現代ロシアの「グプタ朝化」とアウラングゼーブの影
記事:春秋社
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筆者は2022年初めから本書の執筆に取りかかりましたが、それから間もない2月に、ロシア軍がウクライナに侵攻し本物の戦争を始めました。連日ウクライナでの戦禍の惨状が報道される中、筆者は或(あ)る日のテレビニュースで、ロシア正教のモスクワ総主教が、復活祭の典礼で香炉を揺らし、焚(た)いた乳香の煙をプーチン大統領(以下敬称略)に向けて祝福する姿を見て、唖然(あぜん)としました。人々の幸福と世界の平和を祈るはずの宗教者の代表が、いま現にウクライナの戦場や市街地で膨大な数の人命を奪っている張本人を、英雄として讃(たた)えていたからでした。
のちに筆者は、この総主教がキリル一世(本名 ウラジーミル・ミハイロヴィッチ・グンジャエフ)という人物で、ソ連時代の1970年代からロシア正教会の対外関係部門で活動し、ソ連崩壊後には、ロシア文明の統一性とロシア正教会がそれに果たす主導的役割を強調してきたことを知りました。2009年のモスクワ総主教就任以降は、とくにロシア、ウクライナ、ベラルーシを988年の「キエフ(現在のキーウ)の洗礼」(東方正教会を国教化したキエフ大公国ウラジーミル一世による集団洗礼)に由来する単一の宗教的文明圏「ロシア世界」(Russkiy Mir)として位置づける歴史観を提示しています。そしてウクライナ侵攻が始まって以来、キリル一世は、軍事侵攻をやめないプーチンを一貫して支持しています。
筆者は、宗教者キリル一世が唱える「ロシア世界」の理念を、政治家プーチンがウクライナの地で手段を選ばず現実化しようとしていることを知り、あらためて宗教と政治の深い繋(つな)がりを考えさせられました。そこで、本書は「社会思想史」を銘打つものではありませんが、インド社会に関心を持つ読者に何かしら情報提供ができればと思い立ち、古代から中世前期(13世紀まで)を扱う諸章で、宗教と社会との、とくに王権との繋がりにかかわる論点を、概説書としてできる限り集めました。このエッセイの後半では、本書で取り上げた仏教とヒンドゥー教の社会的な側面のうち、大乗仏教の「慈悲による殺人」肯定と、ヒンドゥー教の汎神論と包括主義について要約しています。
ロシアは、ソビエト連邦が経済的に破綻し崩壊したのち、西側の経済と文化を取り入れて社会の立て直しを図ってきましたが、プーチン政権は西側に対し、グローバリゼーションはロシアを取り込んで利用しようとするばかりだと反発を強め、ロシア的な伝統と秩序へ回帰しようとしています。インターネットやSNSの規制も始め、外国からの文化的干渉を遮断し国民を内向きにしようとしています。しかし中国ほどには中央集権を徹底できず、民間の大財閥(オリガルヒ)や地方の首長を統制しきれていません。
プーチン政権は、自らの文化圏外に関心を向けず、国内の分権体制を残したまま、伝統文化の維持を重視する点で、インドのグプタ朝に似てきたと言えるかも知れません。グプタ朝は、外国との交易で栄えたクシャーナ朝が衰退した後、北インド広域の帝国となったものの、属国には自治権を認めました。またグプタ朝のもとでは、村の民衆も参拝できるヒンドゥー教の寺院が建立されて、現代にまで及ぶインド固有の宗教文化が形成され始めました。これに対し、主に都市の商工業者に支持され中国にも伝播(でんぱ)した仏教は、一部では王族の庇護(ひご)を取り付け僧院を大規模化したものの、農村部を含む社会全体でのヒンドゥー教の台頭と比べると、相対的には退潮を始めました。グプタ朝時代のインドでは、社会的関心がインド国外に向かわず、内向きになったと言えるでしょう。
東京大学でインド学を講じていた原實教授は、「インドの歴史は、江戸時代が二千年以上続いたようなものだ」とおっしゃっていました。インドは日本と違い、地域により言語まで異なる多民族社会ですが、ヴェーダ時代から北インドにイスラーム政権が樹立されるまでの間、断続的に外国勢力の侵攻があっても影響は表面的にとどまっていたという限りでは、ペリー来航まで鎖国を続けて国内の平和を保ち、文化を洗練させた日本の江戸時代にも喩(たと)えられます。特にグプタ朝時代から中世前期にかけて、バラモンと文人たちは爛熟(らんじゅく)したサンスクリット文化を謳歌(おうか)しましたが、これはインド外部からの政治的・文化的な干渉を受けずに済んでいたからと言えます。
けれども現代において、国を閉ざして自国の伝統ばかりを維持し続けることはできないでしょう。ウクライナへの侵攻が始まって以来、軍需景気と兵士への高給により、侵攻前よりもロシア国民の経済生活は向上しているという指摘もあります。しかし社会経済が戦争に依存している現代ロシアは、グプタ朝の黄金時代を築いたチャンドラグプタ二世の治世よりも、むしろ、ムガル朝の版図を最大化したけれども、デカン地方のマラーター王国との泥沼化した戦争をやめられず、帝国の衰退を招いたアウラングゼーブの治世に近いのかもしれません。