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インドにかわされ、押し切られる日本 貫洞欣寛『沸騰インド』

記事:白水社

原発と新幹線をめぐるしたたかな交渉

 インドというのは、一言で言えばきわめてタフで、したたかで、粘り腰な国である。

 たとえば、日印原子力協定をめぐる交渉。「日本側も、インドが核実験を行えば協力は停止する、再処理は認めないといった日本側の主張をなんとか盛り込もうとしたものの、結局はインド側に押し切られた」というのが、私の持っている印象だ。

 モディが首相として初来日する二〇一四年八月以前の段階から、私は交渉に詳しいインド政府高官に接触し、協定をめぐるインド側の立場を取材していた。

 使用済み核燃料の再処理について、この高官は「われわれには、重水炉でウランを燃やす第一段階、その次に高速増殖炉や一般炉でMOX燃料のかたちでプルトニウムを燃やす第二段階、トリウムとウラン233を使う第三段階の原子力開発計画がある。これを維持するうえで、再処理はわれわれにとって絶対に必要なプロセスだ」と説明した。

 そのうえで、「IAEAの査察を受けることを条件に再処理を認めるという、米国との原子力協定と同じスキームを日本側にも提示している。われわれは日本だけでなくオーストラリアやカナダ、ロシア、フランスなどと同じやり方で交渉し、協定を結んできた。われわれの出す条件を受け入れるかどうかは、日本の問題だ」と言っていた。

 日本はインドが核実験を行った際に協力を停止する、と主張していた。これについてインド側高官は「われわれには、米国との協定というテンプレート(ひな型)がある。だが、日本はそういうものを持っていない」と語っていた。

 米印協定で、インドが核実験を行った場合、米国は協力を停止するという規定は存在しない。米国はインド側の強い抵抗でこれを盛り込むことを断念した。代わりに、自らの国内法でインドが核実験を行った場合は協力を停止するという姿勢を維持するかたちにしたのだ。

 日本との協定交渉でも、核実験を行えば協力停止という条項を明示的に盛り込むことについて、インドは断固として拒否していた。

 それから二年余りの交渉を経て締結された日印原子力協定の中身はどうだっただろうか。

 まず、使用済み核燃料の再処理を認めた。協力を中止する際には、一年前の通告が必要だ。つまり、インドが核実験を行い、日本が即座に中止を決めても、実際の協力停止まで一年かかるということだ。さらに、協定の終了か停止を考える際は「国家安全保障に影響を及ぼすおそれのある他の国による同様の行為への対応として、生じたものであるか否かについて考慮を払うことを合意する」としている。つまり、中国やパキスタンが核実験を行い、その対抗措置としてインドが核実験をしたときは、そこらへんの事情をまず考えてくださいよ、ということだ。なぜここまでインドに配慮する必要があったのだろうか。

 この協定には、「見解及び了解に関する公文」という名の付属文書があり、日本側とインド側それぞれの見解が記されている。

 この文書では交渉に関連し、日本側がインド側に以下の点を述べた、としている。

  • インド外務大臣が二〇〇八年九月五日に行った(核実験のモラトリアム)声明が協定のもとで、両国間の協力の不可欠の基礎を成す。
  • インドによる九月五日声明に違反する行動(=核実験)は深刻な逸脱である。
  • 発電の中断がもたらす損害賠償に関するインドの請求に対し、日本が異議を申し立てる権利を留保する。

 これに対するインド側の返答は「インド側代表団の代表は、九月五日の声明をインド共和国政府が再確認する旨述べた」だけで終わっている。日本側の要求には何一つ応答しないまま「核実験のモラトリアムは維持している」とだけ言った、ということだ。この文書に明記された両国の了解事項は「前記は、両国の見解の正確な反映であることが了解される」という点のみにとどまった。

 日本側の主張はかわされて折り合いがつかないまま、「でも、両国とも互いが言っていることが正確に記されたということは了解しました」で終わっているこの文書に、核実験に対する抑止力があると考えるのは早計だろう。

 やはり交渉は、インドの高官が言い続けた内容にほぼ沿ったかたちで進み、押し切られたのだ。付属文書は、日本側の「抵抗の証」だったといえるかもしれない──私はそう感じている。

 原子力とのバーターだったムンバイ−アーメダバード間の新幹線は、「総事業費九八〇〇億ルピー。うち最大八一パーセントを円借款で提供」とされている。

 新幹線はすでに、当初予定されていた予算を上回ることが確実な情勢だ。

 というのも、JICAがインド国鉄と共同で行った調査では、専用軌道のうち六四パーセントは、盛り土によりかさ上げして路面を整備するとされていた。高架は二八パーセント、トンネルと橋が計五パーセントだ。総事業費九八〇〇億ルピーは、これを前提に算出されていた。なお、日本で最初に建設された東海道新幹線も、工費の問題などから半分が盛り土で建設されている。

 だがその後、線路への人や動物の進入を防ぐ安全性などの面から、盛り土で計画された部分のほとんどを高架線とすることをインド側が主張し、それを取り入れる方向で全体の再検討が行われている。ある日本側関係者は「高架のほうが安全性が高いということは、最初からわかっている。なぜ共同調査の段階でインド側はそう言わなかったのか」と振り返る。

 盛り土で地面をかさ上げするのではなく、コンクリート製の高架線を建設することになれば、当然ながら建設費は跳ね上がる。建設費の上昇が明らかになった段階で総事業費の見直しが行われ、インド側はそれに伴い、円借款の増額を求めてくることになるだろう。そうなれば、プロジェクト全体の資金回収計画にも大きな影響を与えることになる。いや、二〇一七年九月の起工式の段階で、計算はすでに終わっていてもおかしくない。
 また、二〇二三年開業予定をインド独立七五周年に合わせて二〇二二年開業にせよ、という声がインド政府内で強まっている。それに伴うコスト増は誰が負担するのだろうか。

 日本の土木・建設業界関係者や一部の政治家、官僚の間ではよく「公共事業は小さく産んで大きく育てろ」と言われる。公共事業をやるときは、当初は見通し額を抑えてプロジェクトの承認を得て、その後いろいろな理由をつけてだんだん増額していくほうがやりやすい、ということだ。これは、インドでも同じということなのだろうか。そのつけを払うのは、日印両国の政治家ではなく、納税者たる国民である。
(『沸騰インド 超大国をめざす巨象と日本』より抜粋)

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