アーミッシュの「すべて」がわかる――異次元の西洋史
記事:明石書店
記事:明石書店
北米に住むアーミッシュのことは、現代文明に同調せず田園地帯で暮らす不思議な集団として日本でも比較的よく知られている。たしかに彼らは不思議な印象を与える人たちで、聖書の教えを独特の仕方で守るプロテスタント系の集団として異彩を放っている。彼らはもともと17世紀末に現在のスイスとフランス東部で生まれて各地に散ったグループであり、現在の信徒数は約40万人である。このグループの母体は「再洗礼派」であり、それ自体は16世紀前半にスイスのチューリヒで出現し、当時の教会と為政者が求める幼児洗礼を行わず、聖書の教えに従って自覚的な信仰をもつ成人だけに洗礼を施してきた。
アーミッシュの男性は前時代的な黒い上着とズボンを着用し、麦わらか黒いフェルトの帽子をかぶり、長いあごひげを生やしている。女性は質素な単色のドレスと白か黒のキャップないしボンネットを身につけている。彼らの集住地(アーミッシュ・カントリー)はペンシルヴァニア州、オハイオ州、インディアナ州などにある。彼らは現在も馬車をおもな移動手段としているため、ツーリストたちの好奇のまなざしにさらされている。アメリカ人のなかには、アーミッシュは古き良き時代の生活と文化を伝える人たちだと感じ、ノスタルジーをおぼえる人たちもいる。たしかにアーミッシュ・カントリーの暮らしは、ローラ・インガルス・ワイルダーが20世紀前半に『大草原の小さな家』で描いた世界と似ている。しかしアーミッシュはアメリカ人の古い価値観を守ろうとしているわけではない。
そもそもアーミッシュは18世紀前半以降にヨーロッパを去ったスイス系・ドイツ系の移民集団である。彼らは英語も話すが、礼拝はドイツ語で行う。教会堂は建てず、信徒たちが交替で礼拝場所を提供する。アーミッシュは熱心な信仰者であり、彼らが「俗世」と呼ぶ外部の世界との距離を保とうとする。かつて彼らは主流派のカトリック教会やプロテスタント教会の権威を認めなかったせいで厳しい弾圧を受け、処刑や追放の憂き目にあい、一般社会からの分離と遠隔地への亡命・移住によって生きのびてきたのである。この生き方は、「あなたがたはこの世のものではない」というキリストの教え(ヨハネによる福音書)の実践でもあった。彼らの特異な服装には「俗世」の人たちとの違いを可視化する機能がある。彼らの自己像は、特定の国家領域の周縁で暮らしながら帰属意識をもたない「寄留者」であり、「神の国」をめざす「旅人」である。
アーミッシュはナショナリズムとは縁遠い存在であり、国家の命令で兵役に就くことを忌避してきた。聖書には「剣をとる者はみな、剣で滅びる」と書いてある(マタイによる福音書)。「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ」とも記されている(同書)。聖書の教えに忠実なアーミッシュにとっては、戦争も死刑も銃の所持も是認できない。世界中の多くの人たちは「正しい戦争」を認めているが、アーミッシュはこれとは正反対の信念をもち、公権力による逮捕・投獄、周辺住民によるリンチを受けてきた。彼らは「信仰の自由」と「兵役からの自由」を求めて北米の地に逃れてきたが、けっきょくは独立戦争、南北戦争、そして第1次世界大戦の時期に従軍を求められ、これを拒むと監獄に入れられ、虐待を受けた。この国で良心的兵役拒否(CO)の権利が認められ、代替役務の制度が整えられたのは、第2次世界大戦期である。
いまの米国では徴兵は行われていないが、法律的には復活可能である。アーミッシュの多くは、ある国で徴兵が始まったら別の国に逃れるか、代替役務を求め、政府の担当官に対し、自分たちは過酷な役務のなかで死んでもかまわないと告げる。彼らは筋金入りの非暴力主義者なのである。
ノルト氏はペンシルヴァニア州にあるエリザベスタウン大学のギャレン・ヤング再洗礼派・敬虔派研究センターに勤務する歴史学の教授であり、現在そのセンター長を務めている。本書にも頻出する同州ランカスター郡が彼の故郷であり、アーミッシュの隣人たちに囲まれて育ったという。彼は長年にわたって各地のアーミッシュ定住地の誕生と成長、それらにおける内部対立と分裂、テクノロジーの受容と拒絶、兵役・公教育・社会保障をめぐるコンフリクトに関する研究に取り組み、多数の業績を残している。北米でアーミッシュのことがメディアで話題になると、必ずといってよいほど、この分野の第一人者としてノルト氏にコメントが求められている。
訳者がはじめてノルト氏に会ったのは2011年の秋、彼がインディアナ州のゴーシェン大学に勤務していたころであり、それ以後さまざまな助言や資料提供を受けるようになった。本書の翻訳に関して相談したのは、訳者がエリザベスタウン大学を訪問した2023年の夏のことである。じつはノルト氏は来日経験のある知日派である。アメリカ的な個人主義を受け入れないアーミッシュの共同体的な文化には東アジアの儒教文化に近い面があるとノルト氏は述べているが、その主張にはうなずける面がある。
本書はアーミッシュのすべてがわかる「全史」だが、その記述の特徴はアーミッシュが巻き込まれた政治問題や社会問題について深く考察し、そのことによって近代国家の強制装置である軍隊や警察、裁判所、各種の行政機関がどのような力を一般市民に対して行使し、国民的統合を推進してきたか、その暗部を含めて照射していることにある。本書はその点で政治史であり社会史でもある。その筆致は淡々としており、どちらかといえば硬質である。自然に囲まれたアーミッシュの美しい暮らし、素朴だが豊かな食卓、家族愛や友情などの話題はほとんど出てこないから、類書と同じようにそうした内容を期待する読者にはものたりないかもしれない。しかし、だからこそ本書は新たな発見の可能性を秘めている。
この本を訳した2025年は再洗礼派の運動が始まって500年目にあたる。こんな昔の歴史は現代人には無縁だと感じる人もいるだろう。しかしこの年のチューリヒでは記念行事や研究集会が開かれ、世界中から数千人の参加者を集めた。「戦争と平和と宗教」を扱うワークショップもあった。アーミッシュを含む再洗礼派の歴史は現代的課題と深くかかわっている。北米のアーミッシュたちはいま、戦争を拒んで田園に暮らすだけでなくボランティアとして食料品や医療品を箱に詰め、戦火のやまない中東や東欧に送る活動を続けている。本書をひもとく読者は、アーミッシュに関する歴史的研究には今日的意義があることを知るだろう。