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「文化」は何に対して挑戦するのか  『ウクライナ文化の挑戦――激動の時代を越えて』で伝えたいこと

記事:幻戯書房

Fedir Krychevsky(ウクライナの初期モダニズムの画家)の画「The Bride」(部分)を使用した『ウクライナ文化の挑戦』のカバー
Fedir Krychevsky(ウクライナの初期モダニズムの画家)の画「The Bride」(部分)を使用した『ウクライナ文化の挑戦』のカバー

 本書は、ロシアによるウクライナへの全面侵攻開始からちょうど2年目となる2024年2月24日と25日に慶應義塾大学で開催された同名のシンポジウムの各報告をベースとしつつ、セッション毎のコメンテーターや有識者による書き下ろしのコラムを併せて、一冊の本としてまとめたものである。

ブーチャの後に「文化」は存在し得るか

 本書を読み進める上で最も重要なキーワードは、無論、「文化」であろう。同名のシンポジウムから引き継がれたタイトルは主張する――激動の時代を越えて、ウクライナの「文化」は挑戦し続けるのだ、と。ではこの時、ウクライナの「文化」は、何に対して挑戦しているのだろうか。「文化」が戦いを挑んでいる相手は、一体誰か。

 この問いに対する答えを見つける手がかりとして、全面侵攻開始直後の2022年3月に一時的にロシア軍によって占領された首都近郊の町ブーチャで起こった出来事について語る、ウクライナの作家オレクサンドル・ミヘドの言葉を引用したい。

 39日目。世界はブーチャでの殺戮と埋葬について知った。
 私がこの文章を書いている時点で、地元の民間人340名の遺体が発見されている。
 多くの場合、彼らは後ろ手に縛られ、膝は撃ち抜かれ、後頭部を撃たれて殺された。
 ただし彼らが殺されたのは、われらがウクライナ人だからだ。

 ロシア人たちが焼却しようとした裸の女性たちの遺体。
 自転車に乗っていた老人の遺体、その平たく伸び切った亡骸は、圧し潰された大きな虫けらのように、不自然に歪んだ姿勢で硬直していた。
 凌辱された子供たち。強姦された年端も行かない少女たち。

 あらゆるものに地雷が仕掛けられている。
 子供用キャンプ場の中の強制収容所(キャンプ)。
 団地の住居の中の拷問部屋。
 かろうじて土を撒かれた遺体の集団埋葬。
 団地の庭に広がる墓地。棒で作った十字架。その多くは単に「身元不明」と書かれている。

 チェルカースイ出身の芸術評論家の知人は、「これらすべての残虐行為に対してあの獣たちが罰せられることがないならば、正直言って、そんな世界に生きる意味が私には分からない」と書く。

 文化プロジェクトのマネージャーで美しいコラージュ作家である別の知己は、次の日、家族を守るために占領者たちに対して行うつもりであることを眠る前に想像している、と書く。頭蓋骨を叩き割り、ナイフを突き刺し、ずたずたに引き裂く、と。彼女は自分自身にぞっとする。

 親愛なるアドルノ、われらはかつて、「アウシュヴィッツの後に芸術は可能か?」というあなたの問いに対する答えを見つけた。しかしあなたは、「ブーチャの後に言葉は可能か?」という問いに対する答えを見つけられただろうか?

ウクライナの作家オレクサンドル・ミヘドの言葉より

 ロシア軍によるウクライナ占領地域における民間人に対する残虐行為の発覚を受けて、その悍(おぞ)ましさをナチスによるホロコーストになぞらえようとする言説は後を絶たない。ミヘドによるテオドール・アドルノの問いへの言及もその一つで、「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」と喝破したアドルノの言葉を、ミヘドは「ブーチャ以後は、言葉を用いること自体が不可能である」というパラフレーズに置き換えて、我々に訴えかけているのである。

アドルノが望みを託した「文化」とは

 心の中で想像してみる。このような魂の叫びを前にしたアドルノはきっと、何も言わずにミヘドの肩を抱いたに違いない。もちろん、アウシュヴィッツとブーチャを比較し、どちらがより残虐であるのかを議論することがナンセンスであることは、ミヘドにも分かっていたはずだ。ただ、ミヘドはこのように問わずにはいられなかった――なぜなら、アドルノにとってアウシュヴィッツがそうであったように、ミヘドにとってブーチャとは過去の歴史や教訓ではなく、生きた現実だからだ。

 ドイツ思想の専門家である細見和之氏によれば、アドルノの言葉の中で「アウシュヴィッツ」とはホロコーストという出来事自体を指しており、「詩」とは文化的営みのシンボルとして用いられている。もしそうであるなら、アドルノの言葉は「ホロコースト以後、文化を営むことは野蛮である」と言い換えられることにもなろう。

 アドルノはしかし、文化的営みの可能性そのものを否定していたわけではなかった。優れた美学者でもあった彼は、芸術や美的表現に代表される「文化」というものが往々にして孕む独善性を念頭に置きながら、そのような独善性を検出し得る自己批判的な意識の表出としての「文化」にこそ望みを託していたのだ。というのも、自己を相対化することができない「独善的な文化」こそが、ホロコーストを生み出した元凶に他ならないからである。『ミニマ・モラリア』の中に含まれている次の一節は、アドルノが望みを託した「文化」のかたちを彷彿させる。

 花ざかりの樹木でさえ、恐怖の影を知らぬげな花見の対象となった瞬間に嘘の塊りとなるのだ。なんてきれいなんだろうという罪のない嘆声でさえ、実体はそれどころでない生存の汚辱に対する言いのがれとなるのであり、いまは戦慄すべき現実を直視し、それに耐え、否定性の十全な意識のうちによりよき世界の可能性を見失わぬ冷徹にさめた目だけが、美と慰めをもたらしてくれるのである。〔…〕わたしたちが連帯すべき相手は人類の苦悩である。人間の喜びの方にほんの一歩でも歩み寄ることは苦悩を強める結果にしかならないのだ。
『ミニマ・モラリア』より

 アドルノが言うように、「戦慄すべき現実を直視し、それに耐え、否定性の十全な意識のうちによりよき世界の可能性を見失わぬ冷徹に冷めた目だけが、美と慰めをもたらしてくれる」のであるとすれば、「文化」もやはりそのような「目」――戦慄すべき現実を直視し、それに耐え、否定性の十全な意識のうちによりよき世界の可能性を見失わぬ冷徹に冷めた目――として存立することが求められているはずのものだ。そしてそれこそが、「喜び」に擦り寄るのではなく「苦悩」に連帯することの内実なのだ。

ジャダンが唱える言語実践のかたち

 アドルノの有名なテーゼを念頭に置いていると思われる、セルヒー・ジャダンによるブーチャとイジューム以後の詩のあり方についての一節を読むとき、あたかもジャダンがアドルノの絶望的な期待に呼応しようとしているかのような印象を受ける。

 ブーチャとイジューム以後の詩は、疑いなく、可能であるばかりか、必要だ。しかしブーチャとイジュームの影、その存在は、戦後詩においてあまりにも大きな比重を占め、その充足感と調性(トーン)を大きく決定づけることになる。それは、集団墓地や爆撃された団地が、今後自分の国で書かれた詩の文脈(コンテクスト)となるだろう、という痛ましくも必要不可欠な認識であり、それはもちろん、オプティミズムを増し加えるものではないが、言語が我々の日々の作業、我々の不断の接触や関与を必要としている、という理解を深めさせてくれる。

セルヒー・ジャダンによるブーチャとイジューム以後の詩のあり方についての一節より

 ジャダンの視線は確かに「人類の苦悩」に向けられており、それは「戦慄すべき現実を直視し、それに耐え、否定性の十全な意識のうちによりよき世界の可能性を見失わぬ冷徹にさめた目」であるように思われる。

 そのジャダンが、戦時下の言語実践として優先的に果たさなければならないと考えているのが、「言語に深い断絶が生じ、声と声の間が虚空と化し、記憶の崩壊が起こる」ことを回避するために、死者の名前を声に出して発音すること、そして、それに引けを取らない強さ、確信、愛情をもって、将来について話し、声に出し、語らうことである。そうすることによって、戦争で崩壊あるいは喪失した時間の感覚、遠近の感覚、継続の感覚を取り戻さなければならない、と彼は言う。

 ブーチャやイジュームに象徴される「戦慄すべき現実」を直視し、それに耐え、この世界にあまりに多く蔓延する不条理や理不尽(=否定性)の存在を十分に認識しながらも、それでもなお、「よりよき世界の可能性を見失わぬ冷徹にさめた目」と、「それに引けを取らない強さ、確信、愛情」をもって、「将来について話し、声に出し、語らうこと」。過去と未来の間のシームレスな関係性を、日々の作業と言語への不断の接触や関与による現在的なアプローチのなかで回復しようとする、他でもないこのような営為こそが、アドルノ流に言えば「美と慰めをもたらしてくれる」ところの、アウシュヴィッツやブーチャ以後にも必要とされる「詩」や「芸術」、「文化」の内実であるのかもしれない。

ブーチャ以後の詩が示す「原点」回帰

 この文章の締め括りとして、ブーチャ以後の詩あるいは言葉がどのようなものであり得るのかについて、アルトゥール・ドロンによる二つの詩を通して考えてみたい。なお、この詩人の存在を筆者に教えてくれたのは、リヴィウ在住の詩人、ユリヤ・ムサコフスカである。

 まず、一つ目の詩。

「戦争」という言葉を口にする回数が減れば減るほど、
お前の詩を
信じる人は増えるだろう。

ありのままを述べよ。
味方が撃ち殺したのだ。
偶然に、誰も望んではいなかった。
戦闘は長引き、ワグネルに攻撃を仕掛け、
森の中はすでに暗く、十二月だった。
負傷兵に這い寄ったものの、
夕闇の中で前後を見失い、
識別できなかったのだ。

「戦争」ではなく、
こう書け――
彼らのうち誰にも
あの夜を乗り越えられる日は来ない。
アルトゥール・ドロンの詩より

 この詩を読むと、「戦争」という言葉が孕む意味上の曖昧さ、責任の所在の不明確さ、あたかもそれを実在の事物として検証なしに前提してしまおうとする自分自身の不用意さなどに、不意に気づかされる。そして、この詩のなかで描かれている光景と同じ構造を有する出来事は、戦場だけでなく、銃後の日常においても起こり得ることなのだが、そのような事態に際して、責任の所在を曖昧にしてしまう語彙に安住し、一人ひとりの人間の魂の動揺や苦悩に寄り添おうとしない、連帯しようとしない態度は、「戦慄すべき現実を直視しないこと」や、「花ざかりの樹木に恐怖の影を見ないこと」と同様に、ブーチャ以後の詩あるいは言語行為としては許されないものである、という理解を得ることができる。

 ドロンは、戦時下で書かれるべきは戦争についてではなく、人々についてであるべきだ、と断言する。というのも、決定的に重要なのはいつでも、血を通わせて生きている私たち自身なのであって、戦争という責任の主体となり得ない抽象概念ではないからだ。

 次に、二つ目の詩。

子供たち

ぼくらが希望について語るとき、
それはまさに
子供たちについて話しているんだよ。

こんなに時間が経っても、
きみの記憶は今でも内側から湧き出てくるので、
感謝しているよ。
そしてある日、すべての子供たちは
陽の光に目を細めるだろう。
そしてぼくらのなかで生き残った者は、
これらすべてが無駄ではなかったことが
わかるだろう。

ぼくらがここで希望や愛国心、
祖国について話すことは
滅多にない。
だけど、もし話すことがあっても、それはいつも
子供たちのことだ。
そして、今、きみのことを思い出すと、
きみがどんな子供だったのかを想像するよ。
きみがどんなふうに
陽の光に目を細めていたかを。

ぼくらのなかで生き残った者は、
長い間沈黙することになるだろう。
だって希望がすぐそばにあるのに、
それについて話す必要はないだろ。
汚れた半ズボンを履いて、
蚊に刺された腕を引っ掻きながら、
陽の光に乳歯を輝かせて、
そこに立っているよ。
アルトゥール・ドロンの詩より

 この詩では、戦場で書かれたものとは思えないほどの温かな眼差しが感じられる空間で、十全な強さや確信、愛情をもって将来が語られているように思われるが、ここでの主題もまた、一つ目の詩と同様に、それがたとえ「希望」のような一見肯定的な概念であろうと、責任の所在や対象を曖昧にしてしまう語彙に安住せず、不断の接触や関与を必要としている個々の具体的な対象や人々、その名前に言及し、その魂に寄り添うことの大切さなのではないだろうか。

ブーチャを生み出した「文化」への挑戦

 ここで冒頭の問いに立ち返ろう。ウクライナの「文化」は、一体何に対して挑戦しているのか。それはおそらく、アウシュヴィッツやブーチャを生み出した「文化」に対して、であろう。詩を書くことはホロコーストと対極をなすもののように思われるが、ホロコーストを生み出したのも一つの「文化」であること、最も純粋無垢な詩作さえ人間精神の独善性の免罪符にはなり得ないことを認める地点からしか、我々はホロコーストを生み出さない「文化」を育むための一歩を踏み出すことはできない。

 アウシュヴィッツやブーチャを生み出した「文化」に対する挑戦は、ウクライナの「文化」だけに負託された任務では決してない。「喜び」の方に靡(なび)き、自己を不当に前提しようとするのが人間精神の性(さが)であるとしたら、アウシュヴィッツやブーチャを生み出す「文化」は、日本を含め、世界中のどこにでも生み出され得るのである。またその挑戦は、戦時下でのみ行われるべきものでもない。戦時か平時か、合法が非合法かを問わず、我々は様々な規模や種類の暴力や残虐行為に日々晒されて生きている。ホロコーストを生み出さない「文化」を育むための知恵と勇気とその実践は、各々が置かれた歴史的・社会的・政治的文脈に応じて、我々一人ひとりに求められているものなのだ。

 ドロンの手になるブーチャ以後の詩のなかで、「戦争」や「希望」という語彙が読み替えられる、あるいは少なくとも慎重に掬い上げられる場面に接して、私たち現代日本に暮らす者はあらためて、「不都合な問いと困難な回答の時代」を生きている、つまり「長い間気づかれないようにしていること」や「回答を保留し続けていること」が私たちの周りにも多くある、という気づきを与えられている気がする。そしてこの気づきが、めぐりめぐって、現在私たちが生かされている社会で用いられている言葉に対する内省を促し、その言葉によって構成されている時代のパラダイムを内側から変革し、ウクライナを現在の極限状況から解放する普遍的で継続的な力の一助となることを願ってやまない。

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