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【半藤一利×青木理 対談】歴史は繰り返すのか? 『世界史のなかの昭和史』より

記事:平凡社

半藤一利氏(右)と青木理氏(左)。平凡社総合文芸誌『こころ』Vol.42掲載の対談記事より転載。(撮影=川島保彦)
半藤一利氏(右)と青木理氏(左)。平凡社総合文芸誌『こころ』Vol.42掲載の対談記事より転載。(撮影=川島保彦)

 欧米列強の政略や戦略に翻弄された昭和の歴史を「世界史の視野から」「現代の視点で」時系列に辿った“半藤昭和史”完結篇 『世界史のなかの昭和史』。本書の平凡社ライブラリー版に収載された青木理氏との対談では、政治やメディアによって煽られた国民の侮蔑感情が、取り返しがつかない結果につながってしまうことに警鐘を鳴らしている。

侮蔑感情の因果関係

青木 本書の中で他にも印象的だったのは、大正末ぐらいから、中国人に対する日本人の侮蔑のような感情が「民草」にも非常に広がっていたという部分です。「民草は怪(け)しからんにも程があると敵愾心(てきがいしん)をつのらせる、なかば侮蔑を加えながら」と書かれていますね。つまり、敵対する国や民族に対して人びとが侮蔑まじりの敵愾心を抱く──読みながら、いまの北朝鮮などに対する日本のムードを想起させるところがありました。なにか共通性はありますか。

半藤 あると思います。いまの日本人がもっている北朝鮮観は、まさにそれと同じじゃないでしょうか。満洲事変を起こして、あまりに中国が弱いのでこんなもんかと思っていたら、第二次上海事変ではとんでもない、ものすごい抵抗を示して日本軍も大きな損害を出した。「えっ、こんなはずじゃなかった」と思ったら、裏にドイツ国防軍がいたと知って、また侮蔑に変わりました。恐れをなしながらかえって侮蔑的になる。「なんだ、ドイツが後ろにいるから強かっただけで、ほんとうは弱いんだ」と勝手な解釈をするんじゃないですか。

 北朝鮮に対して、自分にもいくらかそういうところがあるんです。ミサイルだってまだアメリカに届いてないよ、核もまだ積めるほどになってないよと、そう言いながら、違うぞ、北朝鮮に対して侮蔑観があるからそんな風に考えるのかもしれないぞ、と思い直したりもします。ただ、どうなんでしょう。日本にそれほど北朝鮮に関する情報が入っているのでしょうか、入っていないような気がするのですが。

青木 ええ、入っていないでしょう。北朝鮮が異様な閉鎖国家だからという面もありますが、メディアで飛び交う言説も推測と憶測ばかりです。それで危機や敵愾心、そして侮蔑の感情が煽られてしまっている。以前、小泉政権下で内閣官房副長官補を務めた柳澤協二さんの言葉で印象的だったのは、「不愉快な現実にどう向き合うか」でした。北朝鮮がいかに異形の国家でも、いかに気に食わなくても、戦争をしてぶっ潰してしまうことなどできるはずがない。すべきでもない。ならば不愉快であってもきちんと向き合い、粘り強く交渉と対話、説得をつづけていくしかない。また、外交というものは一方だけが得をすることなどはあり得ないわけだから、こちらも譲歩しつつ交渉や対話によって平和を維持していくことになる。日朝関係を大きく歴史的に捉えれば、日本はまだ戦後賠償すら終わっていないわけで、日本側にも多大な負い目があるわけです。ところが最近は「ひたすら圧力をかけてぶっ潰せ」といったふうにしか見えない風潮が蔓延しています。そういう短絡性を政治やメディアが扇動し、まさに「民草」が煽られ、取り返しがつかなくなってしまう位相に入りつつありませんか。

半藤 入っていますね。ことによると、昭和史のときの大日本帝国に対する外国の見方は、それに近かったんじゃないか。アメリカ人や、もしかしたらイギリス人も。基本的には大日本帝国が満洲事変以来どんどん中国大陸に出てきているのを「このやろう、けしからん」と、少し脅威に感じつつバカにしていたと思いますね。

青木 ヒトラーだって日本をバカにしていたわけですからね。

半藤 そうです、『わが闘争』でヒトラーが日本をバカにしているのはアメリカやイギリスも読んでいます。すると日本が北朝鮮を理解していない以上に、あのときの大日本帝国は理解されていなかったかもしれません。

青木 半ば侮蔑も受けながら。

半藤 そうですね。たとえばルーズベルト米大統領。彼の開戦直前の日本人観はこうでした。「日本のパイロットはすべて近眼で、敵に先に発見されてしまうから、撃墜は容易だ。操縦技量はきわめて拙劣で、とうていアメリカ軍パイロットと互角に戦える力はない」と。ほんとうの話ですよ。それを知らないで戦争に踏み切っていった、日本は。

青木 そういえば、ある国際政治学者がテレビのバラエティ番組で、日本には「スリーパー・セル」なる北朝鮮の「テロリスト分子」が潜伏していて、「いま大阪がヤバい」などと言い放ちました。さまざまな人びとがこれを批判しているのはまだ健全だと感じますが、こうした放言がどのような弊害をもたらすかの無自覚さに驚きます。書店にはヘイト本もあふれていますが、こうした言説や風説の流布によって、かつて関東大震災で多くの朝鮮人が虐殺されたわけです。アメリカで日系人が強制収容されたのも基本的には同じ構図でしょう。まったく人間は反省がないというか、同じようなことを繰り返していますね。

半藤 そこを強調すると歴史は繰り返すことになってしまいますが、条件はだいぶ違うとはいえ、人間というのはあまり変わりませんからね。歴史的背景や置かれた条件は変わっても人間そのもの、やっていること、思ったり考えていることは昔とそんなに違いません。だから歴史は繰り返すといえるわけです。

青木 半藤さんは本書でもかかれていますね。昭和の時代、日本は世界に新秩序を作り出すんだという思い込みに浸ったナチス・ドイツと軍事同盟を結んだけれど、これが決定的に取り返しのつかない大失敗だったと。

半藤 そうです。ポイント・オブ・ノーリターン(元に戻れない地点)を越えたときです。

青木 大局観や情報分析能力の欠如、さらには希望的観測に基づく思い込みや夜郎自大的な情勢解釈などなど、原因はさまざまあったと思いますが、これに関連して半藤さんが言及していて目を引かれたのは、トランプ政権のアメリカと仲良くさえしておけばすべて大丈夫だと思っているらしき現政権も、どこかそれと似ているという点でした。いまもそうお感じですか。

半藤 感じています。かきながら、あれ、ヒトラーにくっついた大日本帝国は、いまの日本国と似たところがあるなと思ったんです、もちろんトランプがヒトラーという意味ではありませんよ。ただ、トランプがどういう人か、まだわかっていないときから安倍首相は飛んでいって握手をして、同感である、一緒になってやりましょうという、あれはまさにヒトラーにくっついていった松岡洋右であり近衛文麿であると言ってもいいんじゃないでしょうか。

(初出=平凡社総合文芸誌『こころ』Vol.42 2018年4月)

平凡社ライブラリー『世界史のなかの昭和史』 目次

プロローグ 歴史の皮肉と大いなる夢想
第一話 摂政裕仁親王の五年間──大正から昭和へ
第二話 満洲事変を中心にして──昭和五~八年
第三話 日独望郷協定として盧溝橋事件──昭和九~十二年
第四話 二つの「隔離」すべき国――昭和十二~十三年
第五話 「複雑怪奇」と世界大戦勃発――昭和十四年
第六話 昭和史が世界史の主役に躍りでたとき――昭和十五年
第七話 「ニイタカヤマノボレ」への道――昭和十六年
エピローグ 「ソ連仲介」と「ベルリン拝見」――敗戦から現代へ
あとがき
対談 半藤一利+青木理「歴史は繰り返すのか?」(単行本未収録)
関連年表

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