『森林浴――心と体を癒す自然セラピー』 日本発のShinrin-Yokuが世界でブーム
記事:創元社
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ここ数年、日本発の「森林浴」が「Shinrin-Yoku」として欧米を中心に大きなブームとなっている。イギリスで出版された拙著『Shinrin-Yoku』は16カ国で出版されており、本書はその日本語版である。写真はベルリンの大型書店における「Shinrin-Yoku(Waldbaden)」フェアの様子である。ドイツで出版されているものだけでもこれだけあり、私の著書のドイツ語版は左上に陳列されている。
研究室には諸外国のメディアが取材に来るが、毎回、彼らにとって発音しにくい「Shinrin-Yoku」の連呼が起こる。「東洋的な神秘」を感じるそうである。自慢するようでお恥ずかしいが、森林浴が脳や体に及ぼすリラックス効果に関しては、私の研究室が世界で最も多くの論文を提出しており、その主要データは、本書に記されている。
人は「自然」と触れると「自然に」リラックスする。これは、多くの人が経験している事実であるが、なぜ、リラックスするのだろうか?
それは、人が自然対応用の体を持っているためであり、現代の人工化された社会において、自然に触れると「自然に」リラックスしてしまうのである。人は人となって700万年が経過するが、その進化の過程において、99.99%以上を自然環境下で過ごしてきたため、人の体は、遺伝子レベルで自然対応用にできているのである。
「森林浴」は、約40年前の1982年に秋山元林野庁長官によって造語された。一方、森林浴をはじめとした「自然セラピー」がリラックス効果をもたらすことは、経験的に知られていたにもかかわらず、科学的データの蓄積は、最近までなされてこなかった。この自然セラピー研究の停滞はなぜ起きたのだろうか?
理由は明快である。自然セラピー研究においては、「自然」が「人」にもたらす効果が研究の中心となるが、日本だけでなく、世界中のどこにも、「自然」と「人」を共に研究・教育するシステムがないのである。森林、公園、木材、花等の「自然」を研究する学問分野は存在するが、中心にいるはずの「人」に関する研究・教育は行われていない。医学部においては「人」の研究はするが、「自然」を対象とした研究は行われていない。その両方を視野に入れた研究者を今の研究・教育システムでは作り出せないのである。ハーバード大学、フィンランド森林研究所でも議論したが、同じ状況であった。森林や建築等も含めた「物」を中心に扱ってきた研究領域においては、今後、「人」研究との融合が重要な課題となるが、今は、その過渡期にあるのであろう。
「快適性」の定義は難しいが、私は、「人と環境間のリズムがシンクロナイズした状態」と考えている。前述したように、自然との関係においては、人の体は遺伝子レベルで自然対応用にできているので、自然に触れると「勝手に」シンクロナイズし、リラックスしてしまう。これは、我々の生理実験でも裏付けられている。
さらに、快適性は、不快の除去を目的とした「受動的快適性」と、プラスαの獲得を目的とする「能動的快適性」に分類される。例えば、寒いときに暖かい部屋に入ると気持ちが良いというのは「受動的快適性」であり、個人差が生じないが、自然セラピーに代表される「能動的快適性」では個人差が大きく、個人の好みが反映される。
これまで我々は、全国60カ所以上の森林における森林浴実験や新宿御苑等の公園実験に代表されるフィールド実験、嗅覚、視覚、触覚、聴覚を単独で刺激する室内実験を実施してきた。その結果、脳前頭前野(前額部)活動の鎮静化、副交感神経活動の昂進、交感神経活動の低下、ストレスホルモンの低下という一連の生理的リラックス効果を観察してきた。脳も体もリラックスするのである。しかし、ここで注意しなくてはいけないことがある。個人個人に注目すると、快適と感じていた程度によって、好みによって、生理的なリラックス効果は大きく異なるのである。まさに、「能動的快適性」である。
つまり、科学的エビデンスに基づいた効果的な森林浴法、自然セラピー法とは、個人の好みを最大限に尊重することなのである。自分で、自分がシンクロナイズする、一体化する自然を選択することに尽きる。それは、大きな森林でも良いし、近くの公園、ベランダ園芸、木や花の香り、木や植物との接触、森の音や映像でも良い。自分の状況や好みに合わせて、自分で選択したとき、森林浴効果、自然セラピー効果は、最大限に発揮されるのである。