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昭和の懐かしさは、なぜ世代を超えて受け入れられたのか? 高野光平『昭和ノスタルジー解体』

記事:晶文社

 懐かし需要はビジネスチャンスとしてさまざまな業界で取り入れられたが、商業施設や店舗がコンセプトを昭和30年代に寄せ気味だったのに対して、復刻商品やおまけアイテムは昭和40年代や50年代のものを多く含んでいたことが分かる。

 この時期のブームは、昭和30年代をテーマにした台場一丁目商店街が強い存在感を放っていたのと、ブームの到達点である「ALWAYS 三丁目の夕日」の舞台が昭和30年代だったことから、全体の印象としては昭和30年代が中心だったように見える。しかし、じっさいは多様なものを含んでいた。何年代と限定せず、たんに「昭和」とくくられたケースも90年代と比べて明らかに増えている。昭和イメージはディケイドをともなわない(ともなうとしても形式的な)ざっくりとしたかたまりになって、時代を超えようとしていた。

戦後日本の復興の象徴ともいえる東京タワー
戦後日本の復興の象徴ともいえる東京タワー

 さらに、昭和イメージは世代をも超え始めていた。本来、実体験を持つ世代だけが特定の時代のノスタルジーを享受でき、実体験のない下の世代はレトロかアナクロでしかその時代にアプローチできなかった。しかしゼロ年代に入ると、すべての世代が懐かしいという感情を共有できるようになっていく。

 「『ワーッ、これ、知らないけど、懐かしい』女子高校生たちが意味不明なことをいいながら、駄菓子屋のおもちゃやレトロな包装の菓子に手を伸ばした」(「昭和30年代 日本人の原風景」『AERA』2003年4月14日号)

 これは台場一丁目商店街を取材した記事の一節である。ここまでデキすぎた事例は少ないにしても、「若い人には新しい」ではなく、「若い人にも懐かしい」と言うべき状況が訪れていた。もちろん、従来どおりレトロなものに新しさやおしゃれさを発見するような若者の動向もあり、それはポスト渋谷系的な音楽や、「レトロかわいい」と評される洋服(たとえばAラインのワンピース、キャスケット、ポックリ靴、花柄)や雑貨など、若者のサブカルチャー領域で続いていた。しかし一方で、古い人と若い人の二元論ではなく、若者を含むすべての日本人に一元的に懐かしさが浸透しているかのような書きぶりの記事が出てきたことは注目に値する。たとえば次のような記事である。

 「『時代には連続性があります。実際に触れた経験がなくても以前に存在していたのは知っているのです』(博報堂生活総研・大田雅和)。若い世代が生まれる以前のモノや空間に対し、新鮮さのみならず“どこか懐かしい”と感じるのは時代の連続性によるのだ」(「『昭和系』という“懐かし力”」『宝島』2002年9月18日号)

 立ち位置の異なる複数の世代が懐かしいという感覚を共有するのは容易ではない。しかしそれが実現しつつあった。ゼロ年代前半、「懐かしの昭和」は時代と世代の複数性を克服し、ざっくりとした大きなかたまりへと収斂していった。それは、昭和が遠い時代になってディテールが失われてきた結果であると同時に、90年代後半にスリーオー(おしゃれ・おたく・おとな)が互いに混ざり合い、昭和のモノやコトが「良い」という漠然としたプラスの価値によって統合されていったプロセスの続きでもある。

 その先にあったのは、個人的な懐かしさを超えた、社会的な懐かしさともいうべきものの成立だった。社会的な懐かしさとはつまり、個人的な経験の有無や濃淡と関係なく、誰でも参加可能な一般的な懐かしさである。昭和の場合それは、「古き良きのんびりした時代」や「元気だった高度成長期」などを意味する。たとえば次のような話だ。

 「『昭和30年代モノ』がヒットする要因とは、高度成長期、将来に希望を持ち、モノに夢を託せた時代へのノスタルジー」(「世代を超え『昭和30年代』が売れる理由」『エコノミスト』2003年1月28日号)

 「今日より明るい明日を信じられた高度経済成長期の力強い息吹は、実は閉塞感のある今の時代にこそ必要とされている」(「“ノスタルジー市場”盛況」『エコノミスト』2002年6月11日号)

 「成熟した日本社会がホッと一息つける、憩いと安らぎ、潤いを得られるのがアナログ的な街並み」(「『昭和系』という“懐かし力”」『宝島』2002年9月18日号)

 これに対して個人的な懐かしさとは、シンプルに「自分の子ども時代」である。たとえば次のようなことだ。

 「企業の第一線で活躍する企画マンの多くは30〜40代。彼らの子供時代への郷愁が『昭和30年代』モノの台頭につながっている」(「世代を超え『昭和30年代』が売れる理由」『エコノミスト』2003年1月28日号)

 「高度経済成長期に子供時代を過ごした30〜40代は、大衆消費社会の洗礼を最初に受けた世代であり、消費する喜びを知っている。[中略]買ってもらえずに我慢を強いられた。その反動で大人になった今、自由になるお金を使って満たされなかった過去を買っている」(「なぜ今、レトロブームなのか?」『日経ビジネスアソシエ』2003年7月1日号)

 「いま“昭和30年代”なのは、社会を動かす中心世代が40〜50代だから[中略]中心世代が移れば40年代が美化されていくのでしょう」(「昭和ブーム『今年は何年代ですか?』」『サンデー毎日』2004年1月18日号)

第8回全日本自動車ショー会場に展示される国産車。自家用車を持つことが憧れだった時代(1961年10月、朝日新聞)
第8回全日本自動車ショー会場に展示される国産車。自家用車を持つことが憧れだった時代(1961年10月、朝日新聞)

 社会的な懐かしさと個人的な懐かしさは、世代によってはピッタリ合うこともあるが(たとえば団塊世代にとっての昭和30年代や、無共闘世代にとっての昭和40年代)、ズレていることもある。しかしなんとなく矛盾なく統合されている状態だった。そこに昭和30年代というかんむりが付きやすかったのは、昭和30年代のとりわけ後半は、牧歌的な暮らし(社会的な懐かしさに結びつきやすい)と新しいモノ文化(個人的な懐かしさに結びつきやすい)が両方あり、どちらにも対応できたからかもしれない。

 昭和30年代後半にはもうひとつアドバンテージがある。昭和はマスメディアを中心に情報が画一的で、みなが同じ番組を観て、みなが同じおもちゃにあこがれたというストーリーが比較的作りやすいので(もちろんじっさいはそうではなく、多様な少数者がいるのだが)、個人的な懐かしさを束ねて社会的な懐かしさに転化しやすい。とりわけ転化が起こりやすいのが、テレビの世帯普及率が50パーセントを超え、「鉄腕アトム」などの連続テレビアニメが始まり、『少年マガジン』や『少年サンデー』などが人気になっていた昭和30年代後半だったのではないか。

 この時期が社会的な懐かしさと個人的な懐かしさの交錯しやすい地点である証拠になるかどうか分からないが、当時小学生だった世代は、自らの子ども時代をつづったエッセイ(個人的記憶)がそのままノスタルジー本(社会的記憶)として通用する傾向がある。町田忍(1950年生)『昭和浪漫図鑑』、森まゆみ(1954年生)『昭和ジュークボックス』、そして古くは米沢嘉博(1953年生)『2B弾・銀玉戦争の日々』、なぎら健壱(1952年生)『下町小僧』などがそうだ。

 これらの本に共通するのは、自らの子ども時代の写真を挿し絵や表紙にしていることである。無共闘世代や新人類の著書ではあまり見られないものだ。彼らは、個人の記憶と社会の記憶が共鳴するモデルとして存在していたように思われる。

 こうして時代と世代を超えた社会的な懐かしさが成立したことで、国民全体で共有する昭和の記憶、社会学でいうところの集合的記憶が生まれる条件は整った。とはいえ、なぜ、どのように社会的な懐かしさは成立しえたのか、そのメカニズムがまだはっきり見えていない。もう少し踏み込んで考えてみたい。

(『昭和ノスタルジー解体』より)

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