから終わりよ、とか簡単に言うでしょ。でも彼女の若い頃のこととか、みんな知ってる? 知らないでしょ。でもさ、本を読めばある程度はわかるわけ。その上で議論しようよ、と。私も含めて、全体だけを見て、もう終わりだお先真っ暗だとか言うんだけれど、一つ一つを個別に見ていくと、絶望マインドは解けますよ。
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第1章 科学的社会主義の古典
第2章 日本共産党の独自文献
第3章 小説・教養書