自然と人間の関係をどう考えるか? 根源的転換をめざした市民科学者の声に耳を傾ける――高木仁三郎『いま自然をどうみるか』
記事:白水社
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地球温暖化が年ごとに目立つようになってきた。極地の氷床が溶け出す、ヒマラヤの奥地では大氷塊が大土石流をうみ、列島各地で酷暑とともに線状降水帯による集中豪雨がしばしば起こる、四辺の海で生態系が一変する。かつての穏やかな自然は姿を消して、激しい自然が当たり前のようになった。エネルギーを使い放題で便利な社会をつくったせいか、と自省の声も聞く。
そこに、『いま自然をどうみるか』が復刊された。自然と人間の関係をどう考えるか。未来をどう構想するか。
著者の高木仁三郎さんは群馬県の出身。少年時代から自然の恵みと懐深さに詩心をときめかせて育つ。ドイツでウランの核分裂が発見された1938年の生まれ。東京大学で核化学を専攻。1969年、宇宙核化学で理学博士号を取得し、東京都立大学助教授に就任。新進気鋭の科学者として世に出た。「核」の問題に取りくみ、同時に、現代が直面している危機の根源に立ち向かうことになった。
本書の解説を試みるにあたって、序章「いまなぜ自然か」についてひとこと触れておこう。
著者は「核」の問題、とりわけ「核テクノロジー」の危機的状況に直面して、もともとの感性的・身体的な「第一の自然」にとって代わって、「第二の自然」が科学的・理性的に人間を支配するおそれが強くなったことを実感する。「二元的に引き裂かれた自然観」に思い悩まされてきた著者にとっては、「自然とは何だろうか」を論ずることが、避けて通れなくなってきたと、心の内を語る。
著者と同時代を過ごし、ともに科学技術のあるべき姿を議論してきた筆者には、その思いがよく分かる。しかし、60~70年代を身近に知らない読者には、どうだろうか。序章は後回しにして、第一部、第二部、増補「そしていま、自然をどうみるか」へと読み進め、序章に戻って、著者の真意を読み取るのがお勧めである。
第一部「人は自然をどうみてきたか」は四つの章からなる。ギリシャ神話に始まり、宇宙の解釈、近代科学の誕生と展開、今日の科学の到達点までが、簡潔に述べられている。こんにちの大学で、科学史や科学思想史として講じられている内容に近い。著者は、この部分はとばして、第二部から読んでもらって構わないという。
第二部「いま自然をどうみるか」が本書の中心である。すなわち、第五章「エコロジー的地球像」、第六章「民衆の自然」、第七章「自然と労働」、終章「自然に生きる」の四つの章である。1985年秋の時点での著者のいいたいことが、およそ尽くされているといってよい。
第一部の最後で著者は、絶対普遍的法則の結果として宇宙があるのではなく、「私たち」があることによって宇宙があり、その法則があると考えた方がよいのではないかと、たどり着く。ここで、「私たち」とは何か。人間中心主義的な意味での人間ではない。「自然のすべてというか、宇宙を構成する全存在といってよいかもしれない」とし、金芝河のいう「全生命」の立場に近い、というのである。
そこで、第五章では、危機感を著者と共有している科学者たちの「地球と生命についてのとらえ直しの作業」にとりかかる。生態学者たちの地球像、宇宙船地球号とその限界、エントロピー論に基づいて地球全体を一つの生命系ととらえる開放定常系モデル、生きものとしての地球を論じたガイア理論、適者生存をいうダーウィニズム的な進化論ではなく、共生によって互いに他を向上させあうような進化を唱える今西錦司の「自然学」、金芝河の「生命の文化」論等々、じつに多様な見方、考え方を仔細に検討する。そして、生命を基軸とした、非人間中心主義的な壮大な世界観へ、民衆が各自の生を生ききることによって転換を実現しよう、との金芝河の思想に大きな示唆を受ける。
開発のために、土着の民衆の自然やくらしが徹底的なダメージを受けてきた例は枚挙にいとまがない。
だが、人間中心主義の西洋的な自然観に侵されなかったところでは、人間と自然との根源的な関係が残っている。第六章では、『野生の思考』(レヴィ゠ストロース)に導かれながら、非核太平洋会議を実現させた人々、インディアンの青年、バッファロー(アメリカンバイソン)の大虐殺事件などの先住の世界に学びつつ、日本の近代を超える精神を探る。
民衆から見た自然を考えるとき、著者は石牟礼道子が描く水俣の世界を思い浮かべる。『苦海浄土』の「ゆき女きき書き」が「生きとし生けるものが照応し交感していた世界」として引用される。阿賀野川の水と漁に依拠して生活していた新潟水俣病の患者さんたちは、水銀汚染の被害を訴える。その人たちの語りにも、共通する世界があることに気づく。三里塚闘争の中心的な担い手による「野遊びの歌」にも、空港反対同盟の青年たちの裁判における意見陳述にも、共通して、自然との強い結びつきがうかがわれることを著者は知る。
第七章では、近代主義の労働観がとめどない自然破壊に道を開いたとし、人間と自然との相互主体的な行為に光をあてて労働のとらえ直しを試みる。
人間の生活、自然、労働を考えるとき、人間自身の生きている全過程が自然の中の循環として実感できることが基本である。自然の循環に戻すことのできないゴミを蓄積する核工場の存在などは、存続してはならない。そのようなテクノロジーに依存する限り、社会は死んでゆく。自然の全体の中に社会を適合させていくと考えるべきなのである。
この章の最後で、ポーランドの自主管理労組「連帯」の運動には、環境的に健全な生産への関心なしに労働者の主体性もあり得ないとしていたと考えられる点で、大きな示唆が含まれていたという。
終章で、「自然に生きる」とはどういうことか。思いこみやさまざまな偏見から自由になることの感動を獄中の金芝河のエピソードを例示しながら語る。結局のところ、広い意味での「運動」を進める以外にないという。地域の風土と結びつく中でいきいきとした活動をしている運動をみると、「二つの自然」の克服は私たちがどう生き、どう運動するかという、生活や実践の中からしか生まれないだろうという結論にいたる。
このように書き終えて、12年後、「増補 そしていま、自然をどうみるか」が書かれた。その間、チェルノブイリ原発事故、冷戦の終結、地球環境問題の深刻化など、著者が初版で予見した以上の劇的な変化があった。それらを整理して、著者は「オルターナティブな科学」をめざす決意のもとに、そのような科学者を育てるための「高木学校」の構想に取り組んだ。
だが、1998年夏に大腸がんが見つかる。闘病生活に入るが、「この一年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物がたれ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです」と、「友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ」を書き遺して、2000年10月8日に死去。病床で書かれた二冊の岩波新書『市民科学者として生きる』(1999年)、『原発事故はなぜくりかえすのか』(2000年)は著者の思想と実践を知るためには必読といってよい。
それから四半世紀を超えるが、「高木学校」、「高木基金」、「原子力資料情報室」の三つの組織が活動を続けていることを書き添えたい。
いまや、急速に進化しているAIが人類の前に立ちはだかる。著者の考えを聴くことはできない今、私たち一人ひとりが問いかけられている。
東京電力福島第一原発過酷事故から15年半、いまだ、事故の終息が見えないなかで
山口幸夫(原子力資料情報室共同代表)
人文知の危機が広く共有される一方、〈いかに生きるか〉にかつてない関心が向けられる現在。
岐路にたつ社会に「希望」や「幸福」はいかなる形をとるか?
世代と時代を越えてきた、未来を導く思惟の結晶。
〈人文知への扉〉刊行に寄せて
みなさんは「人文書」ということばから何を思い浮かべるでしょうか? 哲学・思想から歴史・社会、政治・経済まで、ひとによっていろんな本を思い浮かべると思います。一見なんでもあり、という印象を持ちますが、一般書ではなく、また学術書でもないというくくりになるのではないでしょうか?
白水社が創業して110年が経ちます。創業は大正教養主義の時代と重なり、青年たちは読書を通じて〈いかに生きるか〉を真剣に問いました。そうした潮流はその後も続き、戦後民主主義の揺籃になりました。こうした読書を支えたのが、一般書でも学術書でもない、人文書でした。
しかし、昭和から平成と時代の移り変わりのなかで〈いかに生きるか〉はいつしか問われなくなりました。人文書をめぐる状況も激変しています。大学や学問の世界は制度化され、専門化されていきました。そんなことを問うても研究の実績にはなりません。
他方、この十年で社会が大きく変化し、「希望」や「幸福」をもう一度、考え直したいというひとが増えています。そうしたなかで人文書にもふたたび光が当たっています。
白水Uブックスではこのほど〈人文知への扉〉をはじめます。110年を記念した〈思想の地平線〉に続く試みです。2020年代の人文書はいかなる形を取るのか。読者のみなさんと考えていきたいと思います。 白水社〈人文知への扉〉編集部
❖人文学の定評ある作品を収録
収録されるのは、元本刊行時に評価を受けた実績と定評ある作品の数々。
長く読み継いでいただきたい人文学の名著を揃えました。
❖日本・海外問わず幅広いラインナップ
人文学の優れた書き手の著作を刊行、長年海外の出版物の翻訳書も手がけてきた白水社ならではの、国内にも海外にも目配りのきいた充実のラインナップ。
❖手に取りやすいサイズと洗練された装丁
新書判で手に取りやすく、持ち運びやすいサイズ。
シリーズの統一感ある洗練されたデザインの装丁でお届けします。
・『インド独立の志士「朝子」』笠井亮平 著
・『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』谷口功一、スナック研究会 編
・『ドナルド・キーン わたしの日本語修行』ドナルド・キーン、河路由佳 著
・『台湾海峡一九四九』龍應台 著/天野健太郎 訳
・『帝都東京を中国革命で歩く』譚璐美 著
・『グローバリゼーション・パラドクス 世界経済の未来を決める三つの道』ダニ・ロドリック 著/柴山桂太、大川良文 訳
・『言葉から社会を考える この時代に〈他者〉とどう向き合うか』東京外国語大学言語文化学部 編
・『胡椒 暴虐の世界史』マージョリー・シェファー 著/栗原泉 訳
・『講義 戦後史を歩く 1945-2000 この国の軌跡』八柏龍紀 著
・『増補 木琴デイズ 平岡養一「天衣無縫の音楽人生」』通崎睦美 著
・『追っかけから始まるシェイクスピア女子の歴史 近世の観劇と読書』北村紗衣 著