ロシア軍が24日、ウクライナに侵攻した。首都キエフなど各地を攻撃している。四半世紀前、米クリントン政権時代に始まったNATO(北大西洋条約機構)の東方拡大問題は、最悪の結果を生みつつある。
同盟拡大に警告
米国内の論調は一枚岩ではなかった。2014年、ウクライナで、NATO加盟推進派が右派民族勢力と組んで治安部隊と衝突し、ヤヌコビッチ大統領が亡命するマイダン革命が起きた。当時のロシア大使マイケル・マクフォール氏ら早期加盟派は、プーチン大統領を批判する(『冷たい戦争から熱い平和へ』上・下、松島芳彦訳、白水社・各3960円)。他方、ソ連崩壊期の大使ジャック・マトロック氏や、ロシア大使経験のあるウィリアム・バーンズ中央情報局長官は慎重論を唱えていた。
同盟拡大はロシアを挑発すると警告したのは、ソ連代理大使も務めた晩年のジョージ・ケナン氏だ。プーチンにはソ連を再建する意図はない、とクリントンのブレーン、ストローブ・タルボット国務副長官(当時)に説いた。ケナンの遺志を継ぐ歴史家アンドリュー・ベースビッチ氏は、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長の側近が「我々は、米国にとっての敵でなくなるという恐ろしいことをやる」と語ったと書いた(『幻影の時代 いかに米国は冷戦の勝利を乱費したか』未邦訳)。今の米ロ対立は、元ロシア大使間の米米対立でもある。
だが、東西和解の合意に抗して、クリントン政権が選んだのは同盟拡大というロシアを凍らせる選択だった。東欧移民票を自らの大統領選に利用するという短慮も今日の状況を招いた。
ひ弱なロシアの民主化派が退潮すると、エリツィン大統領が後継者に選んだのは元NATO担当の情報将校だった。春秋の筆法で言えば、クリントンがプーチン政権を誕生させたのだ。
実際、14年のマイダン革命は誰の得にもならない悲劇となった。比較政治の松里公孝は『ポスト社会主義の政治』で、西側がしかけた革命が暴力化することはわかりきっており、「憲政史に拭いようのない汚点」を残したと指摘する。プーチンはクリミア半島を併合、フルシチョフが渡した失地を回復したが、戦後ヤルタ体制=英米ロ関係を毀損(きそん)した。
約30年前の予言
なぜウクライナなのか。冷戦後、イデオロギーにかわって宗教が甦(よみがえ)る。同国は東方正教・イスラムと西欧キリスト教との断層線上だ。その線上で紛争がおこることを1993年に予言したのは、サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』だ。北米の東欧ディアスポラ(離散した民)が紛争の触媒となると述べていた。米国務省に、ビクトリア・ヌーランド次官らロシア帝国移民系のネオコンが多いのは偶然だろうか。
トルコなどイスラム要因も絡む。アフガニスタンは米ソ超大国の墓場となり、ユーラシアでは地殻変動が続く。1月には危機がカザフスタンに飛び火、ナザルバエフ体制が崩壊した。熊倉潤『民族自決と民族団結』は、ソ連の下で同国が疑似国民国家を懐胎してきたと指摘するが、腐敗体質が暴動を誘発した。ロシアやトルコなど地域大国が復活、その権威主義化が米国流の民主化革命の限界を示す。
バイデン米大統領は、経済制裁の枠内で外交による解決を主張してきたが、事態はここに至った。米国のINF(中距離核戦力)条約破棄で、東西双方から見捨てられたゴルバチョフだが、彼の至言「核戦争に勝利者はない」が、交渉の原点に据えられたのは救いだ。危機はウクライナからヨーロッパへと広がりかねない。ロシアは停戦の上、再浮上したウクライナの国是である中立化などの外交交渉につくべきだ。=朝日新聞2022年2月26日掲載