天皇とウマ娘から現代社会を読む――AI時代の象徴天皇像の変容
記事:明石書店
記事:明石書店
戦後の日本競馬は戦前の日本競馬と非常に似通った特徴を有した。戦前における軍馬育成の為の競馬事業は失われたが、日本競馬会の解散と国営競馬時代を経て、1954年に誕生した日本中央競馬会(以下、JRA)の組織運営モデルは戦前の日本競馬会の経営手法を踏襲したものであった。このことを筆者は「日本型競馬事業」と呼ぶ。おおよそ20世紀の日本競馬は“競馬事業における競走体系の根幹を「天皇賞(帝室御賞典)」に定めることにより、政府、JRA(農林水産省所管)、業界関係者の3者が、競馬社会に形成している密接な協力関係”を前提に展開した。戦前は特殊法人である日本中央競馬会が日本競馬会という名称であっただけである。また「日本型競馬事業」という用語で定義付けられる事業の性格としては、我が国特有の封建的な諸要素(朱子学、日本型資本主義)が挙げられる。とりわけ日本のすべての競走馬は天皇の赤仔であるという、天皇賞を目指す「天皇の競走馬」概念は競馬社会の戦前と戦後を接続するものであった(「天皇の軍馬」概念は日本の敗戦と兵器の機械化により戦後になってから失われた)。
戦後の日本競馬は「天皇賞」の取り扱い、天皇杯と賭博スポーツを巡る問題を抱えながら発展していった。1970年代になると「天皇賞存続論争」が起こり、地方を中心に「競馬廃止論争」が起きた。ここにおいて主催者は「天皇賞」と「競馬イメージ」を作り直す必要に迫られた。
ウマ娘は1980年代以降におけるJRAによる諸改革がなければ誕生しなかった。80年代からはグレード制の導入によって日本のレース制度が改められ、「天皇賞」の勝ち抜け制廃止や秋開催の距離短縮などの改革も進んだ。特に競馬主催者のイメージ転換は著しかった。具体的には、ロゴの作成やマスコットキャラクター、愛称・略称の導入により、競馬のギャンブルイメージは大幅に軽減された。言うまでもなく、「天皇賞」も記念入場券に馬事文化や明治天皇の競馬行幸が描かれるなど競馬のクリーンなイメージ作りに利用されることになった。また、「天皇の競走馬」である日本の馬に対する表彰(「JRA賞」の創設)や「競馬の殿堂」制度(JRA顕彰)の充実も図られた。レース制度も分かりやすく整えられたから日本国民にとって「名馬」はより身近な存在となった。1997年になると中央競馬の馬券売上は4兆円を超えた。
競馬会の発展によって最も変わった点は文化・メディアであった。競馬ゲームや競馬マンガが一世を風靡した。90年代には馬の擬人化が加速し、言葉を話すユニークな馬が登場する『みどりのマキバオー』がアニメ化された。競馬ブームがサブカルチャーの分野にも反映されるようになったのが80年代以降の日本社会だった。
我が国では、ゲームや漫画、アニメに登場する馬たちも現実競馬と変わらずに天皇賞を目指す「天皇の競走馬」であった。例えば、漫画『風のシルフィード』の天皇賞(春)は名場面の一つである。
20世紀には一度も実現しなかった天覧競馬が2005年以降3回も開催されるようになったのはJRAの経営努力の成果であった。2005年に無敗の三冠馬であるディープインパクト号が誕生した。同馬は翌年に天皇賞馬になって凱旋門賞にも挑戦し、まさに現実競馬における「天皇の競走馬」の優等生といえる。また、20世紀の天皇賞は伝統と尊厳を兼ね備えた名誉あるレースであった。そのことは21世紀になって登場した現実競馬をモデルにした「ウマ娘」の中でも明確に描かれた。「ウマ娘プロジェクト」は2016年に始まったクロスメディア(メディアミックス)でアニメやゲーム、マンガ、ライブが主な舞台である。この日本中央競馬会の成功を土台にして始まった小さな計画の最終目的は多国籍企業による世界制覇だった。2021年に起きた日本国内のウマ娘ブームは1990年代のまだ天皇賞に権威があった頃の競馬を再生させ、アニメやゲーム、マンガの中で「天皇賞」は重要な位置を占めた。
令和のウマ娘ブームは日本国内だけにとどまらない。このブームは2022年以降、韓国、台湾、香港、マカオ、中国本土、欧米圏まで波及し、今や南米でウマ娘のコスプレをした人々が競馬場で走る時代になってしまった。また、多国籍企業であるゲーム会社は欧米の競馬組織とパートナーシップ契約を結ぶまでに成長した。このように、日本大衆競馬と象徴天皇制は「推し娘=ゲームAIの超人=天皇の競走馬」を育てる世界中のゲームプレイヤーによって支えられているのだ。