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文化は私たちより賢い──「自分の頭で考える」を考えなおす『文化がヒトを進化させた』(評・吉川浩満さん)文系のための科学本ガイド⑫

記事:白揚社

吉川浩満さんに『文化がヒトを進化させた』(ジョセフ・ヘンリック著、今西康子訳、白揚社)をご紹介いただきます。Illustration & design by 長尾和美(Ampersand Inc.)
吉川浩満さんに『文化がヒトを進化させた』(ジョセフ・ヘンリック著、今西康子訳、白揚社)をご紹介いただきます。Illustration & design by 長尾和美(Ampersand Inc.)

 いわゆる「文系」の人間が科学書を読むのは、足りない科学知識を補うためだけではない。人間や社会や文化について、自分がふだん用いている概念や考え方を点検するためでもある。科学はときに、私たちの問いに答えるだけでなく、なにをどう問うべきかを考えなおさせるからだ。本書はそのことを鮮やかに示す一冊である。

『文化がヒトを進化させた』(ジョセフ・ヘンリック著、今西康子訳、白揚社)
『文化がヒトを進化させた』(ジョセフ・ヘンリック著、今西康子訳、白揚社)

 1845年、イギリス海軍のフランクリン遠征隊は、北西航路の開拓をめざして北極圏へ向かった。2隻の艦船には最新式の蒸気機関、暖房設備、5年分の保存食、1200冊の本まで積まれていた。ところが船は海氷に閉じ込められ、隊員たちは船を捨てたのち、全員が命を落とした。

 同じ土地では、イヌイットが何世代にもわたって暮らしていた。彼らは雪で断熱性の高い住居(イグルー)をつくり、海氷の下のアザラシを狩り、その脂を燃料にした。流木や骨や腱や皮から、銛、そり、防寒着をつくった。フランクリン隊には100を超える教育された頭脳があり、切迫した必要もあった。それでも、こうした技術を考案することはできなかった。

 なぜか? 本書の著者ヘンリックによれば、フランクリン隊に欠けていたのは知能ではなく、北極圏で生きるための文化だった。そうした知識や技術は、一人の頭脳が必要に迫られて発明できるものではない。小さな工夫や偶然の発見が、模倣と選択を通じて世代を超えて蓄積される。しかも、それを受け継ぐ人が仕組みを完全に理解している必要はない。イグルーを建てるのに熱力学の知識はいらない。正しいやり方を学び、次代へ伝えればよい。ヘンリックの言い方では、「文化進化は私たちよりも賢い」。こうして集団に蓄えられた知識の総体を、本書は「集団脳」と呼ぶ。人間の知性は、頭蓋骨の内側だけに収まってはいないということだ。

 これは、ある意味で私たちの足元を掘り崩してしまいかねない知見である。私たちは、伝統や権威に従うより、自分の頭で考えるほうが上等だと教わってきた。啓蒙期以降の近代的な教養は、その理想を掲げてきた側でもある。ところが本書が描く進化史においては、受け継いだ知識を捨て、自分の頭だけに頼ろうとする個体は、他者から学ぶことに長けた個体にしばしば敗れてきたことが示されている。人類を生き延びさせたのは、理解してから行動する力だけでなく、理由がわからなくても、まず他者から正確に学ぶ力だったのである。

 もちろん、だから伝統に黙って従え、という話ではない。有害な慣習もあれば、環境が変わって役に立たなくなった知恵もある。本書が示すのは、私たちの理解が必ずしも行動の前提になるとは限らず、しばしばその後から到着するという事実である。そもそも、「自分の頭で考える」ために使う言語、概念、論理、証拠の確かめ方自体が、文化として受け継がれてきたものである。批判的に考えるとは、ゼロから一挙に考えることではない。受け継いだ知識や方法を用いて、当の知識や方法をも点検しながら、少しずつ自分の考え方を組み替えていくことなのだ。

 文化によって形づくられるのは、私たちの考え方だけではない。本書によれば、文化は人間の身体や遺伝子にまで影響を与え返してきた。たとえば牧畜と搾乳の習慣は、大人になっても乳糖を分解できる遺伝的変異を有利にした。つまり、分解できない個体へ圧力がかかった。他方で、乳をチーズやヨーグルトに加工する技術は、その選択圧を弱めた。遺伝的に進化した学習能力が文化を蓄積させ、蓄積された文化が新しい環境をつくり、その環境が今度は遺伝的進化を方向づける。これが本書のいう文化-遺伝子共進化である。

 この見方を受け入れると、人間や社会をめぐる問いの立て方も変わってくるだろう。たとえば、人間の協力性は生まれつきなのか、それとも教育や制度によるのか。いまや、この二択では足りなくなる。問うべきは、どのような制度が協力的な行動を促し、その環境でどのような心理傾向が育ち、さらに次の制度を支えるようになったのか、である。道徳も、人間本性に根ざす普遍的なものか、文化ごとに異なる約束事か、という二択では捉えきれなくなる。模倣、同調、評判への関心、規範破りへの敏感さといった心理傾向が、歴史的に形成された規範とどう結びつき、多様な道徳を生み出したのかを問わなければならない。

 ある慣習を見たとき、それは合理的なのか迷信なのかと即断する前に、それがどのような環境で、どのような問題への応答として残ってきたのかを考えてみること。また、かつて有効だった慣習が、環境の変化した現在でもなお有効なのかを検討すること。本書は、そうした考察への道筋をひらいてくれる。もちろん、文化進化の産物であることは、それが正当であることを意味しない。どのように生まれ、残ってきたかを説明することと、それを現在も正当なものとして認めることは別の問題だからだ。

 科学は、どの慣習が正しいか、どの社会が望ましいかまでは決めてくれない。だが、その判断を下す人間がどのような存在なのか、判断に用いる概念や能力がどのようにかたちづくられてきたのかについて、考えなおす材料を与えてくれる。科学書は、「文系」の外側から答えを運んでくる参考書ではない。人間、文化、道徳、そして「自分で考える」といった概念の関係を組み替え、それまでの問いを別のかたちで問いなおすことを迫るものなのだ。

 人間とはなにか? この問いを大切にする人にこそ、科学書に挑戦してほしいと思う。

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