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「非暴力主義の誕生」書評 現代人へ問う無名の人々の行為

評者: 中澤達哉 / 朝⽇新聞掲載:2025年04月26日
非暴力主義の誕生──武器を捨てた宗教改革 (岩波新書 新赤版 2049) 著者:踊 共二 出版社:岩波書店 ジャンル:人文・思想

ISBN: 9784004320494
発売⽇: 2025/01/20
サイズ: 1×17.3cm/240p

「非暴力主義の誕生」 [著]踊共二

 「非暴力」といえば、世界史を少しでもかじったことがある人なら、真っ先にガンジーを思い出すだろう。あるいは、公民権運動のキング牧師かもしれない。前者は、イギリス帝国主義に対抗する際に、あえてインドの人びとの「非暴力・不服従」を唱えた。後者は、アメリカ社会の白人支配に対して、黒人の権利を守る観点から「非暴力」的抵抗を主張した。だが、本書のまなざしはこうしたヒーローたちには向けられていない。非暴力に徹したほぼ無名に近い人びとにこそ目を向け、歴史の闇の中から拾い上げようとするのだ。
 時は遡(さかのぼ)ること近世。舞台は宗教改革の嵐が吹き荒れる欧州。暴力に彩られた時代は20~21世紀だけではない。近世の宗教改革期にも殺戮(さつりく)行為は横行し、極めて多くの人命が失われた。こんな時代に、いっさいの暴力を拒んだ「再洗礼派」と呼ばれるプロテスタントがいた。17世紀後半の史料によれば、同派の信徒たちは、迫害に対していっさい反撃せず、逮捕され、拷問(ごうもん)され、斬首され、焼かれるがままだった。さらに、同派を迫害に追いやった為政者に対して「赦(ゆる)し」まで口にし、むしろ祈りを捧げたのだという。
 再洗礼派の行動がどこか常軌を逸したものに見えてしまうのは、私だけではないだろう。同派の行為は聖書に忠実だったことの証しだが、それ以上に本書はこの非暴力主義が現代に与えた影響を重視する。欧米の良心的兵役拒否制度は、同派の非暴力主義なくして誕生しなかった。戦後、日米交流を米国側から先導したのも、同派だった。
 私たちは反戦を唱えるだけでなく、再洗礼派のように、あらゆる形式の戦争協力を本当に拒否できるだろうか。実際に暴力に瀕(ひん)した際、命を賭して非暴力を貫くことができるだろうか。こうした問いは、キリスト教徒か否かに関わらず、戦争や人道危機が頻発する今だからこそ、私たち現代人に重くのしかかるのだ。
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おどり・ともじ 60年生まれ。武蔵大教授。専攻はスイス史、中近世ヨーロッパ史。著書に『改宗と亡命の社会史』など。