澁澤龍彥、種村季弘、山尾悠子……舞台裏からみた幻想文学の黄金時代 ――礒崎純一『幻想文学怪人偉人列伝』より
記事:筑摩書房
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1
第五十回という記念すべき年の泉鏡花文学賞の授賞式に参列するため、二〇二二年の晩秋、金沢の地を再訪した。
授賞式の後に用意されたシンポジウムのなかでとりわけ私にとって印象深かったのは、鏡花賞の特色をめぐる議題の際に聞いたひと言だった。「芥川賞や直木賞とは違った色合い」「妖しい作品」という発言を受けるかたちでお一人のパネリストの方から出た言葉で、それは「鏡花賞にはどこかで澁澤龍彥の美学が流れている」というものだった。
澁澤龍彥は『唐草物語』で一九八一年に第九回の鏡花賞を受賞している。これは文学賞などとはまったくの無縁だった澁澤が、生前唯一受けた賞となった。当時の選考委員の一人で、浪人時代からの澁澤を知る吉行淳之介は、澁澤が授賞を断るのではないかとたいそう心配したそうだが、澁澤は、「ノーベル賞だったら辞退したが、好きな泉鏡花の賞なら喜んでいただく」と言って、鏡花ファンの大喝采を浴びたことは有名な話である。初回から選考委員をつとめている五木寛之は、「鏡花賞は澁澤さんが受賞してくださった賞として名を残す」と発言した。
だが、澁澤と鏡花賞の現実上の接点となれば、このたった一度だけである。たとえば賞の設立や発展に澁澤の尽力があずかっていたなどという事実はもとよりまったくないわけだし、ご当地金沢と澁澤の接点を探しても、せいぜい、関東に生まれ育った父親がなぜだか旧制四高の出だったというくらいのことしか見つからない。
しかしながら、歴代の鏡花賞受賞者には、たしかに澁澤と関係のある作家が異様とも思えるほどに多い。第二回の中井英夫にはじまり、森茉莉、高橋たか子、唐十郎、倉橋由美子、日影丈吉、種村季弘、野坂昭如、横尾忠則、それに二〇二二年のときの選考委員でもあった金井美恵子、村松友視、嵐山光三郎……これらの受賞者はみんな、根が出不精だから実は交友が広かったとは決していえない澁澤龍彥が、生前に浅くないつきあいをもった文学者たちである。
それに、主要な文学活動が澁澤の歿後に始まり、生身の澁澤龍彥とはなんら接点がなかった世代の近年の受賞者をみても同じようなことがいえる。みずからを「シブサワ・チルドレン」とする山尾悠子さんをはじめ、長野まゆみさん、京極夏彦さん、川上弘美さん、そしてそのときの受賞者の大濱普美子さん(実父は澁澤が鍾愛したマルセル・シュオッブの翻訳者である仏文学者)にいたるまで、澁澤龍彥の文学的系譜に連なると称していいような鏡花賞のこの流れは、いっこうに涸れることがないようだ。
澁澤龍彥の泉鏡花復権に寄せる功績となれば、死の少し前だった三島由紀夫との対談をはじめ、みずからが編んだアンソロジー『暗黒のメルヘン』への鏡花の小傑作『龍潭譚』の収録、『思考の紋章学』の冒頭作「ランプの廻転」における『草迷宮』の称揚などがあげられる。こうした決して派手ではない澁澤の言動が、時代遅れの古びた小説家というそれまでの鏡花に対する見方を、日本近代随一の幻想作家という方向へと、ひそかに、大きく変えていった。
私自身も澁澤の小さな水先案内によって鏡花文学の迷宮へ参入したくちだけれども、私の同世代のひとたちに鏡花の読書体験について聞くと、異口同音に『暗黒のメルヘン』の書名が出てくる。
それにまた、澁澤歿後の一九九〇年代に相次いで出た特色豊かな三つの鏡花選集――《鏡花コレクション》(国書刊行会)、《鏡花幻想譚》(河出書房新社)、《泉鏡花集成》(ちくま文庫)のそれぞれの編者である須永朝彦、桑原茂夫、種村季弘の三人が、これまた揃いもそろって澁澤ときわめて縁の深い人たちであったことも、なにやら見過ごしにはできない事実に思える。
それにしても、いつものことだが、ご本尊の澁澤本人はたいして動いてはいない。そもそもが、「澁澤組」やら「澁澤サークル」やらと世間から称されることもあるものの、澁澤自身は親分風を吹かせるなど大嫌いな性分なのである。いま述べた鏡花のケースだって、澁澤が鏡花論の大冊を書き上げるとか、大々的に叢書や研究会を立ち上げるとかの、大仕事をしたわけでは少しもない。なのに、磊落で晴朗なその存在が、透明な不思議なひとつの磁場となって、数多くの人と事象が澁澤龍彥を通して鏡花世界へと引き寄せられていった。
私にはどうもそんな気がしてならない。
2
私が澁澤さんに初めて会ったのは、編集者になりたての一九八三年の秋ぐちである。
このときは一人で行ったわけではなく、会社の上司だったMさんがいっしょだった。Mさんはその頃企画を進めていた《バルトルシャイティス著作集》のことで、私の方は翌年から刊行予定の《フランス世紀末文学叢書》の件で相談に行った。Mさんは二度目の訪問で、一度目のときはバルトルシャイティスの企画の立案者だった高山宏さんがいっしょだったという。
その日は午後の四時頃に北鎌倉の明月院近くのご自宅に伺ったのだが、昼夜が逆転していることの多い澁澤さんはまだ起きて間もなかったようで、パジャマ姿で出てきた。想像以上に小柄な人だった。高校生の頃から、神さまのように大きな存在だった人だけに、その実物の小ささに驚いたわけである。ソファになんだかだらりと腰掛けて、こちらの方はあまり見ずに、ふしぎにかん高いハスキーな声で、一問一答みたいに喋る。
想像していた以上に磊落そのものという感じの人柄で、私がそれまで仕事で接することの多かった大学の先生たちとは、そうとうに違った肌合いを感じた。
奥様がお茶をもって現れた。こちらはまだ大学を出たばかりの二十四歳だったが、龍子さんもそのときはまだ四十代前半だったはずだ。その龍子さんと少し話をかわすと、なんと鎌倉の同じ小学校を出ていることがわかり、お互いにびっくり仰天した。
私の実家は、澁澤邸から歩いても二十分ほどのところで、いわばご近所みたいなものだったのである。だから、ご自宅に上がったのは無論その時が初めてだが、高校生の頃から場所は知っていて、こっそりなんどか近くまで住み家を窺いに来ていたこともあったのである。
そうとう緊張していたのでそのときに何をほかに話したか、あまり記憶にない。ただ、先に名前を出した学魔・高山宏さんが、まだ目黒にあった都立大の教員室でお目にかかったときに「あー、君も澁澤のファンなの。ぼくは毎月北鎌倉の家に行っているから、今度連れてってあげるよ」とおっしゃっていたので、「高山宏さんはそんなによくお見えなんですか」と訊いたところ、「高山くんは何年か前に一度来ただけだよ」という澁澤さんのご返事だったことはよく覚えている。
じつはこの日をいま思い返すと苦しいことがある。二時間ほどお邪魔していろんな話をしていたら、澁澤さんが急にソファに横になり、「どうも最近、こう急に気分が悪くなることがあってね。こうしてしばらく横になっていれば大丈夫なんだけど」と言った。それじゃ、おつらいでしょうから、そろそろいい時間なのでわれわれは失礼しますと挨拶して、Mさんと二人でそそくさと帰路についた。
興奮のさめやらぬ私は、Mさんとそのあと大船駅の近くの飲み屋でグラスをかたむけることになったのだけれど、いま考えれば、ひそかにこの頃から、四年ののちには澁澤さんの命を奪う病魔がすでに蠢(うごめ)いていたのだろう。
3
『龍彥親王航海記』の執筆時にはいろいろな記録や回想を漁ることになったが、人間の記憶のもつ曖昧さや不正確さをたびたび見いだした。そればかりではない。自分自身のもつ記憶のいい加減さにも直面した。
澁澤さんは最晩年に、英文学者の富士川義之さんを自宅に招いている。この招待はもともと澁澤さんが言い出したものだった。私の知るかぎり、澁澤さんがその頃いちばん評価していた若い書き手は池内紀さんと富士川義之さんで、その富士川さんと私が親しいことを知った澁澤さんが、家も近くだし、ぜひお話ししたいから一度連れて来てくれと言ったのだった。
その富士川さんの評論集『幻想の風景庭園』が沖積舎から出た際、ちょっとばかり編集の手伝いをした私も付録の栞(しおり)に一文を寄せることになった。寄稿者は四人で、私以外は、ドナルド・キーン氏と池内紀さん、それに澁澤さんというたいへん豪華なメンバーだった。
ある日、澁澤邸に行くと、澁澤さんは私にむかって、「やあ、いっしょに書いていたね」と言った。私はその文のなかで、澁澤文学についてもふれていたので、えらくどぎまぎして真っ赤になり、すぐさま話題を別のところに逸らした。それでも、「そう言ってくれたのは、澁澤さんも、私の文がまんざら不愉快ではなかったのだ」と考えて、ひどく嬉しい思いをした。
……というこの記憶は、これで終われば私にとって、小さいけれどたいそう美しき思い出であったわけだが、伝記執筆の際にあらためて日付をいろいろ調べると、どうも事実関係がヘンなのである。富士川さんの本が出たのは一九八六年九月だ。となると、澁澤さんはすでに病院に入っていて声を失っている。そんなことを言われるのは、ありうるはずがない。
よくよく考えてみたら、「いっしょに書いていたね」という私の記憶のなかの言葉は、当時叢書《バベルの図書館》のカフカの翻訳のことでお目にかかる機会が多かった池内紀さんに言われたのである。時を経るうちに、それを澁澤さんに言われたのだと、勝手に記憶を改竄(かいざん)していたのだ。
池内さんには誠に申し訳ない話で、いずれそのことをお話ししようと思っていたら、池内さんも拙書が刊行されるひと月ほど前にお亡くなりになり、私はお詫びもできなくなってしまった。
4
澁澤さんの記憶力は有名で、神風号の飛行記録を秒単位まで正確に憶えていたとか、軍歌はどんな長いのでも間違えることなく全部すらすら歌えたとか、いろいろなエピソードが伝えられている。
私はさすがに澁澤さんの軍歌は聞いたことがないし、それどころか、お目にかかっていたときは澁澤さんも五十も後半のお歳だったから、ごく人並みに固有名詞が口から出てこない場面もみた。
フランス文学のコント・ファンタスティックの系譜について話をしていた。二十世紀ではアポリネールがやっぱりいいね、なんか軽々と書いているところがいいんだ、と澁澤さんは言う。そのあとに、コント・ファンタスティックの源流を辿るとやはり……、という話のところで、ほらほらアイツだ、えーなんだっけ、と澁澤さんは名前が出てこない。
澁澤さんは、さっと隣室の書斎に行って、平出隆さんが書いていたように「ムササビのごとく」書棚に飛びつき、本を一冊抜き出して、書斎からうれしそうに怒鳴った。
「そうそう、ノディエだ! ノディエ!」
5
さきに澁澤さんとの美しい「誤記憶」について書いたが、もちろんほんとうの美しい記憶もある。というか、澁澤さんをめぐる記憶は、周りにいた多くの人もたぶんそうだったように、ほとんどが幸福な記憶である。
酔っぱらった澁澤さんが、うさぎのウチャを膝に抱きながら、「うさぎはバカだからいいんだよな」と言った場面は澁澤伝に書いたから繰り返さないが、ある日、頼んである原稿の確認に自宅から電話をしたら、「もうできてるから、いいときに取りに来てくれ」という返事で、夜の八時は回っていたけれど「それじゃ、これからでもいいですか?」と訊いた。「いいよ」ということだったので、バイクにとび乗って(といっても原付バイクである)原稿をもらいに行った。これなら、鎌倉の小さなトンネルをふたつ通っていけば、家から十分とかからないのである。
澁澤さんはもともと昼過ぎてからの起床が多いから、むしろ夜の方がいろいろ元気なのだろう。北鎌倉のお宅に着いて悪魔の仮面がついた玄関扉の横のベルを押すと、出て来た澁澤さんは、「いま、ちょうど君の話をしていたんだよ」と言って龍子夫人とにこにこしていた。
その日は、いろいろな本の話が出てとても印象深い夜だった。そもそも、澁澤さんはめんどうな話題など出さないから、いつだって、二人で話すことといえば文学論なんかではなくて本の話だった。
「澁澤龍彥との親近性を思わずにはいられない」と出口裕弘さんが書いたマルセル・シュオッブについて、どの作品がいちばん好きかと訊いたところ、「やっぱり『架空の伝記』だよ。それと『二重の心』と『黄金仮面の王』のいくつかの短篇だね」という返事で、抒情的な『モネルの書』や『少年十字軍』ではなく、山尾悠子さんが「塩の結晶のような」と形容した『架空の伝記』がイチオシだった。
同じ世紀末フランスの作家ピエール・ルイスについて、ちょうど生田耕作訳の『女と人形』が出たところで、あれはもう読んだかいという話になり、「前に江口清訳で読みましたが、あんまり面白くなかった」と答えると、「やっぱりそうだよね、ピエール・ルイスは『アフロディテ』と、それに『ポーゾール王の冒険』がやっぱりいいね」と澁澤さんは言った。澁澤さんはこの一種のユートピア小説でもある『ポーゾール王の冒険』がたいそう好きだったようで、未刊に終わった《澁澤龍彥世界文学全集》でも、この作品を選出している。
ポーの『アーサー・ゴードン・ピムの冒険』に話が及び、あの長いのは読んだかと聞かれたので、大昔読んだが読むのがなかなか大変だったと言うと、澁澤さんも同感だったようで、「やっぱりそうか、バシュラールなんかはあれがポーの最高傑作だとか言っているんだけどね」とのお言葉。
「ヴァレリーなんて、若い頃はつまんなかったけれど、いま読むとひどく面白いね」とも、澁澤さんは言った。
まだ翻訳が出ていないもので、ぜひ出すべきだという本の話題になると、澁澤さんはまっさきにマリオ・プラーツの『ロマンティック・アゴニー』とマリ・ボナパルトのポーの本をあげた。ミシェル・カルージュの『独身者の機械』はどうかきいたところ、「あの本は、独身者の機械というテーマはとてもいいけど、読んでもそうは面白くは無い」という返事だったのは少々意外な思いがした。
こうしたひどく単純な書物談義のくさぐさが、私の記憶の中にいまでもあるが、この夜のいちばんの話題の主役は、なんといってもボルヘスだった。澁澤さんは、ボルヘスは短篇ももちろんいいけど、『続審問』なんかの評論が素晴らしい。読むと目から鱗が落ちる。とくにワイルドを十八世紀の人だと喝破するあのワイルド論なんかほんとうに目から鱗が落ちる思いがした、と語っていた。
澁澤さんはのちに、ボルヘスの追悼文で、「ボルヘスを読む楽しさのひとつは、ボルヘスとともに古今東西の文学作品を読むという楽しさである」という名言を吐いている。これはそのままそっくり、澁澤龍彥についてもいえることだと思う。
澁澤龍彥の巻
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橋本治の巻
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