人文死生学はいかに発展しているのか――『この私が死ぬということ』刊行によせて(後編)
記事:春秋社
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人文死生学シリーズ第一弾『人文死生学宣言』(春秋社、2017)が出てから第2弾の本書『この私が死ぬということ』が出るまで、早いもので8年余が過ぎた。その間、本書の母体となった人文死生学研究会の活動は、発足当時の零細ぶりからは考えられないほどに質量とも充実してきた。その一端は、本書の各執筆者が背景とする専門領域の多様さにもあらわれている。目次の一端を執筆者の専門を付して示すと――
第1章「死生心理学と人文死生学の交点」浦田・心理学
第2章「V・E・フランクルの時間論」雨宮・倫理学
第3章「反出生主義の受容と展望」小島・哲学
第4章「終末期の意思決定と尊厳死をめぐる諸問題」沖永・倫理学
第5章「意識の超難問と告知の死生学」南学・精神医学
第6章「南学論文への現代物理学からのコメント」榛葉・理論物理学
第7章「異世界転生の真実」渡辺・心理学
第8章「『死』(新山喜嗣著、春秋社、2022年)をめぐって:評」
第1節、久場・精神医学
第2節、重久・思想史
第9章「特集人文死生学、そして『死』(2022)その後」新山・精神医学
ということになる。
「人文死生学」という名称の意味について前回で説明したことをくりかえすと、「死すべき当事者が、一人称の死つまり自分自身の死を、人文の知を結集して探求すること」ということになる。理論物理学が人文の知に入るかに疑問を起こす読者がいるかもしれないが、人文死生学にとっても重要な意識研究の誕生に果たしたペンローズら理論物理学者の貢献や、量子力学の多世界解釈やら多宇宙論やらへとSF的発展を遂げつつある現代物理学・宇宙論の最先端を鑑みると、人文の知の基礎として将来ますます重視されるようになると思われる。
話は変わるが、筆者が研究会運営上も本書の編集上も心を砕いてきたことの一つは、学際的領域としての「人文死生学」を、英語圏分析哲学の一専門分野として形成された「死の哲学」からいかに差異化するかだった。まかり間違っても本書を、医者や心理学者のシロウト哲学と誤認させることはあってならないのだ。
じっさい、哲学専門家だからといって自己の死への嗅覚が鋭いわけでは必ずしもないことは、「死の哲学」に終焉テーゼと称する「テーゼ」があることからも分かる。本書第7章でも批判しておいたが、このテーゼは、まず三人称的視点を取ることによって自己を脳と同一視し、しかるのちこの脳に一人称的視点を密輸入して脳の終焉と自己の終焉を同一視するという、視点の混乱に由来する。そしてこの種の視点の混乱こそ世間的常識や社会通念を特徴づけるものであり、自然科学万能の現代ではそれが終焉テーゼになったということだろう。本書の執筆陣がこの種の社会通念を免れているとすればそれは、各専門領域で培った独自の知見を背景としているからと思われるのだ。これが、人文の知を結集するということの意義である。
また、第1章には死の認知発達科学の成果が紹介されていて、お互いの暗黙の前提を相対化すべく人文死生学との相互交流が提案されている。人文知と科学知の対話と相互交流もまた、人文死生学の発展にとって必要なことと思われる。
一人称的な死生学といっても、死んだらどうなるのかの思索に終始するわけではない。思索の結果は自分がいかに死ぬべきかに直截に跳ね返ってくる。第2章から第4章にかけては、そのような意味での実践的な考究を並べた(図1)。今後の発展の在り方として、死の自己決定権の追求は重要な課題の一つになろう。本来ならここに、不死の自己決定ともいうべきトランスヒューマニズムも入れたかったのであるが、書き手が見つからず断念した。反出生主義vsトランスヒューマニズムの対決を、次の巻ではぜひ見たいものである。
最後に、筆者自身の第7章「異世界転生の真実」にも触れておく。日本のアニメでは異世界転生モノの流行が話題になっているが、筆者は、現代の学知の総力をあげて取り組むべき死生観展開への可能性がここに秘められていると考える。まず、転生すべき異世界とは何か。目の前の他者、北里梅子や津田栄一に転生するならば、それが異世界転生であり、他者の身体は異世界の外皮に他ならないことになるのではないか。
そもそも、存在論的に対等な他者の実在を認める時、その他者が私であるような世界を私は思い描いているではないか。ところが現実には私は渡辺恒夫であり北里梅子でも津田栄一でもない。だから異世界での私である他者は可能世界の住人にとどまる。にもかかわらず他者の実在を認めるのなら可能世界は何らかの意味で現実化した・する・のでなければならず、つまり異世界転生しなければならない。
そのように考えるための手がかりを筆者は、可能世界論におけるルイスの様相実在論や八木沢敬の5次元主義形而上学に求めたのだった(図2)。また貫世界同定の基準を、自己意識の測度である自我体験・独我論的体験という体験の同型性に求めた。こうして第7章の副題である「他者という可能世界をわたる5次元主義の物語」が姿を現すが、それはまだ出発点に過ぎない。