海峡をまたいで咲く椿のように 「合同会社里山社」代表 清田麻衣子(編集者リレーエッセイ第16回)
記事:じんぶん堂企画室
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里山社は写真集や翻訳小説、90歳女性の新聞ちぎり絵作品集など、ばらばらなジャンルの本を出している。「人文書編集者」などとは到底言えないのだけれど、日本の植民地主義の歴史を女性史の観点から紐解く本を出されている花束書房の伊藤春奈さんのお仕事は、同時代の編集者として「もっと掘っていきたいけどできていない」と感じるものばかりで、バトンを渡していただいたことがうれしく、このリレーエッセイを書いている。
わたしにとっていま身近な人文書といえば、86歳になった父の本棚にある本だ。父は一昨年くらいから認知機能が衰えはじめ、昨年夏から横浜市内の実家の近所にある施設に入所した。現在住んでいる福岡市から、わたしは父の施設にたびたび通っている。文化的な仕事をしていたわけではないけれど本好きだった父の書棚には、1960年代から2010年代にかけて出された、日本の明治期やソ連、中国、中東にまつわる本、戦後の小説や評論などが並んでおり、帰るたびわたしは少しずつ本を持って帰る。背の褪(あ)せた本を書棚から出して広げると、しばらく綴じられていた歴史が、現在に繋がる心地がする。そしてそれらの本は、込み入った話を交わしづらくなった父が蓄積した知識や感覚と交わる扉のような気がするのだ。
大学合格が至上命題のような、東京にある中高一貫の女子校に6年間、片道1時間半かけて通った。人生でもっとも無気力・無感動だったこのころ、ろくに会話もしていなかった父の部屋に忍び込み、置いてあったミニシアターのチラシをあさっていると、心が躍った。そのなかには佐藤真監督の『阿賀に生きる』や原一男監督の『全身小説家』もあり、こっそり見に行った。
大学では映像専攻に進んだ。佐藤真監督の『まひるのほし』を見て、知的障害者の「障害」の在処とは何なのかを考えているうちに、当時の私と社会の間の違和感につながった。またその上で読んだ佐藤さんの著書『日常という名の鏡』(凱風社)は、見ることについて、人間を撮ることについて、根源的な問いを起こす哲学書のようでもあり、水を飲むように体に入った。興奮して佐藤監督についての卒論を書いた。小学校の終わりごろからつきまとっていた、世間への違和感やそこから生まれる心のなかの雑音が、書いている間は鎮まり、「いまわたしは夢中になっている」と思った。
卒論を出してしまうのが惜しくて、この時間をもっと延長したい→文章に携わる仕事をしよう→本をつくる仕事だと、出版社への就職を目指した。だが超就職氷河期の2000年当時、そんな淡い動機のエントリーシートは軒並み門前払いで、卒業後の5月にようやく編集プロダクションに拾ってもらった。しかしなかなか自分の思うような本をつくる機会を得られず、転職を重ねた。睡眠時間を削って「働いて、働いて、働いて」自分の人権を疎かにするような人間は、他人の人権も疎かにしてしまうと、いまは思う。自分が会社員として目をつぶってやっていることに引っ掛かるライターさんに苛立ち、強くあたってしまったこともあった。たまに実家に帰っても悶々としているわたしを見て、父はある日突然、なぜか恥ずかしそうに「おれは20代のころむちゃくちゃ暗かった」と言いながら、シベリア抑留体験を書いた石原吉郎の詩集をくれた。
2011年3月。東日本大震災が起き、福島第一原発が爆発した。地震で紙の供給ができず、月刊誌の発行が止まった。余震と放射能に怯える非日常の静寂の時間、計画停電で街灯が暗く、月が明るい夜道を歩きながら、「地震の多い日本で原子力に頼って回転し続ける暮らしはやっぱりおかしい」と思った。35歳で独立して一人で出版社をはじめ、里山社と名付けた。多くの人が美しいと感じる里山の風景は、人が奪いもする。人の住処の周縁にありながら世界の均衡を保つ里山は、人の理性を象徴するように感じた。
1冊目に、田代一倫という写真家の『はまゆりの頃に 三陸・福島2011〜2011』という、東日本大震災の後から3年間の同地の肖像写真と覚書で構成する写真集を出した。直接震災の被害を写すのではなく、暮らしを写しながら損なわれたものを読み取ろうとするその手法に、どこか佐藤真監督を思い出してもいた。佐藤監督のアンソロジー本『日常と不在を見つめて ドキュメンタリー映画作家佐藤真の哲学』を出したのは2016年だ。たくさんの人の協力を得て、リバイバル上映会も開催した。わたしの暗い時代を支えてくれた佐藤さんの映画や言葉に初めて接するという若い世代の人がたくさん来てくれて、それは経験したことがない喜びだった。
里山社を始めて10年目に入った2022年、福岡市へ転居した。もうそんな時代じゃないとわかりながら、幼い記憶の里山の風景に郷愁を重ねてしまっていたのだけれど、福岡市の中心部、天神地区は、2015年から2030年までに約120棟のビルを建て替える、風景が様変わりするほどの大規模再開発、その名も「天神ビッグバン」の只中にあった。
喧騒を避け、天神から西へ3キロほど行くと、六本松という町があり、裏路地には古い家屋をリノベーションして若い人が店を始めていた。その隣町、別府(べふ)という住宅地に、2025年12月、里山社の事務所兼オルタナティヴ・スペース「dongbaek(トンベク)」をひらいた。展示、映像上映、トークイベント、対話の会他さまざまなことができるように、本棚の裏に展示壁を貼って動く壁に、客席の椅子を入れる棚も可動式にした。
「トンベク」とは椿の意味のハングル読みだ。1冊目の本からの縁で、その後暮らしのうえでもパートナーとなった写真家の田代一倫が、九州北部と韓国南岸部の人を撮影したシリーズ「椿の街」から名を得た。植民地主義時代の日本の歴史を踏まえながら、国という概念ではなく、両地に咲く椿のようにひとつの気候帯として出会う人を捉えたいと考えた。「オルタナティヴ」という言葉に、その時つくっていたエドワード・W・サイードのインタビュー集『ペンと剣 増補新版』で、パレスチナ人とイスラエル人の絶望的な状況にも、「なにかオルタナティヴ(もうひとつ別)な選択肢があるはずだ」と訴えたサイードが説く希望にあやかりたいと思った。インターネットが戦争を誘発し、加速度的に不安定になる現在。隣国の近さを肌で感じる福岡の地で、国やジャンルを超えて人が行き交うオルタナティヴな文化を発信する場をつくりたいと考えた。
イベントや展示がない日は、書棚を閲覧自由の図書として公開しつつ、里山社の本を販売している。ある日、近所に住んでいるという30歳前後の女性が立ち寄ってくれて、上川多実さんの『〈寝た子〉なんているの? 見えづらい部落差別とわたしの日常』を買って帰って、後日感想を伝えにきてくれた。子どもの頃から親戚の話を聞き、なんとなく自分の家は部落ルーツなのではないかと思ってきたけれど、この本を読んで確信したとのこと。親はそのことをずっと隠してきた。でも知りたかったし、もっと知っていきたいと一気に話してくれて、いまエトセトラブックスの『部落フェミニズム』を読みはじめたところだと言って、笑顔で帰っていかれた。場所をもったことで、本の立ち上がりから読まれ方とその影響まで見届けられるようになり、いまの時代に「顔が見える」方法で本をつくり、販売できるのはほんとうに得難い経験だ。
リレーのバトンは、宮城県仙台市から現在は蔵王連峰のふもとに住んで出版活動をしているPUMPQUAKESの清水チナツさんへ。清水さんは小野和子さんの民話採訪をまとめられた『あいたくて ききたくて 旅にでる』を出版するために出版社を始めた方だ。小野さんが抱えてきた切実さと、この1冊を出したくてという清水さんの切実さ、純粋さが見事に息を合わせた、とても美しい本だと思った。新たな拠点での暮らしとともに、どのような本づくりが見えてくるのか、とても楽しみです。